『消えた画 クメール・ルージュの真実』リティ・パニュ中村修七
[ cinema ]
リティ・パニュの映画は、不在をめぐる映画だ。彼の映画はいつも何らかの不在を抱え込んでいる。『さすらう者たちの地』(2000)では、被写体となる人々が敷設工事を行っている光ファイバーケーブルを利用することになる人々の姿が不在だった。あるいは、光ファイバーの敷設工事を行っている人々がそれらを利用して恩恵を蒙ることになる映像は、撮影されることがなく、失われたままだった。『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(2002)では、収容所で殺された犠牲者たちが不在だった。犠牲者たちが不在であるのは、彼らが死んでしまっているからだ。『アンコールの人々』(2003)では、遺跡で観光客相手に土産物を売る少年の母が不在だった。彼女が不在なのは、少年が幼い頃に家を出て行ってしまったからだ。『紙は余燼を包めない』(2006)では、声を響かせるばかりで姿を現すことのない、娼婦たちの雇い主の姿が不在だった。『飼育』(2011)では、軍部とクメール・ルージュが抗争を続けていた時代の農村に暮らす主人公の少年の両親が不在だった。そして、『消えた画』では、クメール・ルージュ時代に飢餓や病気や処刑によって死んだ人々が不在だ。また、『消えた画』においては、クメール・ルージュがカンボジアを支配する以前に人々が過ごしていた幸福な日々の映像やクメール・ルージュ時代に人々が経験した悲惨な日々の映像が失われている。クメール・ルージュの犠牲者が不在であるのは、『S21』におけるのと同様に、彼らが死んでしまっているからだ。クメール・ルージュによって打ち壊されてしまう前の幸福な日々はリティ・パニュの記憶の中にしか存在せず、悲惨な時代に人々が過ごしていた日々はクメール・ルージュが製作した公式の記録映像において撮影されることが殆どなかった。
リティ・パニュの倫理は、別の何かによって不在を代行させないという点にある。したがって、彼の映画は、加害者たちにかつての行為を再び演じさせる設定を持つという点で『S21』に影響を受けたことが明らかではあるものの、加害者たちによる殺人や襲撃を再現するために被害者の息子や田舎の村に暮らす人々に被害者の役を代行させ、挙句の果てには加害者に被害者の役を代行させてしまうような映画とは決定的に異なる。別の何かによって不在を代行させてしまうことに対して疑念を抱くことがないような映画が「衝撃」といった言葉とともに人々の関心を集める時代にあって、別の何かによって不在を代行させることを決してしないリティ・パニュの態度は貴重だと思う。
『消えた画』においてパニュは、一方では、公式映像から除外された、クメール・ルージュ時代に彼自身が実際に体験したことに近い記録を撮影したフィルムを探し、もう一方では、土人形を用いた映像を撮影する。
パニュは、クメール・ルージュによって作られた公式の記録映像の嘘を暴き、スローガンの空疎さを突く。そうすることで、パニュは公式やスローガンに対して抵抗する。また、稀にだが、公式的に撮影された映像においても、抵抗を示しているものがあることをパニュは明らかにする。収容所において撮影された写真の中には、レンズを真正面に見据えて、写真を見る者たちの眼を決然と見つめているかのような少女の眼差しを捉えた写真がある。さらに、記録映像を子細に見つめると、子どもたちが過酷な状況下で働く姿を捉えた映像や、ろくな治療を受けることが出来ないままに病院で体を弱らせていく患者の姿を捉えた映像もあった。パニュは、映像を分析することによって、そこに抵抗を見つけ出す。
クメール・ルージュは、農村で働く人々に見せるために、銃を持った敵兵たちと素手で戦う兵士を素人たちに演じさせたプロパガンダ映画を作っていた。野外で夜に上映された退屈な映画を見ていた人々は、昼間の労働によって疲労していたこともあり、上映のあいだ眠っていたそうだ。
土人形たちは、確かにクメール・ルージュの犠牲者となった人々を再現している。とはいえ、土人形は亡くなった人々を代行しているのでは必ずしもない。土人形たちの姿を撮影することは、死者たちの眠る大地を撮影することでもあるからだ。『消えた画』は、クメール・ルージュの体制下において製作された公式映像に抗して、土人形たちを撮影する。犠牲者たちが葬られた大地の土と水を用いて作られたという背景において、土人形たち自体が、大地から生まれてくる抵抗だ。また、土人形を作り出することが抵抗でもあるという意味において、『消えた画』では、抵抗は創造とともにある。
ところで、リティ・パニュの映画は、エドワード・サイードのことを想起させる。公式の記録映像に対してそれとは別の視点から土人形の映像を提示することは、サイードが述べていたような「対位法」だからだ。また、サイードは文化について「抹消削除に抵抗する記憶形式」とも「分析する力、権威筋からの紋切型表現を鼻であしらい、公然たる嘘を見抜いてそれを正す力」・「権威への問いかけ、別の選択肢の探求」(『文化と抵抗』)とも述べていたのだが、パニュの映画は、サイードが述べていたような文化の特質を備えている。
さらに、パニュが大江健三郎の『飼育』を映画化していることを思い起こすならば、パニュとサイードと大江という三者による布置を考えてみることが可能だろう。パニュとサイードと大江によって形成される三角形を通して浮上してくるのは、ユマニスム(人文主義)の伝統だ。渡辺一夫はユマニスムについて「人間をゆがめる一切のものを尋ね続け批判し通す人間の貴重な心根」(『フランス・ルネサンスの人々』)と述べ、サイードは人文学について「紋切型への抵抗であり、ありとあらゆる類の月並みな考えや頭が空っぽの言語に抵抗するもの」(『人文学と批評の使命』)と述べていた。ユマニスムを、大江は師である渡辺一夫から継承し、パニュは教育者だった父親から継承した。クリストフ・バタイユとの共著『消去 虐殺を逃れた映画作家が語るクメール・ルージュの記憶と真実』でパニュは、「次の世代に伝えること」・「知識を手渡すこと」という父の仕事を続けると述べていた。
『消去』でパニュは、クメール・ルージュとは消去だと述べる元収容所長の発言を引用している。だからこそ、彼は、人間性や知性などを取り戻させてくれる、「消去に対する闘い」として自身の闘いを捉えている。そして、アラン・レネの『夜と霧』の中に自分たち自身の姿を見出し、アウシュビッツから生き延びながら50年後に自殺を遂げたプリーモ・レーヴィの最期に怯えていると告白する彼が願っているのは、同書を通して「高貴さと尊厳」を取り戻すことだ。
また、同書でパニュは、「悪の凡庸さ」(ハンナ・アレント)に対置して「善の凡庸さ」という表現を提示している。「善の凡庸さ」として彼が述べているのは、道徳的な力でクメール・ルージュに対抗した父や勇気と優しさを示した母の生き方などが現していた「善の日常性」だ。パニュは、人間的な良い部分が消えることなく存在するということに希望を見出している。
『消えた画』のナレーションでは、パニュにとって「喪の仕事」はまだ終わりそうにないと語られていた。フロイトによれば、不在の対象に向けられたリビドーを解き放っていくことが「喪の仕事」だ(「喪とメランコリー」)。「喪の仕事」を通して人は、リビドーが向けられていた対象が存在しないという現実を受け入れていく。別の何かによって不在を代行させることがない『消えた画』という映画が示しているように、不在は不在として捉え、あるものはあるものとして捉えながら、パニュは「喪の仕事」を続けている。
渋谷ユーロスペースほか全国順次公開予定