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May 3, 2011

イタリア映画祭2011レポート 2011年5月2日 
隈元博樹

[ cinema ]

Il quarto giorno
 「A pancia si consulta bene」(=「腹が減っては戦はできぬ」)。以前からとても気になっていた銀座7丁目の交詢社通りにある「銀座 梅林」でカツライス、980円。ここも昭和2年創業と歴史古く、本店のほかに銀座三越店やハワイ、羽田空港カウンター、最近では秋葉原にも小売展開しているという。自分が頼んだカツライスのカツより隣のサラリーマンが頼んだランク上の定食(2700円)のカツのほうが正直美味しそうに見えてしまったけど、満腹中枢もほどほどに口当たりの良い脂の乗りようだった。
 昼食後1発目はルーチョ・ペッレグリーニ『星の子どもたち』。政治不信と自身の境遇に失望したアンチ・ヒーローな中年男たちが、とある「まちがい」を起こしたことで巻き起こるスラップスティック・コメディ。標的の大臣ではなくその政務次官を誤って誘拐してしまった彼らのひとり、ラモン(パオロ・サッサネッリ)とTVリポーター・マリル(クラウディア・パンドルフィ)との関係や、ラストに誰が労災の未亡人に身代金を渡したのかといったこの手の「曖昧さ」は、彼の「開かれたままのものにしたかった」とインタヴューで語っているかぎり、最初からあるいは編集段階で意図していたものだったようだ(実際に説明シーンとして撮ってはいたが、最終的に編集でカットしたらしい)。
 しかしこの「開かれたまま」というのはその語られる内容自体を多角的に解釈するうえでの「開けっぱなしの窓」にすぎず、そこからフレームの外側を覗きこめるような隙間の余地は、思ったほど用意されてなかったのではないだろうか。2日目に観た『ラ・パッショーネ』で巨漢な元泥棒役を演じていたジュゼッペ・バッティストンや、昨日の『もう一度キスを』で離婚に悩む夫を演じたピエルフランチェスコ・ファヴィーノら役者の力は各々に感じるものの、彼らが彼らであるための必要条件なるものを説得するためには、キャメラを何も役者の動きに合わせるだけでなく、ただ一点に据え、あえて見切らせるという勇気も必要なのではないだろうか。
 続けて今度はガブリエーレ・ムッチーノ『最後のキス』。昨日も述べたように『もう一度キスを』の続編である(いったい彼らは何回キスするんだ!)。次作同様「リマリッジ」ではあるものの、ある者は結ばれ、ある者は別れるといったさまざまな男女の形式を事細かに描くことに徹しており、『もう一度キスを』で解けなかった謎もこれで万事解決!ということになる。つまり昨日から危惧していたことは的中し、やはりこのフィルムを見ていないと『もう一度キスを』の導入に苦しむというのは、いささか不誠実さを伴っているということになるだろう。これは映画的省略とは別の問題であることは言うまでもない。しかしながらジュリア(ジョバンナ・メッゾジョルノ)の母親扮するステファニア・サンドレッリの「リマリッジ」は、なんだかスコラの『あんなに愛しあったのに』のその後を見ているかのようだった。待ち合わせのバールに昔の浮気相手が来ないことを知り、旧友の自宅部屋のベッドでひとり粛々と泪を流すサンドレッリの立ち居振る舞いからけっして目を離さずにはいられない。
 映画祭も残り2日である。

『星の子どもたち』
【東京】 4月30日(土) 10:20 / 5月2日(月) 15:50
【大阪】 5月7日(土) 15:00

『最後のキス』
【東京】 5月2日(月) 18:30

イタリア映画祭2011ホームページ