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July 21, 2013

フレデリック・パルド展 Frédéric Pardo Oeuvres choisies, 1966-1998
槻舘南菜子

[ photo, theater, etc... ]

《画家の友人。僕は長い間、絵画と映画の間で迷っていた。フレデリック・パルド、ロマン主義を継承した古典的であり、現実主義の画家。僕の友人であり、僕がもし画家として仕事をしていたら実現したかったであろうことをまさしくそのままに体現してしまう人物。

フレデリックの絵画は本当に偉大だ。彼は主題に彼の友人、愛した女性を選ぶ。それは空想に属する表層的な装飾を背景にあらわれてくるだろう。飾り気のない偉大さ、まさにシャルル・フーリエの《新たな愛の世界》とマグリットの想像の絵画と親和性を持っている。パルドは、ダリの時代、フランスでまったく名声を得ることはなかった画家、エルンスト・フックスを師と仰いでいた。その師からルネサンス以来伝承されてきたテンペラ画を学んだ。その技法は、いかに生きているかのように身体を描くか、自然をどのようにありのままに風景として描くかをパルドに教えた。僕は彼の信仰と恭順に感嘆せずにはいられない。》
Philippe Garrel, Frédéric Pardo, Fragmentes d'un journal


 フレデリック・パルド展が、パリ6区、ボザールにほど近いギャラリーLoevenbruckで7月12日より開催されている。ヴェルニサージュには、フレデリック・パルドの妻であるテレザ・パルドをはじめ、68年5月をともに生きた長年の友人であり、ザンジバールグループで共に映画制作を行っていた、フィリップ・ガレル、ジャン=ピエール・カルフォン、オリヴィエ・モセットの姿もあった。

 ガレルが『ギターはもう聞こえない』(1991)、『恋人たちの失われた革命』(2005)(原題:Les amants réguliers)に続き、『灼熱の肌』(2011)(原題:Un été brulant)に、フレデリック・パルドからインスピレーションを得た画家(ルイ・ガレル演じるフレデリック)を登場させたことは記憶に新しい。パルドは、1944年、画家の母(ジェジェ=デュボワ・パルド)と、パリ、オスマン通りに面する18世紀のフランス絵画を専門とするギャラリーを経営する父(フェルディナント・パルド)のもとに生まれた。父方の祖父はイスタンブールを出自とするアンティークのコレクター兼、バイヤーであり、パリに拠点を置く以前はニューヨークでアンティークショップを経営していた。1952年、父親の早すぎる死の後、ボザール通りにある、16世紀絵画を専門とするギャラリーJolasのディレクターであったマルセル=トゥビオ・コニックが彼の義理の父となる。母、ジェジェ=デュボワはシモーヌ・ド・ボーヴォワールと親しく、父フェルディナントはジャック・プレヴェールの友人。さらにジャン=ポール・サルトルはパルドの代父で、マドレーヌ・マルローが彼の代母だった。まさに芸術畑に生まれた彼にとって幼少時代からサンジェルマンは彼の遊び場だった。60年代の初頭、カフェ・ドゥ・フロールでダニエル・ポムルールとの出会いが彼に学業を捨てさせる。変化の時代、アンディ・ウォーホルのように、絵画だけではなく、映画(『処女の寝台』(1968)の撮影風景を捉えたドキュメンタリー『Home movie's』)、音楽(ピエール・クレモンティ、ガレル、ジャン=ピエール・カルフォン、ヴァレリー・ラグランジュと「Les Fabuleux Loukoums」――後に「Les Jeunes Rebelles」と改名――というロックグループに参加し、『処女の寝台』のサントラをインプロビゼーションで制作)への実践の要請に応じながらも、パルドは中世以来ほとんど忘れられていた技法であるテンペラ画に魅了される。彼が参照するのは北方ルネサンスの画家(ヨアヒム・パティニール、ヒエロニューム・ボシュ、マティアス・グリューネヴァルト)、あるいは、19世紀のアカデミーフランセーズの画家(ジャン=レオン・ジェローム)であり、絵画制作において、完全に同時代との関係性を断っていた。

 2005年に亡くなる以前の数年間、パルドは病床に伏していた。1966-1998年は、彼のほぼ全キャリアと言えるが、生涯を画家として過ごしにも関わらず作品はさほど多くはない。だが、彼が残した50数点の作品の中に、1960年代から70年代にかけて、ティナ・オーモン、ピエール・クレモンティ、フィリップ・ガレル、ダニエル・ポムルール……親しい友人たちを被写体とした多くの肖像画がある。1975年、パリのGalerie de Seine、2001年、ポンピドゥーセンターでの「Les Années Pop」と題された展覧会(ドラックから影響を受けた60年代の画家として紹介された)を除けば、作品は公の目に晒されることはなく、彼に関わる文献もまた現在に至るまでほとんど存在しないに等しい。パルドは徹底的に商業的であること拒絶した、まさに60年代、70代に所属していたグループ、ザンジバールの理念を体現したアーティストだったからだ。

 展覧会では、パルドの唯一の映像作品、『処女の寝台』(1969)の撮影風景を映したドキュメンタリー『Home movie's』が上映されていた。ヴェルニサージュから数日後、フィリップ・ガレルは、ギャラリーの前を通り過ぎようとした時、バベット・ラミィ のクローズアップのワンシーンに目を奪われたそうだ。その数時間後、彼女の突然の訃報を知ったという。

フレデリック・パルド展 2013/7/12-9/7 6, rue Jacques Callot
75006 Paris