« previous | メイン | next »

October 26, 2012

『ミステリーズ 運命のリスボン』ラウル・ルイス
結城秀勇

[ cinema , cinema ]

パンフレットに掲載のインタヴューで、ラウル・ルイスは次のように語っている。「連続ドラマは、全てを消化することのできる優れた肝臓を持つ生物である」。この作品はラウル・ルイスという映画史でも有数の巨大な肝臓をもつ監督の持つ消化力が遺憾なく発揮された作品であり、同時に観客の肝臓を信頼した「ひらめき」に満ちた作品となっている。壮大で優雅であると同時にどこか胡散臭くもありそこがまた魅力であるという、ルイスの大らかさがここで申し分なく体験できる。
自らの姓も知らぬ孤児ジョアンが自らの出生に関わる謎を探り始めることからこの映画は始まる。だがそれは複数の謎のうちの任意のひとつに過ぎない。映画が進むにつれ、いったい誰が、いったいに誰のことを語っているのか、語りの主体と対象との関係が次第に不明瞭になっていく。それはこの映画が理解するのが難しい難解な映画だということを意味するのではない。むしろ冒頭に引用した監督の言葉通り、観客は連続ドラマを見るように身をゆだねていさえすれば、波乱に満ちた冒険の数々に連れ去られる。そのひとつひとつの冒険、あるいはひとつひとつの謎が、少年を末端とするスタティックな家系図を完成させるための手順にとどまらないことが、この作品の大いなる魅力である。
少年は母を知り、それを通じて、本当の父を知る。だがそれは謎のひとつに過ぎず、ほかの謎よりも相対的に重要であったりはしない。むしろそこから派生する挿話の豊穣さの方にこそ観客は魅了されるだろう。自らの誕生の場に立ち会ったふたりの男、育ての親でもあるディニス神父と、謎めいた貴族アルベルト・デ・マガリャンエス。彼らふたりの過去を巡る物語はこの映画全体において大きな比重を持つ。ジョアン少年の語りは、真実の父を知ることを契機として始まる、逆転された樹系図を生成するプロセスとなる。彼は、後天的に複数の父を作り出す。『宝島』でメルヴィル・プポーが演じた少年が、ジョン・シルヴァーをはじめとする大人たちと取り結んだ関係のように。
ラウル・ルイスが何度か描いた、この少年と複数の父のモチーフは、彼の映画に対する根本的な姿勢の一部を表明するもののように思えてならない。メルヴィル・プポーは、かつて一度だけラウル・ルイスとセルジュ・ダネーが出会ったことがあると話してくれた。そのエピソードは、想像上の父親を作り出す少年の物語という、映画史におけるひとつの系譜への私の興味を駆り立てる。子供の頃、両親との関係もよくわからない身近な大人に聞かされた、虚実入り混じったロマンティックな物語。そんなふうに作品と観客との関係を取り持つことができた監督のひとりとして、私はラウル・ルイスを記憶する。

『ミステリーズ 運命のリスボン』オフィシャルサイト 10/27 16:25〜の回上映前に、中原昌也×結城秀勇トークあり。