『スター・トレック イントゥ・ダークネス』J.J.エイブラムス結城秀勇
[ cinema ]
もはや船長というよりただの上陸部隊の隊長じゃないか、という感じのUSSエンタープライズ号の艦長ジム・カークは、登場シーンからすでにとある惑星の原住民に追われている。その作戦の実行の際に絶体絶命の危機に陥ったミスター・スポックの命を救うため、現地の住民の文化に干渉すべからず、という規則を破り、カークは住民たちにエンタープライズの姿を見せながらもスポックの命を救う。そして助けたスポックからは規則を破ったうえに「非論理的な選択」だったと非難を受け、上司である提督には「責任がまったくない」と叱責される。このあたりで、これはどうも最後にカークとスポックが立場が逆転したシチュエーションで同じようなことが起こって、スポックはカークの感情を理解し、カークは責任とはなにかを学ぶ感じになるのだろう、と推測する。その推測は当たったようでもあり、当たらなかったようでもあるが、とにかくそれとは別の部分にいたく感動した。
カークがスポックに対して抱いた「特定の誰かを救いたい」という感情は、この作品全体に満ち満ちた感情だ。クルーであれ友人であれ家族であれ(そのみっつはこの映画の中ではほとんど同義のものとされている)、大切な誰かを守ること。そもそもカークをまず突き動かすのは、率直に言って大事な人を殺されたことに対する復讐心であり、そうした大切な誰かだけを守りたいという気持ちは、敵役であるジョン・ハリソンであれ、のちのち出てくる悪の黒幕であれ共有するものなのだ。そしてそれを規則と呼び、責任と呼び、愛と呼び、そのことが実現可能であることを能力と呼ぶ。だが、この映画が感動的なのは、若きエンタープライズのクルーたちが責任の重さを理解し、それに耐えうる能力を身につけるからではない。それとはまったく逆の事態が起こるからなのだ。
この映画の終盤、いろんなことが起こって動力を失い、操作不能なまま地球の重力に引かれて落下を始めるエンタープライズ。エンジンの回復のために、機関室に向かうカークとスコッティ。ぐるぐると回転しながら落ちていく、重力の制御が失われた艦内では、タイミングを見計らって手近なものに掴まるカークとスコッティのすぐ脇で、たくさんの乗組員が落とし穴と化した長い廊下を墜落していく。吹き抜けのホールのような空間で、シャンデリアのようにぶら下がる壊れた機器にしがみつく乗務員たちがいる。それを横目に通り過ぎ、自らも瀕死になりながらエンジンを再起動させたカークにスポックは言う。「あなたはクルーを救いました」。本当にそうなのだろうか? たしかにこの船のブリッジにいるたかだか10人程度の人間は誰も死ななかった。彼がいなければ死んだだろう多くの人が生き延びた。だがおそらく数百人規模だろうエンタープライズの乗組員のうち、画面に映らないどれだけ多くの人間が死んだのだろうか?
この作品の序盤からチラチラと画面に映り込む放射能の三角形のマークや天地が逆になった空間を見て、多くの日本人が2011年3月の大地震と原発事故のことをなんとなく思い出すだろうし、めくれ上がる大地が都市を飲み込んでいく様は津波のようでもある。宇宙艦隊本部ビル目掛けて空中から落下してくる黒い物体を、付近の人々が立ち止まって見上げる様子には、誰がどう見ても、2001年9月11日の世界貿易センタービルの姿が頭をよぎる。それらは「責任」やちょっとやそっとの自己犠牲などでは、止めることも弱めることもできないものだ。前述した空中にぶら下がっていていまにも落ちそうな乗組員たちを見て、スコッティはカークを呼び止める。しかしカークは、確実にその光景を目にしながらも、あたかもなにも見なかったかのように先を急ぐ。それは、自分にできる最善の選択をとったプロフェッショナルな決断のようには見えない。彼に制御可能な事態と制御不可能な事態との見分けがついているようにも思えない(彼の選択した行動の方も、だいぶ制御不可能な感じ)。あの時あの場には、艦長の権力をもってしても、どんなにすぐれた能力をもってしても、制御不可能な事態が紛れ込んでいた。カークはそれを責任の名の元にすべて救おうとしたりはしない。コントローラブルなものとアンコントローラブルとが混濁した状況下で、彼は、ほとんど自己満足的な自己犠牲を見せる。その英雄的な行為自体よりも、背後で次々に死んでいく乗組員たちを見て見ぬふりをしながら、そのことに確実に気づいていることが、強く胸を打った。どれだけの責任と能力をもってしても、人は死ぬ。
この映画のラスト、意識を取り戻したカークはスポックと次のようなやりとりをする。「Thank you, Mr. Spock」「You're welcome, Jim」。ニヤッと笑うカーク。山のような死体を後ろにして、なおも見せるクリス・パイン=ジム・カークの、このすっとぼけたような微笑みこそが、J.J.エイブラムス版「スター・トレック」シリーズにおける特筆すべき美点なのだ。