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March 14, 2012

「恐怖の哲学、哲学の恐怖——黒沢清レトロスペクティヴによせて」
ジャン=フランソワ・ロジェ

[ cinema , cinema ]

 黒沢清は、B級映画とジャンル映画でデビューした多作の映画作家だが、彼は、国際的な舞台で次々に評価される、異論を挟む余地のないほどに個人的な作品世界を築き上げてきた。彼は恐怖と不安の映画作家だと考えられてきたが、恐怖映画の諸々の規則が、彼にあってはしばしば、それを通して日本の文化的な歴史と社会的な現実を垣間見せるプリズムにもなっている。その演出術は、自らの映画から、これまで実現されたことのない極限の恐怖を産み出すのに貢献している。たとえ黒沢清が、文字通りのジャンルの束縛から喜んで離れる術を知っていたにせよ、彼の映画は恐怖の物語であると同時に、深淵で微妙な哲学的な疑問である。

 黒沢清は、おそらく映画においてもっとも困難なことに成功しているひとりだ。つまり、ジャンルの諸形式から滋養を受けながらも既存のカテゴリーを乗り越え、原初的で夢幻的な感覚をもっとも高次の思考と混在させ、欲動を冷徹な抽象化と混ぜ合わせることに成功している。つまり、黒沢清の映画にあっては、登場人物たちがいて、諸々の概念が存在している。幽霊たちがいて、現実が存在している。人間たちがいて、理念が存在している。あれは90年代の終わりのことだった。われわれの中の何人かが、それぞれさまざまな映画祭という場で、あまりにも知られすぎた映画監督と同じ姓(もう一人のクロサワ?)を持つ映画作家によって撮られた、本当に恐ろしい、奇妙な恐怖映画を発見したのだった。その映画は『CURE』という不思議な連続殺人の物語であり、そこでは、それぞれの事件で殺人者のアイデンティティが変わり、催眠術が重要な役割を演じていた。フレーミングは冷徹かつ厳密であり、暗く不安を与える雰囲気に満ち、いかなる詩情も拒まれ、既知のものと決定的な不可思議さとが混合された印象を与えていた。そうしたものの全体が『CURE』を魅力的なものにし、少しばかりの恐れを与えてくれた。このとき、この映画作家はもっとも豊かな活動の時期に入っていたのだ。彼は1999年から2003年のあいだに、現代の映画の中でもっとも重要な作品群に値する映画を次々に撮っている。『カリスマ』、『ニンゲン合格』、『降霊』、『回路』といった作品群とともに、われわれがこの映画界の「食人鬼」を発見したとき、彼の背後にはすでに豊かで波乱に満ちたキャリアがあった。黒沢清の初期の作品群を発見することこそ、このレトロスペクティヴの目的のひとつである。


現代映画とB級の間で
 黒沢清は1955年に神戸で生まれ、立教大学で社会学を学んだ。彼の映画への嗜好は、ヨーロッパ映画ばかりではなく、とりわけリチャード・フライシャーとドン・シーゲルに代表される1970年代のアメリカ映画、B級ホラー映画、日本映画のジャンルものから成っている。彼を魅了したのは、現代映画の形態上の転倒であり、ポスト・ハリウッドのジャンル映画の持つカオスを産み出す技法だった。彼は、日本のシネフィルの重鎮である蓮實重彦の薫陶を受けた後、相米慎二や長谷川和彦の助監督を経て、ギャング映画を異化した現代的なパロディである『しがらみ学園』を、彼の世代の他の映画作家たちと同じように8ミリで撮影した。彼はポルノ映画も2本撮影しているが、そのうちの1本は日活が気に入らず、封切られることはなかった。彼はジャンルの規則を遵守しなかったのだ。『神田川淫乱戦争』も『ドレミファ娘の血が騒ぐ』もーーロマン・ポルノというジャンルそのものが実験的なものではあったがーー、何物とも判別のつかないものだったのである。キャメラに正対する立ち位置、バーレスク喜劇のような正面性、新たなポップ・アートのような平面性、これ見よがしの文学や映画の参照の数々。そこには、ゴダールからの明らかな影響が圧倒的なまでに見られる。砂漠を横断してから、伊丹十三によって製作されたホラー映画『スウィートホーム』とともに彼は映画界に舞い戻り、1990年代初頭からTVドラマやVシネマに活動を広げていく。恐怖映画(「学校の怪談」シリーズ)や探偵もの(「勝手にしやがれ!!」シリーズ)は、彼のお好みのジャンルだ。


