『悪の華』クロード・シャブロル 隈元博樹
[ cinema ]
冒頭からダミアの『UN SOUVENIR』に呼応するように、外部から内部へとゆっくりと移動していく長回しのキャメラ。左に首を振ってダイニングをなめたあと、深紅のカーペットがかかる階段を(これもゆっくりと)上がり、2階に横たわる何者かの死体を捉えた瞬間にその場で立ち止まる。なぜ最初からこれほどまでにシャブロルは邸宅を丁寧に撮っているのだろう?
ドイツ占領下の時代、父親にレジスタンスとして殺害された兄とその妹リーヌ(シュザンヌ・フロン)は恋人同士であった。そして現在、彼女の姪で再婚したアンヌ(ナタリー・バイ)の娘・ミシェル(メラニー・ドゥーテ)と夫・ジェラール(ベルナール・ル・コック)の息子・フランソワ(ブノワ・マジメル)も恋人同士。たしかにアンヌの市長選活動を妨害し、一族の過ちを吐露する「怪文書」を発端に、一般に「許されない」近親相姦劇の行方を路頭に迷いながらも-ときにはシャルパン一族の家系図を丹念に整理しながら-私たちは追尾していかなければならない。ただ『悪の華』におけるオープニング・ショットとは、長年住み続けてきた玄関の広いブルジョワの邸宅、それから後に登場するピラの海辺の別荘こそがこの一家の過去と現在を結ぶひとつのアマルガムとして注視することを喚起しているのではないだろうか。
「怪文書」を作成した犯人を探す醍醐味はさておき、たとえばどこからともなく聴こえてくるリーヌの生々しい記憶は、常に邸宅や別荘もしくはその周辺の庭園を介して回想されるわけであるし、ピラへバカンスに来たミシェルとフランソワによる他愛の無い接吻の連続も、すべてが彼らの住居に依拠していることから逃れることはできない。だから愛していた兄を殺され、父を殺したリーヌの罪も、酔いの勢いで迫られた義父のジェラールを彼の書斎で殺害してしまうミシェルの罪も、すべてが「シャルパン家」というよりはそこに居を構えた「シャルパン邸」のほうに遥かなる強度を感じるのである。同時にピラの別荘でスクラブルをするフランソワ、ミシェル、リーヌのシーンは、リーヌの持ち駒にあるアルファベット「CACHIEZ」(=「隠す」)の文字が単語として現れることからも、邸宅には何かを「隠す」という行為がどこかに潜在しているということをまるでシャブロル自身が暗示しているかのようでもあるのだ。
そういえばヒッチコックの『レベッカ』は、コーンウォール海岸近くのマンダレイと呼ばれる邸宅が「レベッカ」の過去と現在を媒介し、家政婦のジュディス・アンダーソンとともに燃えさかることでその役割を終える。つまりそれまで語られてきた「レベッカ」の真実とはそのマンダレイとともに存在していたのであり、「レベッカ」の記憶を繋げるのは邸宅の内部に飾られた大きな肖像画や衣装であったはずだ。いっぽう結びは違えども、『悪の華』では市長選に当選した妻のアンヌの祝宴が1階のリビングで盛大に催され、2階にはリーヌとミシェルが運んだ夫・ジェラールの死体がベッドルームに横たわっている。ここには『レベッカ』のようなラストは用意されていないけれども、ブルジョワの邸宅がいかに語りの役割を担っているかということを、私たちは『悪の華』でふたたび思い知らされることとなるのだ。
映画の國名作選Ⅱ クロード・シャブロル未公開傑作選
『最後の賭け』『甘い罠』『悪の華』
5/21(土)よりシアター・イメージフォーラムにて3週間限定ロードショー
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