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September 21, 2014

『ヘウォンの恋愛日記』/『ソニはご機嫌ななめ』ホン・サンス
隈元博樹

[ cinema ]

 『ヘウォンの恋愛日記』では、女学生のヘウォン(チョン・ウンチェ)と映画監督の大学教授(イ・ソンギュン)、そしてアメリカの大学教授を名乗るジュンウォン(キム・ウィソン)との三角関係が描かれ、『ソニはご機嫌ななめ』では女学生のソニ(チョン・ユミ)と元カレのムンス(イ・ソンギュン)、先輩のジェハク(チョン・ジェヨン)、大学教授のドンヒョン(キム・サンジュン)による四角関係が描かれる。ひとりの女性によってつなぎとめられた各々の恋愛模様のなかに、ホン・サンス特有のショットが反復され、その反復の積み重ねから生み出される微妙なズレを掬い取っていく。とくにここ数年のあいだに公開されたホン・サンスの作品群は、彼の映画を特徴づける「反復とズレ」の境地に達している。登場する男たちも映画学校で教える監督やその関係者であれば、相対する女は学生もしくは昔の元カノ。そしてフレームのなかの人物たちが相対するときのズームイン・アウトの出し入れも、もはやホン・サンスならではの作法と言ってもよい。仮に監督名やタイトルが伏せてあったとしても、冒頭から数分ののち、この映画がホン・サンスの作品であると誰しもが言い当てられるだろう。
 このようにしてホン・サンスの反復を追いかけていくと、彼の映画のなかにどこか小津安二郎の息吹を見いだしてしまう。それは小津の映画もひとつひとつの「反復とズレ」による物語だったからだ。たとえば小津の映画群は、結婚という通過儀礼を反復している。そのなかで見えてくる原節子や司葉子といった女性たちの姿をはじめ、行きつけの「若松」や「ルナ」のバーカウンターで娘の安息を願いながら泥酔する笠智衆の姿しかり、はたまた飯屋であれば「アンチヘブリンガン」と連呼する同窓中年3人衆の他愛のないバカ話とは、そうした反復の産物であるズレであったはずだ。厚田雄春のキャメラに洗練されたあの独特なルックも去ることながら、小津の映画に存在する反復とズレとの漸近線に、反復とズレに興じたホン・サンスの映画が存在している。小津が「反復とズレ」の人であった以上、ここ数年のホン・サンスもその小津の境地にきわめて親しい地点に達しているのだ。
 「反復とズレ」に関してもうひとつ。これまでのホン・サンス作品は、つねに特定のキャメラマンが担当しているわけではない。今回だと『ヘウォンの恋愛日記』は『女は男の未来だ』『浜辺の女』『次の朝は他人』を担当したキム・ヒョングに、『ハハハ』や『3人のアンヌ』のパク・ホンニョルが加わっている。いっぽう『ソニはご機嫌ななめ』はパク・ホンニョル単独のキャメラだ。両者のちがいを端的に言えば、そこに決定的な路地が存在しているか否かであり、前者は西村(ソチョン)の広大な南漢山城と対照的な路地があるけれど、後者は冒頭とラストを除いたそのほとんどが、室内空間における男女の会話と呑み食いに終始している。だから一見似たようなショットが連なっていたとしても、そこに起こるできごとや被写体との反復に微細なズレが生じているのだ。
 しかし、そのキャメラマンの選択と体制がいつもうまくいっているとはかぎらない。『ソニ』の冒頭からもわかるように、パク・ホンニョルは非常に適切なリズムでキャメラを据えようと腐心するキャメラマンだ。いっぽうキム・ヒョングは、ポン・ジュノの『グエムル 漢江の怪物』や『殺人の追憶』をはじめ、アクションやドラマを空間やロケーションの問題へと還元していくことに長けている。だから『ヘウォン』のキャメラはキム・ヒョング主導の映画であり、彼はパク・ホンニョルよりもホン・サンス映画との親和性が高いにちがいない。こうした自身の映画を生み出すスタッフィングでさえも、ホン・サンスにとっては反復とズレの対象だと言うべきか。ホン・サンスにおける反復とズレとは、何も物語の問題だけではなさそうだ。

シネマート新宿他 全国ロードショー中

  • 『アバンチュールはパリで』ホン・サンス 梅本洋一
  • 『3人のアンヌ』ホン・サンス 隈元博樹