特別講義「〜日仏映画作家「現代映画」を語る〜」@映画美学校(2015.6.28)渡辺進也
[ cinema ]
今回、映画美学校で行われたマスタークラスでは、「〜日仏映画作家「現代映画」を語る〜」と題して、フランス映画祭2015に最新作『アクトレス〜彼女たちの舞台〜』と共に来日したオリヴィエ・アサイヤス監督が青山真治監督を相手に、映画制作の方法や映画への考え方、また『アクトレス』についてなど多岐に渡り話を聞く機会となった。
その講義の中でも特に印象に残ったアサイヤスの言葉は、映画制作の際に常に自分でもわからないような謎の部分を常に残しておくという言葉だった。多くの人々が参加する映画制作のなかで、シナリオが書かれ、撮影場所が決まり、俳優たちによって自由に演技がされる。それはまるで映画を常に運動し続ける有機体のようにとらえているようだった。
たとえば脚本について。アサイヤスはひとりで脚本を執筆する。その理由を以下のように説明する。
合理化して相手に説明するようなことがあってはなりません。自分にもわからない謎の部分を常に残しておかなければいけないのです。自分の知っていること以上のことを突き詰めていく。問題は提起するけれどもどこに到達点があるかはわからない。映画の仕事とはその到達点をなるべく遠くへと持っていくことではないでしょうか。
アサイヤスの考える脚本とは、しっかりとした枠組みを持ちストーリーも流動的でわかりやすい、いわば映画制作の指標となるような脚本ではない。アサイヤスの脚本とはむしろいくつもの線が現れては縒り合わされ解けてゆくような複雑で、豊かなものと言えるのではないだろうか。行動の理由を容易には想像できない。しかし、魅力に溢れている登場人物の姿をアサイヤスの作品では度々目にしてきた。アサイヤスにとって脚本とは、あくまでも映画の一時的な状況に過ぎない。自分の中から生まれた言葉やアイディアであろうとも、そこで完結させない。自分でもわからないより高みの到達点へと至るために、常に映画作品を不安定な場所へと置いているような印象を受ける。
それは脚本の段階にとどまらない。キャスティングや撮影される場所、撮影の仕方、俳優とのインピロヴィゼーションによって、常に変化していく。アサイヤスの撮影方法は、撮影現場ですぐに撮影を開始するものだと言う。事前にも、撮影現場においてもリハーサルをまったく行わなし、俳優たちと会話をすることもないという。そして、ひとつのカットをキャメラの位置などを変えながら様々な方向から撮影してゆく(その撮影の様子は、梅本洋一による『デーモンラヴァー』の撮影のドキュメント「砂の顔 デーモンラヴァーについて」[『映画旅日記 パリー東京』収容]に詳しい)。
指示を出す前にまず俳優に演技をさせること。あるいは、俳優たちがどのように映画に現れるのか、その衣装やその容姿を俳優に委ねること(『カルロス』におけるエドガー・ラミレスの肉体的な変化もラミレス自身の考えによるものだという)。古典といわれる戯曲が、現在もなお様々な解釈によって演じ直されているように、アサイヤスによって書かれた脚本は俳優たちによって自由に解釈され、それが演技によって提案される。そうした余地を常に残すこと。そのことによって自分が持っているもの以上に作品の到達点を遠くに持っていくことになる。
そうした言葉を経て『アクトレス』を考えると、ジュリエット・ビノシュがかつて自らの世に出るきっかけとなった戯曲に、新たな解釈を見つけ出そうと藻掻き続ける姿がすぐに思い出される。ただひとつではない正解を求めて、何度も台詞を繰り返し、何度もその場面の意味を問う。マネジャーのクリステン・スチュワートを相手に戯曲に向かい合う姿はそのまま映画の完成に向けて最良のものを探そうとする監督の姿と重なると言ってもいいだろうか。『アクトレス』ではいくつもの時間が映画内を流れる。劇作家との突然の死。若き女性と年長者として向き合うその関係性。否応なく自分の中に流れた時間と経験という名の時間では解決できない問題。私たちは女優たちの様々な場所において現れるその時間に魅了される(そのひとつは雲に包まれるシルスマリアでのジュリエット・ビノシュとクリステン・スチュワートだろう)。ヨーロッパを移動しながら、様々な空間のなかに置かれ、俳優たちが自分の人生に流れる時間と向き合う。そこで私たちはこれまで見たことのないジュリエット・ビノシュやクリステン・スチュワートを見ることになる。決して真っすぐではない道のりを、しかし確実に前に進んでいく。それはこの講義でアサイヤスの語る言葉ともまた通じているように思えた。
最後に再び、アサイヤスの言葉を紹介しよう。
いつも私は自分のインスピレーションの中にある矛盾をする要素があってもそれを和解させ、それを接続して、文節化することを求めていかなければいけないと考えています。全く逆のことであってもつないでいく。相反することをつなぐことによって何か新しいものを見出し、そしてそれが補完的なものになってくるということを望んでいるのです。すなわちひとつ相反するものふたつをつなぐことによって3つめのものが生まれて来ることを望むというのが私のやり方です。
ひとつの凝り固まった宇宙を目指すのではなく、常に揺らぎながら新しい何かを探して映画を作っていくこと。自らのインスピレーションによって生まれたアイディアを、流動的な様々な不確定要素と付き合わせながら、当初自分の持っていたアイディア以上のところへと向かわせていくこと。アサイヤスの映画制作の秘密とはそうしたところにあるのかもしれないと思った。そして、映画監督とはそれに対応する術を持っていないといけないのだとアサイヤスは言う。
※このマスタークラスの模様は10月発売のNOBODY issue43にて掲載の予定です。
『アクトレス〜彼女たちの舞台〜』
10月24日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開。
協力:映画美学校
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