イタリア映画祭2011レポート 2011年4月30日 隈元博樹
[ cinema ]
Il second giorno
本日1本目はカルロ・マッツァクラーティ『ラ・パッショーネ』。昨日の『われわれは信じていた』同様、去年のヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品作である。さて映画監督のスランプと言えば必然的にフェリーニの『8 1/2』や北野武の『監督・ばんざい!』などの再審に付すフィルム群が思い浮ぶけれども、シルヴィオ・オルランド扮する映画監督のジャンニはフェリーニのように夢世界と現実を往来し取り替えることを拒み、北野のように地球から宇宙へ大胆な跳躍を果たすこともない。彼は新進気鋭の若いTV女優やバールで働くポーランド人の女性を主役に想定した回想から、映画プロデューサーや文化財保護局への告発を恐喝のタネに受難劇の演出を要求する町長たちの狭間、といったきわめて現実世界へと常に回帰していく。また同時に軒上の小売店の入り口付近にしか携帯の電波が立たないトスカーナの田舎町自身が、そのフィルム自体の閉塞感を助長していることも一理あったのではないだろうか。
ただここ数年のうちにコメディアン俳優としての確固たる地位と手腕を築いたシルヴィオ・オルランドには今回も頭が上がらない。町主催の受難劇にイエス役が必要であることと同じく、またナンニ・モレッティのフィルムに彼が必要であることと同じく、彼なくしては成立しえなかったフィルムであったことはまちがいない。おそらく彼のあの独特な歯並びも。
少しおそい昼食をとる。今日は銀座・すずらん通りを新橋方面へ直進したところのそば所「よし田」にてもりそばの大盛を注文。量はそれほど多くないけれど、創業明治18年の老舗店は、建物さながらほどよいコシのある麺が僕の喉を気持ちよく抜けていってくれた。
昼食後は本日最後の上映作品フェルザン・オズペデク『アルデンテな男たち』(仮題)。去年のヴェネツィア国際映画祭パノラマ部門正式出品作であり、南イタリアの伝統的な街・レッチェにてホモセクシャルを主題に展開される現代群像劇だ。主人公(またはその兄)がゲイであることは彼ら家族の周縁だけでなく、その一家が3代にわたって経営してきたパスタ工場のゴシップとして世間の評判を真っ向から受けてしまうのではないだろうかという「危険分子」(原題:「mine vaganti」)を常に背負ったフィルムではある。しかしここに焼きつけられている父親なる保守性が同性愛という革新的な問題に太刀打ちする際に生じる、齟齬にも似たある種の「mine vaganti」がここではどうも足りない気がしてならなかった。
だからここではむしろホモセクシャルを笑いに転じるための快活なコメディシーンから一気にメロドラマへと昇華していく過程に想いを馳せてしまう。たとえばそれは主人公のトンマーゾ(リッカルド・スカマルチョ)と同性愛者たちがレッチェの海辺で自由自在に身体をくねらせながら「Cinque milla~」と歌い踊り狂ったあと、彼とその「恋人」ふたりが肩を寄せ合ってささやき合っている様子にたいし、トンマーゾに恋心を抱く共同経営者の女性が後ろで見つめている構図といった特殊な三角関係のように…ちなみにこの『アルデンテな男たち』は『あしたのパスタはアルデンテ』という邦題で今夏ロードショーの予定。
『ラ・パッショーネ』
【東京】 4月30日(土) 13:05 / 5月3日(火・祝) 10:20
【大阪】 5月8日(日) 13:20
『アルデンテな男たち』
【東京】 4月30日(土) 18:40
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