『RAIN』堂本剛黒岩幹子
[ cinema , music ]
堂本剛という人が作る音楽には、単なるアイドルの余暇活動として切り捨てられないものを感じる。そのナルシスティックな言動やファッション、「自分探し」の一貫として書かれたような歌詞、あるいは「剛紫」(前作のアーティスト名義)といったネーミングセンスなど、凡人の私には受け入れがたい部分を持った人ではあるのだが、彼の音楽には何か考えさせられるものがある。近田春夫は以前、彼が前シングル曲の「空~美しい我の空」を歌う姿をテレビで見て、「決して“つっこみ”を許さない雰囲気」が画面に溢れていた、と週刊文春の連載(「考えるヒット」)で書いていたが、今度のシングルでさらにその“つっこみ”を許さない雰囲気が強固なものになったと言えるのではないか。
私は、前々からこの人の音楽に世間で言われているミスチルの影響以上に、CHAGE&ASKAの音楽と同じ要素があるように感じていた。それはたぶん編曲を手がけているのが、チャゲアスのプロデューサーと同じ人(十川知司)であるせいだと思っていたが、セルフプロデュースが謳われている今度のシングルを聴いてそれが間違いであったことに気付いた。堂本剛とチャゲアスの共通点は洋楽との距離感にあるのではないか。この人がジミヘンやスライ・ストーンからの影響を臆さず語る姿は、飛鳥涼がインタビューで自分は洋楽しか聴かないことばかり喋るという話を思い起こさせる。入れ物はスライっぽかったり「ファンク」だったりしても、その中身にあるのはファンクの精神でもないばかりかスライのまがい物でもなく、「Jポップ」としか呼べないものというか。しかもKinki Kidsとして筒美京平やら山下達郎の曲を歌わされてきた影響は絶対にあって、この人が作る曲にはどこか昭和の香りというか、「歌謡曲」の残像のようなものがはりついている気がする。
そういう意味で、堂本剛という人が作る音楽は「Jポップ」と呼ばれるいまやさらに漠としてきた領域の、あるかないか定かではない中心にぽっかり空いた空洞のようなものではないか、と疑っているのだが、はたしてどうだろうか。
とにもかくにも、このシングルにおさめられている「Sunday Morning」「音楽を終わらせよう」という2曲にはある種の才能を感じた。