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May 17, 2016

『山河ノスタルジア』ジャ・ジャンクー
中村修七

[ cinema ]

『山河ノスタルジア』は、同時代を捉えてきたジャ・ジャンクーが初めて近未来を捉えた映画だ。とはいえ、近未来の人物も現代に生きている人物と異なるわけではない。近未来に生きる人物たちにとっても、母が子を思う愛情や子が母に対して抱く思慕の念は無縁なものではない。あるいは、このような近未来は現在を照らし返すものだと述べるべきかもしれない。近未来が舞台となっているジャン=リュック・ゴダールの『アルファヴィル』でも愛が主題となっていたことを想起すべきだろう。
『山河ノスタルジア』の舞台となっているのは、1999年の汾陽、2014年の汾陽、2025年のメルボルンと汾陽だ。時代が進むにつれて画面のサイズは、スタンダード、ヴィスタ、シネマスコープと横に広がっていく。どの時代であっても、ジャ・ジャンクーと長く組んでいるユー・リクウァイによる、人物を捉えた被写界深度の浅い映像は素晴らしい。ユー・リクウァイのキャメラは、人物に焦点を合わせて背景をきれいにぼかしている。舞台が2025年の汾陽へと帰って来るのは、終盤に至ってからだ。スタンダードとヴィスタのサイズで汾陽を映し出していた画面は、太平洋を渡りシネマスコープのサイズとなってメルボルンの広大な大地を映し出したのち、再び太平洋を渡ってシネマスコープのサイズのまま汾陽へと回帰する。
このような回帰する運動は、ジャ・ジャンクーにとって特別なものではない。『プラットホーム』(2000)の演出ノートとして、彼は次のように書いていた。「プラットホーム、それは出発点でもあり、終着点でもある。我々はいつも何かを期待し、さがし求め、どこかへ歩み続ける」(『ジャ・ジャンクー「映画」「時代」「中国」を語る』、以文社、2009)。初期の作品に関連して出発点が終着点ともなると述べられていたことをなぞるように、キャリアを重ねたのちの『山河ノスタルジア』でも汾陽の土地への回帰がなされている。
すでに述べたように、この映画は3つの時代を扱っており、画面のサイズは横へと広がっていく。画面が広がるにつれて視野に収められる空間も広がっていくのだが、それと歩調を合わせるかのように、被写体となる人物のあいだの距離は広がっていく。2025年において、かつて家族だった人々の関係は離ればなれだ。海辺に近いマンションに暮らす父と息子は、グーグルの翻訳機能を介してしか話すことができなくなっている。なぜなら、父は中国語しか話さないし、息子は英語しか話さないからだ。初婚の相手と離婚したのちに再婚した女性が2014年の時点ではいたはずなのだが、2025年にはその影すら見えない。
英語を話して生活するようになり、母親にまつわる幼い頃の記憶が薄れている青年は、大学の授業で中国語を学び直すようになってから、母の名である「タオ」が中国語で「波」を意味するといった仕方で故郷の母へと近づいていく。しかし、オーストラリア南部の都市に暮らしているかぎり、青年にできることは、海辺に佇んで打ち寄せる波の音に耳を澄ませながら、母への思慕の念を募らせることだけだ。
黒沢清は21世紀の傑作に共通したイメージとして河が映し出されることを指摘していた(『黒沢清、21世紀の映画を語る』、boid、2010)が、『山河ノスタルジア』でも河は映し出されている。1度目に河が映し出される時、チャオ・タオを含む3人の人物が河岸で花火を打ち上げる。2度目に河が映し出される時、チャオ・タオと彼女の結婚相手となる男が河岸でダイナマイトを爆破する。3度目に河が映し出される時、チャオ・タオは離婚した元夫が親権を持つ息子の手を引いて河にかかる橋を歩く。このように3度に渡って映し出される河は、変動する社会を生きる人々を見つめながら流れ、人々が生きてきた時代の流れやその間に彼らの身に起きた出来事の記憶と結びついている。
『青の稲妻』(2002)で当時の流行歌を用いていたジャ・ジャンクーらしく、『山河ノスタルジア』でも2つの流行歌が印象的に用いられている。これらの流行歌は、四半世紀に及んで流れる時間を越えて繋がり合ういくつかの細部の一つだ。サリー・イップが歌う「珍重」は、1999年にヒロインのチャオ・タオの父が営む電気店のCDプレーヤーで再生され、2014年にはチャオ・タオと息子が並んで座った電車の座席でiPadによって再生され、2024年にはメルボルンの大学で中国語の授業中にレコードプレーヤーによって再生される。なお、サリー・イップの「珍重」はウォルター・サレスのドキュメンタリー『ジャ・ジャンクー、汾陽の子』(2014)でも用いられていたと記憶している。
