ラグビーW杯2011──(2) オールブラックス対ジャパン 83-7 ワラビーズ対アイルランド 6-15 梅本洋一
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アイルランドが対ワラビーズ戦で見せた、勝つために戦術を絞り、そのためにチームがひとつになって戦う姿勢は見る者を単純に感動させた。もともとアイルランドはすごく誠実なチームでずっと贔屓にしていることは何度も書いたことがあるけれど、ゲーム後にオドリスコル主将が素晴らしい笑顔でインタヴューで語り続けているのを見て、とても良い気持ちがした。
このゲームは両チームともノートライに終わったのは、スコアの上では退屈なゲームの部類に入るのだが、アイルランドが勝つには、こうしたスコアしかあり得ないし、彼らは想定したゲームを実現しようとひとつになった。戦術を単純化したとき、選手たちのタスクも迷いがない。ペナルティは狙える位置ならば、すべてゴールを狙う。タッチキックからトライを狙いに行かない。スコアで勝つことがゲームだからだ。タックルに入る場合、ボールを殺しに行き、できる限りモールを形成することで、相手のアタックを遅延させ、ラックからリサイクルというワラビーズお得意のパターンに入らせない。後半途中でダーシーが怪我をしてオガーラに交代したが、セクストンよりキックにおいては一日の長があるオガーラの起用は、このゲームのアイルランドの戦術をより明瞭なものにした。
アイルランドがこの統一した戦術を先鋭化すればするほどスコアは拮抗する。裏返せばゲームが停滞する。あるいはスクラムを中心としたセットピースが増える。だから、アイルランドは、複数でボールを殺しに行くタックルとスクラムに80分間集中する。もともとそれほど力の開きはないからアップセットとは言えないかもしれないが、アイルランドがこのゲームに勝つには、この方法しかない。アイルランドがワラビーズよりも多くトライを取ることなど考えられない。だが、ゲームを殺すと呼ばれるこの戦術も、通常のリーグ戦ではクリエイティヴィティを削ぎラグビーの健全な発展を妨げると言われるだろうが、ワールドカップになると話は別だ。「対抗戦」を重んじるラグビーの伝統を信じる者には、ワールドカップなど、ラグビーには相応しくないという、20年前の議論を思い出してもいいだろう。ラグビーにとって重要なのは「この一戦」であって、リーグ戦の勝敗をソロバンで弾き、勝敗や点差を重んじるやり方などラグビーにそぐわないのだ。目の前の80分に「命を賭ける」。普通ならプール戦が終わってトーナメントになってから始まる緊張感をアイルランドがもたらしてくれた。
対オールブラックス戦のジャパンが、実力通り13トライを献上して惨敗する姿の後に、アイルランドにラグビーの伝統の力を見せつけられると、JKのジャパンへの不満が一気に爆発するのも無理ないだろう。大西鐵之祐の時代だったら、たとえ結果が敗北だとしても、惜しかった、残念だったという気持ちも湧くだろう。選手たちにしても、力の限りを尽くした80分を生きることが出来て、スポーツのゲームが人にもたらす時間の濃密さを感得することができたろう。だが、「織り込み済み」の敗戦を、最初から想定できる「惨敗」を生きるのは、選手たちにとって屈辱以外のなにものでもない。「捨て試合」をつくっていいのは、勝者たちに限られる。控えの選手たちがウォーミングアップ・マッチを体験するのは、オールブラックスの方であって、決してジャパンではない。結局、JKは、対ワラビーズ戦を「捨て試合」にした前回のW杯と何ら変わっていない。ぼくが見たかったのはオールブラックスにできる限りトライを許さない戦術であり、たとえ負けても惜敗に持ちこめるゲームだった。インターセプトから唯一のトライを上げた小野沢にしても、ゲーム後のインタヴューからまったく喜びが感じられなかったもごく自然なことだ。