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June 4, 2015

『僕の青春の三つの思い出(僕らのアルカディア) Trois souvenir de ma jeunesse - Nos arcadies』アルノー・デプレシャン
坂本安美

[ cinema ]

若き芸術家の肖像

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© Jean-Claude Lother / Why Not Productions



「僕は思い出す」

ポール・デダリュス。この奇妙なちょっと発音し難いラスト・ネーム(それはジェイムズ・ジョイスの小説の主人公スティーヴン・ディーダラスから取られていると言われる)を持つ、アルノー・デプレシャンの長編2作目『そして僕は恋をする』の中で生み出されたこのひとりの登場人物は、90年代以降多くの映画ファンに愛され、私たちの記憶の中に生き続けてきた。しかしポール・デダリュスとははたして何者なのだろうか?もっともそうした問いは、その奇妙な原題(「Comment je me suis disputé(どうやって僕は口論したのか、あるいは自分自身と戦ったのか)にあるように、『そしてボクは恋をする』においてポール自身がつねに意識せずともどこかで向き合っていたものだった。
本作では、すでにプロローグにおいて、その問いがより直接的、暴力的な形で投げかけられる。人類学者としてタジキスタンで暮らしていた中年のポールがフランスに帰国しようとすると、 そのアイデンティティを疑問視、いいや、ほぼ否定され、国境を越えられず、宙づり状態に置かれるのだ。はたしてこれまで「ポール・デダリュス」は本当に存在したのか、存在したとしたらどこに? 「僕は思い出す」、マチュー・アマルリックのあの独特な深みのある声によって、まるで呪文のように何度か呟かれるその言葉によって、「僕の三つの思い出」が私たちの目の前に呼び起こされる。「僕」とは『そして僕は恋をする』の「僕」であるのだろうか......。




「私は特別なの」

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© Jean-Claude Lother / Why Not Productions



幼年期の母親との葛藤が、ある意味、劇的、暴力的とも言える激しさとともに断片的に想起される一つ目の思い出。ティーンエイジャーになり、旅行先で『魂を救え!』を思い起こさせるスパイ映画さながら、ウクライナのユダヤ人青年が亡命するために自らのパスポートを譲るという政治的サスペンスを体験する二つ目の思い出。
そして三つ目がこの作品自体の核となるエステールとの出会い、彼女との間で数年間続く恋愛の思い出である。地方都市のごく普通の若者たちの、ありきたりな男女の出会い。しかしそんな普通の女子高校生エステールが、ポールに見出されることで例外的な女性へと変貌するその瞬間が、幾つもの角度から複数のフレームの中でじっくりと捉えられる。「私を特別だと言ってくれるから、あなたを愛するわ」。そうした傲慢とも言える態度や言葉を唯一の盾に、「周囲がすべて彼女を敵対視し、嫌う中」、エステールはポールの世界へと足を踏み入れて行く。そして人生よりも大きなひとつの人生を生き始める。
愛の始まり。それは大いなる喜び、そして時に血を吐くような苦悩の始まりである。母親を「殺し」、自分のアイデンティティを潔く他者に託してしまったポールは、このエステールの出会いによって、支離滅裂な人生を自分のもとに取り戻し始める。ありきたりの女であるからこそ、美しく、エゴイストで、情熱的なエステールを例外的な女性として選んだことによって、「ポール・デダリュス」が再び生まれ始める。
 



私たちのアルカディア

おそらくこの「始まり」に戻るためにデプレシャンには20年という歳月が必要だったのだろう。そしてその20年とは、『キングス&クイーン』、『クリスマス・ストーリー』、『ジミーとジョルジュ』と、デプレシャン作品に出演し続け、ともに歩んで来たマチュー・アマルリックとの20年でもあったのだということを、本作は教えてくれる。プロローグとエピローグのアマルリックの出演は、たんなる特別出演的なものでも、本作と過去作との繋がりを示すためのものでもなく、まさにこの作品の鍵であるのだ。彼の身体は「若き頃の三つの思い出」を召還させる身体であり、彼の「老い」、そこに刻まれた20年間という時間、彼らが生きた時間によって、三つの思い出が召還される。つまりこの作品に登場する少年時代の、そして青年時代の、そしてまたアマルリックが演じている中年のポール・デダリュスは、『そして僕は恋をする』のポールだけではなく、これまで彼が演じてきたデプレシャンの作品の登場人物すべてを通過した「ポール」であるとも言えるのではないだろうか。「老い」から再び最初へ、「若さ」へと戻るための20年間......。

『僕らのアルカディア』、それが本来、アルノーがこの作品に付けたかったタイトルだ。私たちのアルカディア。それは決して過去へのノスタルジーではなく、忘却の彼方から立ち戻り、私たちの現在とふいに同居し始める彼や彼女たちの世界のことだ。すでにない、しかしそこにあるアルカディア。私の、あなたのアルカディア。「仮に、自分たちの理想郷ユートピアを追い求めている登場人物たちが存在するとしてみよう。そうするとその度に、映画はその夢物語に役立つ。つまり映画のみが私たちの踏みにじられた、あるいは華々しい理想郷ユートピアが日常生活と同じぐらいに重要であるのかを見せることができるのだ」。(アルノー・デプレシャン)
  • 『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』アルノー・デプレシャン 結城秀勇