『ジャージー・ボーイズ』クリント・イーストウッド吉本隆浩
[ cinema ]
「あ、この曲聞いたことがある!この人たちが唄っていたのか。」こう思った瞬間、人々は不思議と感動に包まれる。監督のクリント・イーストウッドも同じ体験をしたであろう。彼自身、「フォーシーズンズ」についてはあまり知らなかったが、「ジャージー・ボーイズ」の舞台を見てストーリー、キャラクター、そして素晴らしい楽曲を純粋に楽しみ、映画化に挑戦した。その日の撮影を終えたあと、知らず知らずに彼らの歌を口ずさんでしまっていたと、イーストウッドは語る。『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』、『チェンジリング』など、実話をもとにした彼の作品はシリアスでダークなイメージが強いが、本作ではイーストウッド自身も観客と同じ視点で、ストーリーと音楽を楽しみながら制作したことであろう。
ただ、イーストウッドは本作をミュージカルと思っていない。恵まれないスラムでの生活から抜け出したい若者たちが、音楽グループを結成し、栄光と挫折を描くヒューマンドラマだ。興味深かったのは、物語が進むにつれて彼らが唄うときの表情の変化だ。前半は熱心だが楽しさが伺える表情が、後半に進むにつれて彼らが抱える葛藤がにじみ出る表情に変わってくる。主人公4人のうち3人は、実際に舞台版「ジャージー・ボーイズ」で演じた役者を起用しており、その変化を巧く表現したいというイーストウッドのこだわりが分かる。ミュージカルの要素を取り入れた部分でもある、キャラクターがカメラに向かって心情を語るカットで、リーダー役のトミーが軽快な口調で語るシーンでは、自然光を使ったフラットな照明によって、彼のポジティブさが伺える。反対に、1番自分が目立たないと嘆くベース担当のニックは、舞台のスポットライトに照らされた顔にコントラストが強く浮き出て、輝かしい栄光の「明」と彼の不安を見て取れる「暗」が表現されている。ミュージカルの演出技法と映像表現を融合させることで、キャラクターの内面をさらに分かりやすく表現するというイーストウッドの巧みな技だ。
主人公たちが駆け抜けたのは、50年代後半から60年代前半というアメリカ激動の時代だ。アメリカ文化が最も熱かった時期である。映画監督はこの時代の伝記映画を作るとき、必ず話題となった歴史的な出来事をシーンに盛り込みたがる。しかし、本作では堅苦しい政治や経済に関する出来事ではなく、「女性の自立」を象徴する女性キャラクターの登場が、その時代を象徴している。60年代は、アメリカでは女性の社会進出が目立った時代であり、女性の発言や立場が向上した。フランキーの妻、メアリーの男勝りで堂々たる振る舞い、キーボード・作曲担当のボブを寝取る売春婦、パーティーでニックを口説く若い双子の女性たちなど、彼女たちは男女平等という考え方が社会に根付き始めたことを示し、映画の時代背景そのものだと強く感じる。
『ジャージー・ボーイズ』の見所は映像を楽しむというより、音楽を存分に楽しむという姿勢で鑑賞できることだ。『Sherry』、『Big Girl Don't Cry』、『Walk like a man』、『Can't take my eyes off you』など、曲名は知らないまでも映画好きなら誰でも耳にした曲が流れる。プロデューサーからコーラス隊として扱われていたフランキーたちが、『Sherry』を完成させて唄うシーンでは、見ている観客が思わず笑顔をこぼしてしまうだろう。本作では、イーストウッドは映画作りを純粋に楽しんでいた。彼同様に本作を見た後、観客は必ず帰りの電車の中で「フォーシーズンズ」の歌を口ずさんでしまうはずである。