『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』ジェームズ・ガン結城秀勇
[ cinema ]
最近毎日これを聞いている。
Guardians Of The Galaxy: Awesome Mix, Vol. 1 [OST] - Full album 2014
正直言ってこれがサントラとしてそんなに秀逸だとも思わないし(厳密にはサントラではなく登場人物のひとりが聞いているBGMなわけだが)、作品内での一曲一曲の使い方もそんなに飛び抜けてすごいということもないと思う(例えば最近聞いた「Ain't No Mountain High Enough」なら、『早熟のアイオワ』で三姉妹が熱唱するところの方が感動した)。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でこれらの楽曲が収められたテープが重要な意味を持つのは、クリス・プラッツ演じるピーター・クイルにとって、母なる地球および母そのものとの絆がこれしか残されてはいないからなのだが、だからと言ってこのテープに吹き込まれた楽曲のひとつひとつが、彼の失われた故郷へのノスタルジーを観客に想起させるかというとどうもそうではない気がする。しばしば画面に映り込むトロール人形だとか『フットルース』とか、そういった80年代的なガジェット同様、60年代中盤以降70年代中盤までの曲を中心としたこのテープに、ある種の観客はノスタルジーを感じることだってできるだろう。そうだとすれば、彼らにとってそれらが新しいものの中に埋もれてしまったものだからだ。しかし1988年に母を亡くし、そのまま速攻で宇宙人にアブダクションされたピーターにとっては、それは原点にして最新、唯一無二のサウンドトラックなのであって、ノスタルジーの対象ではない。同時により重要なのは、このテープに入った曲は彼が選別したものではなく、彼の母親が子供の頃に聞いていた曲だということだ。「Awesome Mix, Vol. 1」に詰まっているのは88年に中断された彼自身の幼年時代なのではなく、他の誰かの幼年時代なのだ。一曲一曲が分かち難い特別な記憶に結びついているわけでもない、良くはあるがどこか匿名的で凡庸なAwesomeさ、それがおそらくピーターというキャラクターの特徴でもあるだろう。このテープの曲は失われたものの思い出で強化されるのではなく、思い出なしに日常として反復し続けることで強化される。自分のものではない、どこかの誰かの幼年時代を、彼は現在として生き続ける。
『マネーボール』の肩を壊してキャッチャーとしては役に立たなくなった野球選手、『LEGO®ムービー』の、すべてが交換可能なパーツの組み合わせで出来ている世界の中でもとりわけなんの特徴も持たない人物。そんな役をしばしば演じるクリス・プラッツが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の主人公であるのは大いに意味がある。アライグマかわいいとか、巨神兵みたいな木のやつとか、個人的にはまったくどうでもいいと思ったが、ジェームズ・ガンという監督が『スリザー』や『スーパー!』で行ってきた試みの先にあるのはこの映画のクリス・プラッツだ。増殖する凡庸さに抗するに、凡庸さをもって当たること。彼の凡庸さはまったくもってAwesomeだ。