ラグビーW杯2011──(7) アイルランド対イタリア 36-6梅本洋一
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前半のみを考えれば9-6という点差だったので、「我慢勝負」になるかと思ったが、アイルランドの見事なゲーム運びで大差になった。
戦術の統一、そしてメンタル面、アイルランドは本当に充実している。様々なチームからのセレクションではないので、まとめやすいのかもしれない。今回のW杯に出場しているチームの中で、もっともまとまっているのがアイルランドだ。誠実なタックル、どんなフェイズでも力を抜かない頑張り、ブレのないスキル……。誉め言葉はいくらでも見つかる。オドリスコルのキャプテンシー、オガーラの老獪なまでのキック、そして、このゲームで目立ったのは、フェリス、オブライエンのバックロー・コンビ。フランス語で、こういう選手たちへの賛辞として « Ils sont partout »「彼らはどこにでもいる!」──つまり、ボールがあるところにいち早く駆けつけるのはもちろん、大きな展開をするときにも、FWとBKの見事な繋ぎにはいる。極めて「伝統的」なバックローだけど、こんなふたりがチームにいれば最高だ。もちろん、ダーシー、オドリスコルのコンビだって、おそらく今回のW杯が最後になるんだろうが、名人芸の域に達している。フロント・ローのヒーリーから始まって、このチームは、血液がどくどく通っている有機体のようだ。
もちろん、昔からアイルランドは誠実だったのだが、ちょっと「昔気質」で「時代遅れ」の感じもあった。かつてのランズダウン・ロードの「古くて良い感じ」のスタジアムの雰囲気とも相俟って、「古き良きもの」は、たとえばフランスのアヴァンギャルドやフレアに完敗してしまうこともよくあった。でも、今度の誠実さは、「昔気質」ではない。ハイネケン・カップでのアイルランド・チームの活躍を見れば、そのことは十分に証明されている。今だって誠実さは勝利を収めるのだ。アイルランドにとって、ラグビーのスタイルとは、新たな戦術の開発ではないのだ。ラグビーの原則に従って、愚鈍なまでの誠実さをもって、自らのスキルに磨きをかけ、重要なゲームには、そのスキルと仲間への信頼を基礎に、気持ちを最高に緊張させて臨むこと。
蓮實重彦は、マキシム・デュカンについての長編評論『凡庸な芸術家の肖像』で、凡庸さの反対語は愚鈍であると述べていたが、アイルランドのラグビーを見ていると、愚鈍であることの優位性を感じるばかりだ。
さて決勝トーナメントの開幕だ。シックス・ネイションズからはスコットランドが消え、その代わりにアルゼンチンが入り、トライ・ネイションズの国々と戦うことになった。クォーター・ファイナルの4ゲームのうち3ゲームはどちらが勝つか予想するのが難しい。4ゲーム目のオールブラックス対ロスプーマスは、オールブラックスが有利なのは当然だが、ダン・カーターが怪我で出場できないわけで、ロスプーマスが徹底した「歩兵戦」(FW勝負)を挑むとき、どんな結果になるのだろうか。