恐怖の映画術
 おそらく恐怖ほど彼の作品を正当に特徴付けるものはないだろう。彼は自らの作品を、苦悩の洗練された芸術の模範的な範例にし、不安の純粋な原理の応用にしている。なぜなら黒沢清は好んで恐怖を催す物語を語っているからだ。たとえば『CURE』においては、自分で人を殺す代わりに催眠術を用いて第三者に身近な人たちを殺させる連続殺人犯の物語を、『DOOR III』においては、熱帯の寄生虫に冒されてゾンビになった保険外交員たちの物語を、『降霊』では、自分の霊能力を証明するために夫と共謀して女の子を誘拐する霊媒師の物語を、『回路』では、インターネットを通じて徘徊し、青少年たちを自殺に追い込む幽霊の物語を、『ドッペルゲンガー』では、自らの分身の罠にはまったと思い込む男の物語を語っている。他の多くの映画の中でも、悔恨、あるいはずっと隠していたいこの世のものではない抑圧の表現である幽霊たちが立ち現れる物語が語られている。だが彼において恐怖とは、演出というものの非常に個人的な方向性からもたらされている。とても丁寧なショットは、取り返しがつかないほど具体的な恐怖に満ちている。不安なざわめきが次第に重く響くときはつねに、この映画作家が非常に重きを置いているフレーム外からは、危険が出現するおそれが感じられる。縦の構図で捉えられた不動の人影は、とりわけ恐ろしさを与える。色のしみ(『降霊』の少女のドレスの緑色や『叫』のワンピースの赤い色)は、観客たちの網膜に強い印象を与え、安心極まりない平穏をかき乱す。だが、黒沢清において恐怖とは、何にもまして哲学的であり本質的なものなのである。『ニンゲン合格』や『トウキョウソナタ』のようにジャンルを直接的に呼び起こさない作品であっても、恐怖は深く染み込み、人間と社会の間の、人間とそのアイデンティティの間の関係性について、比類なく知的に問いかけを行っている。


否定する力
 幽霊と伝染の物語を通じて黒沢清が追い詰めているのは、死の欲動であり、他者の消滅への欲望だ。夫婦の空間は、声なき脅迫の、告げられることのない殺人の欲望の場になり(『CURE』、『降霊』、『叫』)、仕事場もまったく同じオブセッションに取り憑かれていて(『地獄の警備員』、『DOOR III』、『CURE』)、家庭でも同じことだ(『叫』における父その人による子どもの殺人)。『カリスマ』において、周囲に立つ木々の荒廃を招くことで伸びていく1本の木のように、存在とは否定によってしか生き続けることはできない。つまり、存在は「ある」のだが、それが「ある」のは、存在の死においてのみである。「わたし」の変質、「わたし」の分離という仮定に感じられるめまいこそ、『ドッペルゲンガー』の深遠な主題だ。時間の宙吊り状態(『ニンゲン合格』は長い昏睡状態から我に返る)や世界の秩序の変調という蓋然性は、より不安に満ちた別の深淵へと開かれている。
 黒沢清の日本、それは、自らの歴史の悔恨とトラウマ、そして歴史の消滅への予感に取り憑かれて砂漠のようになった廃墟の世界になる。事実、黒沢清の映画には、カオスへの不安、『回路』や『カリスマ』に文字通りの出現する終末が近付いていることへのめまいを伴った意識が支配している。現代の日常生活、都会の孤独、サラリーマンの不安、超越的存在の不在は、別のタイプの個人を描き出す。そこから黒沢清は造形的な結論を引き出している。彼の映画では、人間の輪郭がそれまでにはなかったやり方で描き出されている。人間の輪郭が、幽霊になり、痕跡になり、影になり、染みになる。現代芸術が現代の世界を特徴づける人間の消滅の形を描くことに執着するとき、こうした黒沢清の方法は現代芸術の主要な関心事に結びつくことになる。


*この文章は シネマテーク・フランセーズで開催される黒沢清監督のレトロスペクティヴ(2012年3月14日-4月19日)によせて、プログラム・ディレクターであるジャン=フランソワ・ロジェ氏によって執筆され、カタログ掲載されたものである。
(翻訳:槻舘南菜子、坂本安美)