『オール・ユー・ニード・イズ・キル』ダグ・リーマン渡辺進也
[ cinema , sports ]
2008年ぐらいに『ジャンパー』という映画があって、これは主人公が時空を飛び越える能力を持っていて、敵からその能力を使って逃げ切るというものだった。この映画で主に展開されるのは、(実際にはあったのかもしれないが)敵との戦闘シーンではなくて、ひたすら主人公が逃げるというものであって、その能力の発揮の仕方がハードルのように跳ぶと東京からエジプトというように瞬間移動するということもあり、ハードル競技を見ているような何とも不思議な映画だった。
『ジャンパー』を監督したダグ・リーマンの新作は、何度死んでも同じ時間の同じ場所にリセットされて戻ってきてしまうというものである。
地球外生命体に征服されてようとしている地球で、軍の広報であるはずのトム・クルーズ(彼の役名はCAGEである)が突然に戦闘の最前線へと連れ出されることになってしまう。銃の撃ち方さえわからない彼が殺されるのも時間の問題。あっさりと殺されると、しかし次の場面では出撃前日の基地へと戻されている。本当はもっとややこしい設定がいろいろあるのだけど、それは実際に見て確認してもらうこととして、ひとつだけ特記することがあるとすればトム・クルーズは死んでも死ぬ前の知識が蓄積されているということで、次に少佐から何を言われるのか、次に敵がどこから現れるのかを知ったままに再び同じ時間を生き直すこととなる。
それはまるでテレビゲームみたいだと誰もが思うだろう。ノコノコにハンマーをぶつけられてゲームオーバーになったから、次はハンマーを投げた後のタイミングを狙って進もうとか。トム・クルーズがやっていることはまさにそういうことで、ゲームをする側の経験値がトム・クルーズに蓄積されていく。ただ、違うのは彼にはゲームオーバーが訪れない。大ボスといってもいい敵の本体を倒すまでは、いつまでも死んでは基地に戻るのループを繰り返す。だから、原作のタイトルよりもEdge of Tomorrowの方が映画の内容をはるかに表していると思う。明日を越えて明後日を迎えることがトムにとっての目的となるのだから。
トム・クルーズは同じ時間を何度も繰り返し死に続ける。そうするとゲームみたいに感じていた以外の部分も出てくる。いいなと思うのは、最初にモサっとした感じで出てくるトムが同じ時を何度も経験することによってかっこよくなっていくことだ。銃の撃ち方がわからずに喚いてた彼の姿はいつしか百戦錬磨の兵士になっている。そして、当然トムの映画なんだからヒロイン(この映画ではエミリー・ブラント)がいて恋の予感が漂うわけなのだが、そこで繰り返しの死が意味するのは、トムばかりが彼女のことをよく知ることになり、彼女のほうはいつだってトムと初めて会うことになるので彼のことを何も知らないままということ。
トム・クルーズは何度も死に、何度も生き返る(『M:I:Ⅲ』のことを思い浮かべている)。トム・クルーズは初めて会うはずの人のことを何でも知っている(『ナイト・アンド・デイ』のことを思い浮かべている)。だから、トムが女性を見る視線はいつだって熱いものなのだ。それなのに彼女たちはトムの視線の意味を感じてはくれない。何で気づいてくれないんだろうか。何で忘れてしまっているんだろうか。
『ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル』のラストでトムの視線にミシェル・モナハンが気がつかないということ(nobody37小出豊「世界のすべてをふりかえるために」を参照のこと)。あそこまであからさまではないけど、ここでもまた繰り返されているかもしれない。でも、僕はそういうトムが意外と嫌いではない。