« previous | メイン | next »

March 19, 2010

『愚か者は誰だ』渡辺裕子
高木佑介

[ cinema , cinema ]

 30分という尺に留めておくには惜しいほどに贅沢な短篇だった『テクニカラー』(船曳真珠)と並び、今年の「桃まつり」の中でもとりわけてクオリティの高い作品に仕上がっているこの『愚か者は誰だ』。渡辺裕子が脚本を担当した濱口竜介の新作『永遠に君を愛す』(09)も男女が向かえる修羅場とその極端なタイトルが印象的だったが、あるいは彼女が持つ「色」のようなものがあるのだろうか、やはり今作でもひとりの女の不貞をめぐり、男たちがちょっとした修羅場に巻き込まれていくという筋書きだ。そして、その強烈なタイトルからしてもまさに今回の「桃まつり」が掲げている「うそ」というおっそろしいテーマが中心にごろりと横たわっているかのような作品である。

 しかし、それにしても、女の不貞やら全編がアフレコやらという真っ赤な「うそ」がたしかに映画の輪郭をかたち作っているにも関わらず、同時にすべてが白昼のもとに曝け出されているかのような今作のあっけらかんとした風体はいったい何だ。ファム・ファタールにしてはいささか迂闊すぎる、とはいえ不貞といえばたしかに不貞である女優に、男らしいのか男らしくないのか、彼女の尾行をあっさりと白状してしまうその夫(演じるのは野村宏伸)。白黒をはっきりとつけたがる舞台の演出家に、そしてただの傍観者にしては異様に存在感と主義・主張のある探偵と、とにかく皆がみな「裏」の感じられない人物ばかり。野村宏伸が時折投げるコイントスがなんら物語には関与しないように、そこでは「裏」も「表」も関係ない。むしろ、各々が自分自身に正直な正直者たちで、だからこそそこから生まれる互いの祖語をひたすらドラマにまで昇華しようとするような作品だ。実際、本来であれば他人の隠された秘密を暴くための装置とでも呼べそうな「盗聴器」が、これほどまでに映画的なナラティブを助長する明快な小道具にまで昇華されている瞬間はなかなか私の記憶の中には見当たらない。とにかく、あらゆることが単純明快に展開し、キャメラは適確に登場人物たちの位置関係を明らかにしていく。ついでにアフレコ効果でセリフもくっきり透明だ。
 いや、しかし、この作品を見てそのような思考をここまで辿ってきてしまっている私はすでに罠にかかっているのかもしれない。近年ではあまり見かけることのなくなったように思える、この作品が見せる尾行らしい尾行シーン。ひとりの女をめぐる男同士の決闘は命がけの決闘で、負ければちゃんと死ぬという単純明快な筋書き。探偵はやはり探偵で、不貞な女はやっぱり最後まで不貞な女だったという明白な芯に貫かれている今作は、だからこそ危険である。当たり前の同語反復が、馬鹿馬鹿しいほどに明快な展開が、この映画をたしかに映画たらしめている。そしてその単純な事実が、やはり、一番の謎なのだ。「愚か者」はこの映画をさらりと見てしまっている、こちらのことなのか。


桃まつりpresents“うそ” ユーロスペースにて3月26日まで開催中!今作の上映は18日~21日