『エンリコ四世』マルコ・ベロッキオ渡辺進也
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アストル・ピアソラの、うねってるというか弾けてるというか、スクリーン上で何ひとつ起こっていなくとも何か意味があるようにしか聞こえない、一言でいうとラテン風のドラクエみたいな音楽が流れている。その音楽をバックに車が林の中を進んでいく。
車に乗っているのは運転手の他に、精神科医風の男、後部座席には妙齢の女性とその彼女の愛人風な男。精神科医風の男は若い男が仮装した姿の写真を見ていて、その理由を質問している。「カーニバルの仮装行列で彼はどうしてエンリコ四世を?」「私がカノッサのマチルダ夫人を希望したから」「それに何の関係が?」「カノッサのエンリコ四世と同様に彼は私にひざまずいたのです」写真の男はエンリコ四世と同じように女に求愛をしたらしい。そして、それはうまくいかなかったらしい。これからこの車が向かうのはこの若かった男のところだということがわかる。
女が視線を向ける車外では、仮装行列の一団が野原を馬で駆けている。気が付けば車の中が現在で、車の外が過去を示すようになっている。馬に乗った男が突然落馬して気を失い、夜になれば刀を持ってパーティ会場をあらす姿を見ることになるだろう。会場の誰かが叫びだす。「気が触れてるぞ」。その後、この男は自分がエンリコ四世だと思い込んで生活することになるだろう。侍者に身の回りの世話をさせ、商売女を閨に呼ぶことになるだろう。そして、彼らはエンリコ四世にあわせて、自分たちもその周りの者として振る舞うことになるだろう。そして、車でやってきた者たちも彼の住む城に到着するやいなや洋服をエンリコ四世の時代の衣装へと着替え、彼を王様として扱うことになるだろう。何かにぶらさがりながら奇声をあげる男に対して、狂人に接するようにおそるおそるというかたちで。
ちなみに、マストロヤンニのうめき声や笑い声の声量が圧倒的であることはこの映画の中のすぐれた点のひとつだろう。音を大きくしているのではなくて、声そのものが大きいというのがわかる声量なのだ。この映画を見るとマストロヤンニがいい舞台俳優でもあることがよくわかる。
正直、マストロヤンニが本当に狂っているのか演技をしているのかよくわからない。演技をしているのであればそれは女たちに対する復讐のためなのだが、それもどこがふざけているようである。『エンリコ四世』のおもしろいところは、マストロヤンニ演じる男が狂っているかどうかではなく、狂っていると思われている男に対してその周囲がどのようにふるまうかというところである。復讐という目的を持っているのはマストロヤンニなのに、話を動かしているのはマストロヤンニに対して狂人であると思っているのにそうではないように振る舞って結果だまされている人たちである。マストロヤンニの狂気は狂気でなくなり、復讐のための凶器は凶器でなくなる。そういうメビウスの輪のような裏返りの瞬間、あるいは冒頭の車で過去と現在が近接してしまっているようなねじれがあるような気がしておもしろい。
ベロッキオは若いときの映画になるほど生々しい活力に画面が漲っているような気がしている。