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May 6, 2011

イタリア映画祭2011レポート 2011年5月3日 
隈元博樹

[ cinema , music ]

Il quinto giorno
 午後からのロベルタ・トッレ『キスを叶えて』。ここまでタイトルに「キス」がついてしまえばもはやお手上げである。このフィルムは今年のサンダンス映画祭コンペ部門出品作であり、行方不明になった聖母像の頭部をシチリア・リプリーノに住む美容師見習いの少女が自分の見た夢によってその居場所を発見したことに端を発し、その「奇跡」に便乗して彼女の母親が金稼ぎに奮闘するというあらすじ。
 ファーストショット、「だれか」が全体の視覚を支配し、すべての音が遮断され、「なにか」わからないフィルターのようなものを通して遠くの不特定多数の人間たちを見ている。映像と呼ばれる抽象性的な時間が続くわけで、ショートカットの少女の顔を抜いたと思えばその場に立ち止まった少年たちにフォーカスを切り替えたりと、そうこうしているうちにその「なにか」は取り外され、すべての音たちがどっと画面に響き渡ることで一気に「映画」の表情をみせるわけである。それを観ている「だれか」というのは実は聖母像だと気づくことになるのだけれども、こうした一連の流れを順序立てて見せてしまう手法と、序盤から登場する少女の脳裏を反映した、非常に強い夢物語的世界にひそむ閉塞のかたち。しかしその2つの趣味は少なくとも僕には合わなかった。
 ロベルタ・トッレは過去に2度パゾリーニについてのドキュメンタリーを撮っており、今回のインタビューでもネオレアリスモ的な無意識が自分にあることを述べている。非職業俳優に徹底してこだわることや、このフィルムの舞台がカターニアの郊外の「日本的な場所」-丹下健三のプロジェクトが途中放棄されたのちに別のチームが完成させた建築が存在するという-を選んだということのほうがむしろ興味ぶかいし、たしかにこの『キスを叶えて』にはそういった建築が垣間見える場面がいくつか存在している。だから世界から隔絶された少女の夢の世界や、存在するはずのない聖母像の安易な主観キャメラの映像にインパクトを感じる映画となってしまったことが残念であり、おそらく嫌悪を示してしまった原因だったのだろう。

『キスを叶えて』
【東京】 4月29日(金・祝) 12:00 / 5月3日(火・祝) 13:05
【大阪】 5月8日(日) 11:00

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 残念ながら最終日は諸事情により不参加。ただ今回イタリアの「小さな窓たち」は、ここ数年徐々に日本でもふたたび覗くことのできる機会が増えていることにも留意すべきではないだろうか。特にダニエーレ・ルケッティ『ぼくたちの生活』をこの映画祭で体験できたことは大きな収穫だった。妻の葬式で泣き叫びながら歌うエリオ・ジェルマーノとそれをブレながらも捉えていくキャメラの存在…もう一度スクリーンで再見できる日を願って!

イタリア映画祭2011ホームページ