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September 22, 2010

『黄色い家の記憶』ジョアン・セーザル・モンテイロ
結城秀勇

[ cinema ]

 モンテイロの映画を見るといつも、演奏(ダンス)、酒宴、犬の3つが出てきて、なぜかはまったくわからないが、そのどれかでも画面に映し出されると反射的に心躍る。
「幼い頃、私たちは刑務所を「黄色い家」と呼んでいた」というインポーズからこの映画は始まる。黄色い家がこの映画の終盤に出てくる精神病院を意味しているのか、あるいはもっと他のものなのかはわからない。だがモンテイロ扮するジョアン・デ・デウスが住んでいる、南京虫に支配された集合住宅の一室が、異様な仰角と不思議な俯瞰のカメラの切り返しによって映し出されるとき、ジョアンとともに見るわれわれもまたあの不思議な空間に囚われだしているという気がする。そこでは建物のいかなる場所にいようとも、キェーという鳥の不規則な鳴き声に支配されている。
 のぞき、盗み、強姦その他、不道徳で卑猥な行為を繰り返すジョアンだが、モンテイロのあの無表情でとぼけた顔には、どんな下劣な振る舞いによっても人間から奪い去ることの出来ない尊厳が宿っている。だからこそ彼のいかなる振る舞いにもくすくすと笑うことが出来るし、演奏と酒宴の場面であるジョアンの誕生パーティのシーンにおける彼の訳もなくもの悲しげなたたずまいや、犬を屠殺場へ連れて行った後の娼婦との食事と対話には心打たれる。
『黄色い家の記憶』という作品が、モンテイロ自身の肉体によって裏付けられている部分は大きい。神の名を持つ男をここまで人間的に演じきることのできる肉体があるだろうか。精神病院の円形の庭で、ジョアンが駆け巡る姿を360度のパンで捉えたシーンがある。はじめは患者たちの会話が聞こえているひろびろとした空間が、ある瞬間彼が踏みおろす駆け足の音に包み込まれる。そのとき、本当にこの肉体には神が宿っていると言っても過言ではないと、そう思った。


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