『祭の馬』松林要樹結城秀勇
[ cinema ]
『花と兵隊』という映画を見た誰もが抱く感想なのではないかと思うのだが、私もまた多分に漏れず、この映画からビルマ・タイ国境にとどまった旧日本軍兵士の数奇な運命などといったことを考える以前に、まず真っ先に「みんな奥さんがとんでもなくカワイイな」と思ったのだった。それとほとんど同じレベルで、『祭の馬』の冒頭10分間ずっと思っていたのは、映る馬のどれもがみな美しい顔をしているということだ。彼らは震災によって津波にさらわれたが全員が生き延び、だがその後の原発事故によって二週間の間、置き残されたエサだけで生き延びねばならなかった。その間に38頭のうちの9頭が死んだ。生き延びたものたちも、栄養は足りず肋が浮き出、津波にさらわれたときの怪我は化膿し悪化している。なかでもミラーズクエストという元競走馬は、傷から入ったバイ菌で男性器が腫れ上がり、抗生物質の投与などの治療によっても元には戻らないままにいる。殺処分を国から命じられ、それに従わなかった所有者によって生き延びたものの、結果的に立ち入り禁止区域内に延々と留め置かれていたという、まさしく人間以下の扱いを受けた彼ら。だがその浮き出た肋や化膿した傷、股間でぶらぶらと無用に揺れる男性器などにも関わらず、憐れみや憤りを感じる以前に、彼らをまず美しいなと思い、そして好きになってしまう。
これがこの作品の正当な評価につながるのかはわからないが、ミラーズクエストは、震災について撮られたフィクション、ドキュメンタリー問わず数多くの映画の中で、私が最も感情移入してしまった登場人物だ。ただひたすら速く走ることだけを追求して改良されたサラブレッドという種族に生まれ、競走馬になる。だがそれとても華やかな中央競馬ではなくて地方競馬。そしてそんな地方でも4戦して一勝も上げることなく故障。相馬の馬喰に買われ、伝統行事の野馬追祭のために治療を受け、ゆくゆくは食用になるところで被災。腫れ上がった性器をもってしては、本来そのために生まれたはずの「走る」ということさえ明らかに困難になっている。にも関わらず、所有者の田中さんの言うように、「金玉は腫れても馬っ気だけは強い」。腫れ上がった男性器をぶらぶらさせていようとも、栄養不良で毛並みは乱れても、黒毛に紫の轡をつけた姿は依然威風堂々としている。
勘違いされては困るのは、私が彼に共感するのは、その不遇な運命によるものではないということだ。別に津波が街を襲わなくとも、その街に原子力発電所がなくとも、彼がまかり間違っても競走馬として復帰し、地方馬の星になるなどということは決してなかっただろう。伝統行事に参加してゆくゆくは食用になるだけの運命。彼の腫れ上がったペニスさえ、直接的に放射能によるものではない。にも関わらず、彼は被災した。そしてそこは原発から20km圏内だった。国の管理下で避難所に閉じ込められ、自分の居場所がどこなのかさえ報道に知られてならない。しかも彼は「私は故郷を奪われた」などと語る言葉さえ持たなかった。
その姿が、たしかにあの地震とその後の原発事故でなにかを失いながらそれがなんだったのかすらもよくわからないでいる、福島から遠く離れた私たち自身のことを思い出させる。そしてそこで失われたものなど、ただ気づかなかっただけで、なんの事故も天災もなくとも既に失われてしまっていたものだったのかもしれない。でもいまもなお自分たちを取り巻く危機が「under control」(安倍晋三)だなんてちっとも思えない私は、原発とは関係のないペニスの傷を建屋から立ち昇るキノコ雲そっくりに変形させたミラーズクエストの姿が、損失の回復でも代替物の獲得でもなく、交換不能な自らの傷とともに生きる方法についてのアイディアを与えてくれるように感じたのだった。