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May 18, 2010

『トラッシュ・ハンパーズ』ハーモニー・コリン
菅江美津穂

[ cinema , cinema ]

 ハーモニー・コリンの新作。『ミスター・ロンリー』で見た「逃亡から対話」をハーモニー・コリンは新しい形で表現してくれたように思う。
 この映画は「80 年代に誰かが撮影して、そのまま捨て去られていたホームビデオ」というコンセプトで作られた作品である。その内容とは3人の老人がゴミ箱に対して腰を振り続け、子どもが刃物を持ち振り回す……というその破壊的な行為は枚挙に暇がない程である。主人公たちはそれぞれに、思わず顔を背けてしまいたくなるほど破壊的であり、同時にまた、一つ一つの事象に対して敏感に反応しているように見える。しかし、スクリーンが直視出来なくなる理由は、ただ破壊的であるという理由からではないはずである。それが理由であるならば、なにも『トラッシュ・ハンパーズ』に限ったことではない。ーーでは何故か?
 ハーモニー・コリンの映画には、いつも一つのテーマがあるように思う。それが「逃亡から対話」である。『ガンモ』におけるソロモンによる発話、『ジュリアン』におけるジュリアンによる気付き、『ミスター・ロンリー』におけるマイケルによる対話。主人公たちは自ら踏み入った場において、そこが本来の場なのであると言わんばかりの立ち振る舞いをするも、いつでも壊れそうなほど繊細であり、不安定であり続ける。しかし彼らは、”気付き”をする。
『トラッシュ・ハンパーズ』における3人の老人もそうである。破壊の先には、乳母車に赤ん坊を乗せ、破壊から創造へと向かう光が見える。
 しかし、この3人の老人がしている行為は明らかに今までの主人公たちがしてきた形と異なる。今までの主人公たちはどこか怯えたような表情を有していたのに対し、この3人の老人の表情はマスクにより隠され、彼らの笑い声はアメリカのコミカルなテレビ番組で使われるような声により発声され、そこに彼らの奇妙な現実が付与されている。しかし同時に主人公たちは、彼らの生きる現実に対して確かに素直な反応を下している。それこそが思わず拒絶反応を突きつけたくなるところであるのではないか。
 奇妙な現実における、真っすぐな反応。その真っすぐすぎる反応こそを、何も隠さずただ目の前に突きつけられることに対し、しばしば飲み込むのに時間を要したのはわたしだけではないのではないと思う。


イメージフォーラムフェスティバル2010にて上映。