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July 25, 2011

季刊「真夜中」2011 Early Autumn
結城秀勇

[ book , cinema ]

「真夜中」の最新号をぱらぱらめくっていて、ふたつの文章に真っ先に目がいった。全部読んでいないので特集全体に対するコメントではないのだが、最近考えていることも含め書いておこうと思った。ふたつの文章はどちらも、HIPHOPに関係していて、3月11日の地震に関係していて、人生に関係している。
 目にとまった文章のひとつは、三宅唱によるラッパー・B.I.G.JOEへのインタヴューで、「とりかえしのつかなさ」というタイトルが添えられている。THE BLUE HERBなどとともに2000年前後のHIPHOPシーンの中心にいたというMIC JACK PRODUCTIONの音楽を僕は聴いたことがないが、MIC JACK PRODUCTIONのメンバーであるB.I.G.JOEは、2003年オーストラリアで薬物密輸の疑いで逮捕され、その後現地で6年の刑務所生活を送ったのだそうだ。「ノンフィクション」というこの号の特集に合わせて、映画監督が「いつか必ず撮りたい映画、そのためにいま会っておきたい人」に会うというこの企画、B.I.G.JOEを主役にその人生をモデルに映画を撮りたいという三宅が彼から聞き出す話は、確かに『バード』『ハッスル&フロウ』などといったいくつかの音楽映画のイメージを鮮烈に呼び起こす。監獄で、偶然手に入れたテープレコーダを使って曲を録音し、検閲を逃れるためにプラスチックのカバーを外して中身のテープだけを、日本にいる仲間たちのもとに送ったというくだりは、まさに映画のひとコマのような強いイメージとして、心に残った。
 もうひとつの文章は、ECDによる連載コラム「幸福の追求」で、今回は「降伏のススメ」と題されている。彼は震災後の日本における「負け」を認めない風潮に対して、「負け」続けることの意義を説いている。そこでは彼がアル中だった(そしてこの文章によれば、彼は10年以上断酒しているいまなお「アル中」であり続けている)時期について触れられており、その「負け」と引き替えに手に入れたものについて書いている。
 このふたつの文章は、震災以降に僕が感じていた気分とかなりリンクしている。詳しいことはnobody ISSUE 35のエディトリアルに書いたのでそちらで読んで欲しい(書店の店頭でまだまだお求め可能です)。その文章の中で『アワーミュージック』の中の文章を引用した。「火事の時に家具を運ぶのは馬鹿げている。敗者としての幸運をつかむのだ」。やっぱりいまだに、復興だとか、普通の生活の回復だとか、支援だとか、そうした言葉になじめない。先週くらいからちょうど「勝利」が日本のメディアを賑わしていたけれど、僕にとっては「敗者の幸運」をつかもうとしているように見える、三宅やB.I.G.JOE、ECDのような人たちの方がよっぽど勇気をくれるように感じる。