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May 23, 2015

カンヌ国際映画祭2015リポート Vol.01 
槻舘南菜子

[ cinema ]

5月13日
パリ・リヨン駅7時19分発のTGVで出発。つまり朝5時半起き。いつも通り電車の中で眠れるはずがないので、印刷した上映スケジュールを睨みつけながら予定を立てていく。コンペティションを中心に監督週間部門や批評家週間部門の気になる作品をピックアップし、移動時間と待ち時間を計算する(私のプレスパスは青色、どの上映にも易々と入れてしまう魔法のピンクパスよりランクは下で、プレス上映は最低1時間半待ち) 。このプランは盤石ではなく、失敗したときにも備えなければならない。コンペティションの公式上映を見逃しても翌日にはSoixantiemeという劇場でもう一度上映があるのだが、そこに頼り甘えているとどんどん見るべき作品を見逃していってしまう。きっちりスケジュールを組んでるつもりが、道端で偶然友人に会ってランチや夕食をすることになったり、パーティやカクテルの招待状をもらってしまったり......カンヌでは上映だけでなく様々な誘惑がある......。
さて今年のセレクションとはどんなものなのだろう?ジル・ジャコブが去ったことによって、コンペのセレクションが一新されたという声もあるが、それは決してポジティヴなだけの反応ではない。とりわけフランス映画に関して言えば、以前より商業的な作品が選ばれる傾向が高まったことは明らかだ。カンヌ開催の数週間前にパリでプレス試写が行われたステファン・ブリゼ『La Loi du marché』は、いわゆる社会派フランス映画の典型と言える作品で、もちろん批評家たちの評判は最悪。昨年までは毎年同じ作家ばかりがコンペに選出されることが問題視されていたが、今年はそれ以上にまずいことになっているように思える。これまで「映画祭」という場では見られることのさほど多くなかったフランスの商業映画を外国メディアに紹介するという流れがあるように思われる。
その結果、本来ならばコンペに選ばれて然るべきフィリップ・ガレル『L'ombre des femmes』やアルノー・デプレシャン『Trois souvenirs de la jeunesse』といった作品が監督週間部門に選ばれたことで、フランス・インディペンデントの若手作家たちがこの映画祭に居場所を見つけるのはますます難しくなっているようだ。批評家週間という新人作家を発掘するための部門もカンヌにはある。しかし今やここでセレクションされる作品の多くは、その新しい監督を売り出すために大きな予算がかけられた作品や、あるいはすでに名の知られている映画俳優の初監督作品がほとんど。つまり、あくまで「新人」というパッケージングが重要な作品ばかりが選出されているのであって、本当の意味での新しい若手作家が選ばれることは稀なのだ。そういった点からも、これからますます非公式上映部門L'ACIDのカンヌ映画祭における役割が重要になるはずだ。

TGVの移動中は、今年からプログラムに関わることになった広島国際映画祭、そのディレクターである部谷京子さんと同映画祭のヨーロッパ顧問でパリ在住の䑓丸さんとミーティングをする。あっという間にカンヌに到着。今年は幸運なことに、ほぼすべての上映会場に5分で移動できるアパートに滞在することになった。このアパートを見つけてくれたヴィギーは、映画の世界で働いてはいないが、「カイエ・デュ・シネマ」誌や「レ・ザンロキュプティーブル」誌などの批評家たちにも名の知れた筋金入りのシネフィル。彼はほとんど耳が聞こえない。それ故にというわけでは必ずしもないのだが、彼の作品に対する映画的な運動への感覚はかなり研ぎ澄まされていて、意見はとても参考になる。たとえば、日本のみならずフランスでもかなりヒットした『セッション』について、彼は「自分は音を聞くことはできないけど」と前置きし「主題の凡庸さはもちろんのこと、この作品には良質な音楽映画の持つ映画的な運動がない」と評価を語っていた。彼とその友人である若手批評家であるエリックとティモテ、そしてロカルノ映画祭やパリのドキュメンタリー映画祭「シネマ・デュ・レエル」で働くカリーヌと映画祭を共にすることになる。

アパート到着後にすぐにプレスパスを受け取り、16時からの是枝裕和『海街Diary』プレス試写に向かう。コンペにノミネートしているにも関わらず、公式上映の会場としてはもっとも小さいバザン劇場 Salle Bazinでの上映。嫌な予感はしていたけれど、一時間以上待ったにも関わらず青色パスはひとりも入れず、ピンクパスの方々で満員になってしまった。すでに他の上映にも間に合わないため、19時のマッテオ・ガローネまで待機することに......。初日からすでに予定が崩れた。
マッテオ・ガローネ『Il Racconto dei Racconti (The Tale of Tales)』の会場には2時間前に到着。しかし映画祭初日でプレスがまだかなり元気なのか、上映開始10分前まではピンクパスのみの入場が続き、青パスのための扉は5分前にやっと開く。
tale_of_tales.jpg
ガローネの前作『リアリティー』は、誰しもが持つ人生を変えたいという欲望をアイロニーを持ってファンタジックに描き、そのフィルムがイタリア映画史の延長線上を生きていることを感じられる秀作だった。この新作では、ファンタズムではなくファンタジーという直接的な主題をガローネがどのように描くのかに興味を持った。しかし随所に見られるグロテクスな表現が嫌いなわけではないけれど、凡庸な作品になってしまったと思うほかない。カンヌに向かう電車で読んだフランスの日刊紙「リベラシオン」でも指摘されていたことだが、今年のコンペにはヨーロッパの映画作家による英語作品が多く選出され、そこに出演している俳優の国籍も多岐にわたる。ギリシャのYorgos Lanthimos『The Lobster』、デンマークのジョアキム・トリエ『Louder than bombs』とともにガローネのこの作品は、そのような傾向の最もたるもののひとつなのだが、ガローネの失敗を目の当たりにしたことで、他の同傾向の作品たちはどうなってしまっているのかとすでに不安を覚える。

カンヌ国際映画祭2015