『甘い罠』クロード・シャブロル 増田景子
[ cinema ]
リストの「葬送曲」が繰り返し演奏される。それは、ピアニストであるジャック・デュトロンが、そこを訪れるピアニストの卵であるアナ・ムグラリスに間近に控えたコンクールに向けてレッスンをしているからなのだが、それ以上の接点がこの曲とこの映画自体にあるように思えてしょうがない。この映画のタイトルが「葬送曲」でもうなずけるほどである。
誰を葬送するのか。それはイザベル・ユペールに他ならない。イザベル・ユペールはジャック・デュトロンの後妻で、アナ・ムグラリスが訪れる少し前によりを戻して2度目の結婚式を挙げたばかり。(ちなみにこの映画はこのふたりの結婚式で幕をあける。)もちろん、彼女が死んで葬式があげられるというわけではないし、そんなシーンもない。だが、最後にイザベル・ユペールがうずくまった姿は、屈葬された死体の写真をみているかのよう。生きている彼女がこのまま白骨化して、ソファが土になり、本物の死体になってしまうのではないかとさえ思えてくる。そして、その背景にはジャック・デュトロンが弾く「葬送曲」が流れているのだ。もしかしたら、最後にこのように弾くことをジャック・デュトロンは、知らず知らずのうちに予期してしまっていたのかもしれない。というのも、レッスンでアナ・ムグラリスと目指す「葬送曲」自体が、とてもイザベル・ユペールと重なるからだ。
イザベル・ユペールという女優のすばらしさを言葉で表すことは容易ではない。特筆するほど美人ではないし、チャーミングであるわけでもない。クセがあるわけでもなければ、喜劇的でも悲劇的でもない。しかし、彼女の出ている映画をみれば、イザベル・ユペールの名前を憶えてしまう。そんな女優である。だが、この映画の中で彼女のそのすばらしさを表現するのにぴったりな言葉を見つけてしまった。
「驚いた、暗さが全然ないわ」「ほんの少しある。聴き直せば気づくだろう」
これは、ジャック・デュトロンとアナ・ムグラリスが「葬送曲」のレコードを聴いての会話である。彼らは「葬送曲」について話しているのだが、言葉だけ抜粋してしまえば「葬送曲」をイザベル・ユペールに変えても妙にしっくりきてしまう。最後に「葬送曲」を聴きながら死体になっていくイザベル・ユペールを見て、それは確信に変わる。この映画の中でも彼女は8割がた笑顔で、誰に構わず愛想よくしているが、どこかその笑顔に裏を感じさせていた。話の伏線というわけでなく、明るさの中にところどころ黒いしみがあるような違和感である。そう、赤いセーターについたココアのシミみたいなものである。ちょっと気になるのだ。そのシミが気づかぬうちに広がっていくというのがこの映画のストーリーであり、「葬送曲」はそのシミを鎮魂するための音楽なのだ。そして、イザベル・ユペールのすばらしさこそこの映画自体なのかもしれない。いや、イザベル・ユペールだけでなく、彼女を起用しつづけたシャブロル映画自体にも、言えることなのかもしれない。
映画の國名作選Ⅱ クロード・シャブロル未公開傑作選
『最後の賭け』『甘い罠』『悪の華』
5/21(土)よりシアター・イメージフォーラムにて3週間限定ロードショー
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