『抱擁のかけら』ペドロ・アルモドバル梅本洋一
[ cinema ]
アルモドバルはもう完全に「巨匠」だ。彼の監督歴もすでに40年近く、そして年齢も還暦に達している。諦念と達観、そしてメランコリー。失った恋と眼差し、家族、そして職業としての映画。ほとんどアルフレッド・ヒッチコックのようなタッチで恋愛を描き、なんとかロッセリーニの『イタリア旅行』のような透明な単純さに到達しようとする倒錯的な欲望。ペドロ・アルモドバルのこのフィルムは、そうした混濁と透明の中間地帯を浮遊するように展開する。
映画監督マテオ・ブランコとシナリオ作家ヘンリー・ケインというふたつのアイデンティティを持つ盲目の男。彼が14年前に撮った作品の顛末と、それにまつわる事件が、新聞の訃報から思い出される。ファム・ファタルとして登場するレナ(ペネロペ・クルス)──彼女の役名はマグダレナ、つまり英語だとマデリーン──は明らかに『めまい』のマデリーンだ。時に彼女はセヴリーヌと呼ばれるから、その意味では『昼顔』の娼婦でもある。ここでも出現する二重性=分身。それが何重にも重層して、映画を撮り、それを完成させることの神話が、このフィルムの物語の中心に位置する。だから極めて自己省察性の強いフィルムでもある。還暦に達し、自らのキャリアを振り返り、自らが敬意を表する映画作家たちを総動員しつつ、アルモドバルの様式、彼のスタイルにはまったく揺るぎがない。
このフィルムのペネロペ・クルスは溜息が出るほどに美しい。そして、恋愛という凶器を手にした彼女は、女性そのものを体現する。誠実であることが裏切りそのものであり、何人もの男たちの運命を狂わせていく。これほどのファム・ファタルを見たことがあったろうか。
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