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April 13, 2014

『ダブリンの時計職人』ダラ・バーン
三浦 翔

[ cinema ]

 夕焼けの海辺の中でフレッド(コルム・ミーニイ)が見上げるのは、落書きをされた彼の車がいきなりクレーンで廃棄にされるという光景だ。ダラ・バーンという監督はもともとドキュメンタリーの監督だと聞いていたものだから、いかにも嘘っぽく見えるこの始まりには、正直戸惑ってしまった。ただそんなことは私の勝手な思い込みに過ぎない。時には幻想的な光を帯びるアイルランドの自然や街のなかでユーモアを炸裂させながら、どのように映画として現実と向き合っているのかを見る必要がある。
 テンポのいいカット割りによるスピーディーな構成は、玉突きのようになんの脈絡もなく出来事が訪れる日常を描いているわけだが、この作品で重要なのは「停止」と「再始動」の瞬間である。フレッドはふと訪れたプールで飛び込み台から飛びこもうとするのだが、手だけが伸び腰はその場にとどまってしまう。コメディのようにユーモラスなこの場面で見逃してならないのは、フレッドが踏み出せない人であるということだ。フレッドが、同じくホームレスの隣人であるカハル(コリン・モーガン)と失業保険申請へ向かったところ、住所が無いという理由で乱暴に扉を閉められて断られる。また、プールで出会った身分違いのピアノ教師の女ジュールスも夫を亡くしており、この作品の登場人物はみな踏み出すことを禁じられた人たちなのだ。
 彼らの時間はまるで止まってしまった、とでも言えそうなくらいの問題を抱えているが、映画内ではそんな悲壮感を漂わせる暇もなくポンポンと物語を押し進めるシーンが散りばめられている。例えば、フレッドとカハルが普段は「住んでいる」車に「乗りこみ」、意地になって山道でドリフトの技術を競い合う場面。また、フレッドが家と化した車で、カーオーディオをかけタンクの水で顔を洗いボンネットの裏から鏡を取り出して髪形を整えデートに向かう場面しかり。
 こうしたユーモラスな出来事の一つ一つに感応し、勢いづいたフレッドとカハルが失業保険の役員に対し「ダブリン海岸駐車場マツダ626」という住所を名乗り、それまでの行き詰まりを一気に突破してしまう姿はいかにも痛快だ。のちにフレッドは、「家」に住むことが出来るようになった。だから、終盤でもう一度見ることになったあのクラッシュシーンは、終わりであると同時に次の生活の始まり、つまりお引越しなのだ。あたかも冒頭で終りを予期させながら、ラストで始まりへと転換する術は、明快で気持ちが良い。「停止」から「再始動」へと転換することで、この映画の持つ運動を綺麗にまとめ上げるのである。
 しかし、厄介なことに幸せだけがトントン拍子で訪れるわけがない。カハルはドラッグの借金を払えず、突然来たやつらに暴行されてしまう。頼みの綱の親にも見捨てられ、結局お金を払えず瀕死に追い込まれ、最後の一服を味わい死んでしまう。ただ、カハルが親父の腕時計を大切にしていたという事実を、フレッドが自ら修理した腕時計を渡しながら親父に伝える。こうしてカハルの魂もきちんと救ってやる監督の優しさに私は「甘い」などと言えず素直に感動してしまう。良いことも悪いことも突然やってきて、結局原因なんてよく分からないが、ただ綺麗に歯車を噛ませてトントンと素直に勢いづくことが前へ進みだす一歩になるのかもしれない。だからこそ、ラストショットで、遂に飛び込みを果たしたフレッドを私は祝福したくなるのである。

2014年3月29日(土)より新宿K's Cinema 、渋谷アップリンク他全国順次公開。