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December 16, 2009

『12枚のアルバム』中原昌也
結城秀勇

[ book , sports ]

 この本の発売記念トークイヴェント、佐々木敦との対談の中で中原昌也はこんな話をしていた。なぜパソコンなどを使えば簡単にできそうなことをアナログでやることにこだわるのか、という佐々木の問いに、中原は「つながらないものをつなげたいのであって、デジタルなものは一見それを簡単にできるようだけど、そこでははじめからつながるものしかつながらない。つながらないはずのものは結局つながらない」というようなことを答えていた。これほど中原昌也というミュージシャン(あるいは作家としても)の本質を捉えている言葉はないような気がした。
 つながらないものをつなげる。ヘア・スタイリスティックのライヴを目にしたことがあるものなら誰しもすぐに思い浮かべることができるように、彼の音楽は目の前に広げられた機械類の接合によって生まれる。美しい手作業。しかしそれすら無限の可能性から彼が選び取るというようなものではあり得ないのだ。音楽が始まるときすでに、非常に限られた組み合わせの前に彼はいる(なぜならそれら大量の機材は彼が運ばなければいけないからだ!)。そこで初めて、「つながらないものがつながる」かもしれない可能性のとば口に立ったに過ぎない。彼はそこから始める。
 つながらないものをつなげる。だから毎回ひとりのゲストと、互いに一枚のアルバムを持ち寄ることですべての話が始まるこの一連のトークイヴェントは様々な面で中原昌也の創作に関わっている。人と人がつながるのか試す。まったく関係のない2枚のアルバムがつながるのか試す。あるいはこのイヴェントと平行して発売されつつあった「Monthly Hair Stylistics」とは接合しうるのか……。はじめこの本を「Monthly Hair Stylistics」シリーズのあり得べきライナーノーツとして読み始めた私は、すぐに以下のような箇所を見つけ出す。


「大里ーー中原さんって実は凝った装置を、けっこう論理的に分割しながらきちっと引きかえていくっていうやり方をするじゃないですか。だからそういう意味では実に合理的に作られていて、こういう怠惰な音が出ない仕組みになってるわけじゃない?
中原ーーまあ、そうですね。だから憧れるんです、逆に。」


「ジェステルーーたとえばいろんなマシンを使ったりするときに、そのやり方についてバランスが取れなくなることはありますか?
中原ーーいや、むしろ逆で、この機械をちょっといじってみようかなと思ってできたりします。
ジェステルーーそうやって少しずつ音を作っていくなかで、できあがったものをバランスよくひとつの作品にしなければいけないというお考えはありますか?
中原ーー本当の意味で自分の心を掴むのはバランスの悪いものだったりします。異常にギターの音がでかすぎるような音楽がすごいと思ったりするし、常に壊れてるミックスが好きだったり。」


 しかしながらあくまで「Monthly Hair Stylistics」シリーズの音源の解説としての機能をこの本に求めてしまうのは、「つながらないものをつなげる」という原則に反する。ではこの本に流れている時間の中で、何故これほどまでに音楽の情報が、あるいは芸術その他の知識が、そして数々のダジャレが、ほとんど無益にと言ってもいいほどに垂れ流されていくのか?その問いの答えは、ライヴの時に彼の前にある機材の集合と同じだ。物理的歴史的経済的その他による有限性。すでに試みられた音の連なり、言葉の連なりはもはや「つながらないもの」ではない。そうやって念入りに埋めつぶされた「つながらなくないもの」の荒野に、微かに「つながらないものをつなげる」可能性が滲み出す。そしてそれが最終的に成功したとしても、なにかとなにかがカチっとはまった的な快感をもたらすものではない。「全然違ったカラーを持った音をものすごくたくさん用意して、その切断面を際立たせようとしているのがよくわかる」(大里俊晴)。「つながらないものがつながる」ことは、それが本来つながらないことを知らしめる暴力的な行為であるはずだからだ。
 ジル・ドゥルーズは『アンチ・オイディプス』の中で次のように言っている。「欲望する機械は故障することなしには作動しない。故障しながらしか作動しない」。


Hair Stylistics 『LIVE!』