『ゴールデン・スランバーズ』ダヴィ・チュウ結城秀勇
[ cinema ]
1960年代から70年代前半にかけて、東南アジアを代表する映画の都であったプノンペン。だがポル・ポト政権によって、産業としての映画は完全に崩壊し、またフィルム自体の圧倒的多数が消失した。本作品はそれらの失われた映像を巡るドキュメンタリーである。黄金期の映画を直接的に記録するはずのフィルムは失われており、したがって作品中に引用される映画のシーンはごくごく限られたものである。その代わりに、その時代に映画作りを行なっていた者たち、またその時代に映画を見ていた者たちの言葉が失われた映像を巡って紡ぎだされる。そこにスチール写真やポスター、またフィルムはなくなってしまった映画のサウンドトラックなどが、色鮮やかに重ね合わされていく。「虐殺された映像」の静謐さと、その再現のためにおこなわれる、きわめて詳細な演出の手順を示す言葉の饒舌さという対比は、見ていて非常にエキサイティングだった。ホラー大国としてのカンボジアは近年再評価されつつあり、またカンボジア映画の数作が今回の東京国際映画祭でも上映されるようだが、この映画に出てくるスチール写真やポスターのひとつひとつ、またサウンドトラックの一曲一曲、どれをとっても優れてポップでインターナショナルな水準のものであり、単純にその映画を可能な限り見てみたいという欲望にかられる。
盛栄をきわめた産業がほとんど一夜にして、作品もその作り手もともに虐殺されるという状況は、容易に想像したり共感したりできるようなものではないだろう。セルジュ・ダネーはカンボジアを訪れた時の思いを次のように記している。「一九八九年、私は、リベラシオンのためにプノンペンとカンボジアの田舎をさまよっていて、映像がなく、ほとんど痕跡もない大量虐殺ーーそして大量の自死ーーが何に「似ている」のかを垣間見た思いがした。ナチの死刑執行人たちがその犠牲者をフィルムに収めたのに対し、クメール・ルージュは写真と死体置き場しか残さなかったという事実の中に、映画は、すでに人間の歴史と親密な形で結びついておらず、それは人間ならざるもののほうへと傾斜してゆく証拠を、私は皮肉な思いで理解していた」(『不屈の精神』)。『ゴールデン・スランバーズ』に登場する、当時を生き延びていま、自らがかつて作った映画の演出を口述する監督や、その言葉をもとに映像を再構成してみようと試みる若者たち、また作り手も関係者も死んでしまった映画を記憶し続けるシネフィルたちの姿は、人間の歴史と映画とをなんとか再び結びつけようとする手探りの試みであり、深く胸を打つ。
繰り返すが、こうした状況を安易なアナロジーで、フィルムを取り巻く現状と結びつけるのは慎まねばならないだろう。だが、ここには映画と人間の歴史を再び結びつけるためのアイディアがある。カンボジア映画界初のスター女優、ディ・サヴェットがこの映画の中でつぶやいていた次のような言葉は、歴史の証言であると同時に、今後困難を生きる者たちへの優れたアドヴァイスにもなり得るのではないだろうか。「あの頃、みんなで撮った写真を見るといつもこう思う。私たちははなればなれにされてはならなかったのだと」。