一丁倫敦と丸の内スタイル展@三菱一号館美術館梅本洋一
[ architecture , cinema ]
復元された三菱一号館と竣工記念として開催されている「一丁倫敦と丸の内スタイル」展を見た。
コンドル設計の三菱一号館は、丸の内が100フィートの高さに設定され、モダニズムのオフィスビルが建ち並んだ後も、1968年までこの場所に残っていた。「一丁倫敦」という呼称の名残のように、周囲との不調和のままここにあった。ぼくもかすかに覚えている。もちろん中に入ったことはなかった。復元され美術館として誕生したこの初期のオフィスビルに入って見ると、まだモダニズム以前のオフィスの感触がある。天井が低く、建物の幅が狭い。復元された重役室の家具などは、同じ建築家による鹿鳴館のようだ。だから美術館としての使い勝手がかなり悪い。先日詳細に観察したルコルビュジエの西洋美術館と比べると、ここの空間の圧迫感に似た狭さは、展示という空間に適していないことがわかる。
それにジョサイヤ・コンドルの西洋は、どう考えても疑似西洋だ。パリやロンドンでまだ現役の同時代の建築物をたくさん見たが、どうしても小ぶりで「お雇い外国人」の仕事というのは、もののエッセンスを移入するというよりも細部のみを何の思考もなくそのまま持ってきたようないい加減さを感じてしまう。その表層を再現しようという三菱一号館の試みは、だからとても倒錯している。コンドルの建築を見ると、その弟子である辰野金吾や妻木頼黄の作品は、師のそれよりもずっと優れているように感じられる。それなりに工夫して師を越えている。あるいは、コンドルよりも辰野や妻木はやはり建築家と言えるだろう。丸の内では、第一生命ビル(渡辺仁)や明治生命ビル(岡田信一郎)のほうがずっといい。いったい何のために三菱一号館は再建されたのだろう?
この展示で興味深かったのは、丸の内の変遷をCGで見せている部分だった。次第にビルが増え、それらが建て替わり、現在の姿になる。東京駅がだんだん小さく感じられるようになる。いったんモダニズムによる統一体に亀裂が入り始めると、多様な亀裂が走り始め、巨大な墓石ビルが生まれ、第一生命や明治生命と周囲のビルが結ばれていき、カオスのような空間が出現してくる。かつてそれを裸形の資本主義とぼくは呼んだが、その反省が、三菱一号館の復元というまさに王政復古のような方向性なのだろうか? 世界の都市間競争に敗北してもいいじゃないか! ウォールストリートのようになりたいという夢は、リーマンブラザーズのように儚いものだ。「一丁倫敦」という呼称だって貧しい。「一丁」だけ「倫敦」。別の方法と別の秩序が必要だ。
2009年9月3日(木)~2010年1月11日(月・祝)