ル・コルビュジエと国立西洋美術館展梅本洋一
[ architecture , cinema ]
世界遺産には登録されなかったものの(ぼくにとってはどうでもいい問題だが)、この展覧会の機会に西洋美術館をつぶさに観察すると、この空間は実にル・コルビュジエらしい。無限増殖美術館のコンセプトをそのまま体現しているのはもちろんだし、この建物の全体が、螺旋状の周回というプロムナードになっていることや、メイン会場の19世紀ホールの自然光の差しこむ空間が、とても心地よいこともある。
最近ずっと坂倉準三のことを考えてきたので、その延長線上に坂倉の師匠であるコルブのことも考えざるを得ない。その意味でこの展覧会は実にタイムリーだし、鎌倉近代美術館で坂倉の回顧展が行われるのと同じ意味で、上野の西洋美術館でコルブとこの美術館の展覧会が行われることは特権的だ。「光の都市」というコンセプトにどうもついて行けないのだが──なぜなら、それは、六本木ヒルズを中心として森ビルの開発にも十分な口実を与えかねないからだ──、彼の創造する空間の心地よさはやはり群を抜いている。ゆるやかなスロープとプロムナード、そしてたゆやかな自然光、そして、別に大した根拠があるとは思えないモデュールというプロポーションのあり方。
ぼくらは19世紀ホールのスロープを上ると、この美術館の中心的なコレクションである松方コレクションの数々が展示されている2階の展示ホールへと導かれる。2メートル26センチ上方には、半分だけ光窓が設置され、そこから光が舞い降りてくる。松方コレクションの泰西名画の数々は、どうもこの空間に相応しくなく、一枚だけあるジョアン・ミロのタブローが真っ白な壁によくあうのだが、この際、その問題はどうでもいい。高低差を段差ではなくスロープで解いていくやり方は、槇文彦のスパイラルホールでも同じだな、と思いながらも、スロープを上がりきってやって来るプロムナードの豊かさはスパイラルには存在しない。
だが、少し残念なのは、一階のプロティや2階のプロムナードを支える支柱の太さだ。マルセイユのユニテやスイス学生会館でも感じるのだが、この柱は少し太すぎるのではないか。鎌倉の近代美術館の柱はもっと繊細でずっと細い。その意味で、磯崎新が言うことは正しい。坂倉は師よりも師のコンセプトを昇華している。今はなきパリ万博の日本館の柱が細いように、鎌倉近代美術館の柱も、ここよりはずっと細く、ゆえにぼくらはもっと浮遊感を感じる。小さいけれども、だから単体としては鎌倉近代美術館の完成度が高いのだろう。
前川圀男の東京文化会館の脇を抜けて上野の地下鉄の駅に向かい、リノヴェーションされた上野駅構内──それにしても、近年のリノヴェーションの多くはなぜこのようにショッピングセンター化が図られるのだろう、たとえばパレ・ドゥ・トーキョーのように、元の空間を露呈させただけで、空間の無限のキャパシティが甦ることもあるのに──を抜けて、銀座線で渋谷に戻る。表参道駅を過ぎて、宮益坂の中腹から地上に出た地下鉄は、東急東横店の腹に空けられた穴に吸い込まれていく。ここも坂倉準三の作品だ。だが、その直前を彩っていた東急文化会館のコンクリートルーパーの姿は建物毎消え去っている。
2009年6月4日(木)~8月30日(日)