メタボリズムの未来都市展@森美術館梅本洋一
[ architecture ]
六本木ヒルズの森美術館で「メタボリズムの未来都市展」を見た。
すごく驚いた! どれも巨大で、どれもナショナルで、どの企画も幻視的(illusionnniste)で、ほとんどのものがunbuiltで──つまり、幻視的であるがゆえに「机上の空論」なのか──、同時に、ほとんどのプロジェクトが極めて真面目に考えられていて、本当に驚いた。もちろん、unbuiltではないものでは、黒川紀章の中銀カプセルタワーだって、丹下健三の静岡新聞東京支社だって、銀座を歩けば何度も見ているし、代々木室内競技場のプールで泳いだことなんて100回以上ある(週刊平凡参照のこと)。つまり、展示物のほとんどは実物を見たことがあるか、書物等で知っている。けれども、それがこれだけ一同に会すると、メタボリズムの持っていた巨大なものを有機的に夢想する信じがたいエネルギーを感じる。
企画者の八束はじめが述べるように、メタボリズムのルーツは、それが発展した1960年代以前の戦後の焼け野原からの復興へのイメージ作りだ、というのはおそらく正しいだろう。ゼロサムで広大な瓦礫からスタートしなければ、このような夢想、幻視は生まれない。だからこそ、個々の建築物が希に竣工しているにせよ、その多くのプロジェクトはunbuiltのまま放置されていることになる。もう少し言葉を重ねれば、同時代としては、きっと大まじめなプロジェクトだったのだろうが、2011年の今から見ると、現実と乖離し、具象と乖離した括弧付きの「前衛芸術」の作品のようにしか見えない。建築や都市は、まずぼくらにとってリアルであるからこそ、ぼくらの発想が問題解決型であるのに対し、メタボリストたちのそれは、問題そのものを止揚する強い意志が感じられる。そして、その意志が、今から思えば、完全に空転しているのだ。エンジンは動き続けているが、タイヤは一向に回転していない。
これらの夢想、これらの幻視は、ぼくらの周囲では、1970年の大阪万博のお祭り広場の巨大な屋根と共に雲散霧消してしまった。それらは、1970年以前に、1969年の新宿の舗道や地下広場ですでに人々の視野から消えかかっていたのだが、大阪万博が最後の残り香のように、人は、「ここで」メタボリスのように考えるのを、夢想するのをやめた。現代のドバイの風景などを見ると、まるでメタボリストたちのunbuiltの作品が、アラビア半島の砂漠に甦ったようだ。だから、丹下健三は活躍の場を日本以外の場に求めなければならなくなった。あるいは、メタボリストたちの夢想を小ぶりに実現したのは、この展覧会が行われている六本木ヒルズかもしれない。六本木ヒルズがメタボリストたちの夢想の実現に近いからこそ、ぼくは、六本木ヒルズに強烈な違和を感じるのだろう。
そして、ぼくらの驚きは、時代の変貌への実感に接続される。たとえ東日本大震災で、東北地方の一部が戦後の焼け野原のように見えようとも、瓦礫が続く場所が原爆後のヒロシマに似ていようとも、建築家や都市計画家が、そこから思考するのは、決してメタボリストたちの幻視でも夢想でも、60年代に国土計画と呼ばれることになるものでもないだろう。今がゼロであるがゆえに、何をしても、何を夢想しても、今よりは数の多い、つまり豊かな結論に行き着くというのが、国土計画──なんだか西武系のスキー場の経営母体みたい──時代の確信だった。だが、2011年の、ぼくらは、たとえ今がゼロであっても、将来は、そこに正数が加算されるとは限らず、マイナスになる可能性も、正数が加算される可能性と同じ程度にあるだろうと考える。未来が明るいとは限らないのだ。そして、問題は、堆積した歴史の澱のような複雑な層を見つめた上で、ようやくその朧気な全貌を表すだけで、そこからクリアで正しい解を引き出すことはもう不可能なのだ、という確信がある。大きな問題を正々堂々と解決するのではなく、多様に重複を重ねる問題の中から、いくつかを抽出してそこに有効な解決を与えることしかおそらくもうできないだろう。つまり、今と近未来の接合を、縫合を不断に続行していくしかない。だから問題は、輝かしい未来のプロジェクトではなく、現在のリユースやリノヴェーションに移っていくことになる。