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June 9, 2011

モーリス・ガレルが亡くなった
梅本洋一

[ cinema ]

 不思議なことに若かりし頃の彼をほとんど覚えていない。フィルモグラフィーを見れば、トリュフォーの『柔らかい肌』にも『黒衣の花嫁』にも出演している。だが覚えていない。ジャック・ロジエの『アデュー・フィリピーヌ』にも父親役で出演している。こちらは朧気に覚えている。
 やはり決定的だったのは息子フィリップの映画『自由、夜』の彼だ。彼は1923年2月24日生まれだそうだから、このフィルムの完成時、60歳。アルジェリア戦争を背景にしたモノクロの画面。そしてファトン・カアンの音楽。エマニュエル・リヴァ、ラズロ・サボ、そしてモーリス・ガレルも一時期やっていたマリオネット。このフィルムで、若い女性ジェミナ(クリスティーヌ・ボワッソン)と最後の恋をする男ジャンを演じたモーリス・ガレルは忘れることができない。朝、ジェミナは、一夜を共にしたジャンが隣にいないに気付く。「ジャン! ジャン!」と彼の姿を求めるクリスティーヌ・ボワッソンが印象的だった。そして、ジャンは暗殺され、もう戻っては来ない。以来、モーリス・ガレルは、常に死んでいく登場人物ばかり演じていたような気がする。細かく調べてみれば、もちろん、いつも死んでいく登場人物ばかりを演じているわけではないだろう。だが、やはりフィリップの映画である『彷徨う心』でモーリスが演じた死んでいく父親、そしてアルノー・デプレシャンの『キングズ・アンド・クイーン』でもエマニュエル・ドゥヴォスの死んでいく父親を演じていた。「死んでいく父親」とは、どんな人なのだろう。息子の映画のために「死んでいく」役を演じるとはどういうことなのだろう。
 俳優という職業はセンチメンタルなものではないことは理解している。だが、彼ほど「死んでいく父親」を印象的に演じた人は知らない。彼の存在を失うことは、残された登場人物にとって、とても大きな出来事だ。老人だから、若者たちよりも死に近い存在であるという単純な事実ではなく、彼は、明らかに自らの存在を消滅させることで、その存在の大きさを証明し、彼なしで生きることの重要さを登場人物たちに考察させる役柄を演じ続けた。髪の毛の白さ、顔に刻まされた皺の深さ、そしてあの嗄れた声。長く生きてきた時間のすべてを受け止めて彼はそこにいた。そして、登場人物たちは、流れていく時間の重さを彼によって感じることができた。今、ぼくらも、モーリス・ガレルが本当に亡くなったことを知って、彼が「死んでいく父親」を演じた映画の大きさをもう一度感じている。