また、ペット・ショップ・ボーイズの「GO WEST」も印象的に用いられている。『プラットホーム』で巡回劇団の踊り子を務めていたチャオ・タオは、『山河ノスタルジア』において、1999年に新年の祭りでペット・ショップ・ボーイズの「GO WEST」に合わせて集団で踊っていたけれども、2025年になると犬を連れて出て行った城壁の外で雪に降られながら一人きりで踊る。山中貞雄の『河内山宗俊』のように空からゆったりと白い雪が舞い落ちてくる、この雪のシーンは素晴らしい。また、チャオ・タオが汾陽の城壁の外へ出ていく姿は、前作『罪の手触り』(2013)において殺人を犯したのちに街に戻って来た彼女が城壁の外で京劇を見ることとなる姿と結びつく。チャオ・タオは、城壁の外へ出ることによって、厳しい時代を生き抜いていく人物の悲哀を露呈させることができるのだ。
ペット・ショップ・ボーイズの「GO WEST」が指す「西」は、1999年の時点では中国から海外へと出ていくことと結びついていたものだが、2025年の時点ではオーストラリアから文字通り西に位置する中国へと回帰することと結びついている。時代の変遷にともない、人々の目指すべきイメージが託された「西」は変化していく。ドルを稼ぐことを夢として父親は息子にダラーという名前を付けたのだが、2025年の時点ではドルが凋落して人民元が台頭しているらしく、ダラーと名付けられた青年は、大学の教室でクラスメイトから名付け親には先見の明がなかったと言われてからかわれている。
ジャ・ジャンクーの映画を見てきた者ならば、彼の故郷である汾陽が特権的な位置を占めていることを知っているだろう。汾陽は、明朝の時代に作られた城壁によって街を囲まれ、郊外には黄河が流れる土地だ。初期の『一瞬の夢』(1997)や『プラットホーム』では、汾陽が舞台となっていた。4部形式からなる『罪の手触り』の1部で山西省の炭鉱夫が暮らす街として汾陽が舞台となっていたし、湖北省に暮らしていたチャオ・タオが罪を犯して刑務所を出たのち新たな生活を始めるために訪れる街として汾陽が舞台となっていた。また、『ジャ・ジャンクー、汾陽の子』では、故郷を訪れたジャ・ジャンクーが、『一瞬の夢』の主演を務めたワン・ホンワァイとともに街を歩いていた。汾陽の風景は、ジャ・ジャンクーの映画を見てきた者にとって少なからず馴染みのあるものだ。『ジャ・ジャンクー、汾陽の子』では彼自身によって故郷の城壁に対する愛着のようなものが語られていた。汾陽を舞台とするジャ・ジャンクーの映画で繰り返し現れる城壁は、彼の映画において原点的なイメージだ。
汾陽の風景がジャ・ジャンクーにとって重要であることは間違いない。また、「わたしは自分が中国の基層から来た民間監督だと思っています」(『ジャ・ジャンクー「映画」「時代」「中国」を語る』)と述べていたジャ・ジャンクーが常に「中国の基層」を立脚点としていることは確かだ。しかし、ジャ・ジャンクーのフィルモグラフィーにおいて故郷の汾陽が舞台とされているのは初期の『一瞬の夢』、『プラットホーム』と前作『罪の手触り』のみだ。
このようなジャ・ジャンクーのあり方は、例えばアンドレイ・タルコフスキーのような映画作家とは大きく異なる。タルコフスキーのフィルモグラフィーには『ノスタルジア』があるが、そこで彼は故郷のイメージとして水辺の畔に建つ家を提示している。水辺と建物のイメージは、タルコフスキーの他の作品にも現れるものだ。『惑星ソラリス』の主人公の宇宙飛行士が暮らす家も、『ストーカー』のゾーン内に建つ廃墟も、『サクリファイス』の主人公の老人が暮らす家も、水辺の畔に位置している。このように、タルコフスキーのフィルモグラフィーには原点的なイメージの反復が見られる。
ジャ・ジャンクーにおいては、タルコフスキーのようにフィルモグラフィーの全体に渡って反復的に原点的なイメージへの回帰がなされているわけではない。むしろ、これまでのフィルモグラフィーにおいて、ジャ・ジャンクーは一部の作品にのみ原点的なイメージへの回帰を許している。もちろん、現在の時点では、次回作以降で彼が汾を舞台とすることがあるのかどうかはわからない。けれども、『罪の手触り』でのチャオ・タオが、刑期を務めたのちにようやく汾陽の地を踏んでいたことには注意しておくべきだろう。ジャ・ジャンクーにあって、汾陽は、故郷であるからこそ容易に訪れることができる場所であってはならないはずだ。
故郷あるいは原点への回帰は、『山河ノスタルジア』における物語の主題でもある。2025年のパートでは、異国の地に暮らす青年が、母や生まれた土地に対して郷愁を募らせる。ジャ・ジャンクーは、故郷へ寄せる感情を取り上げ、自身の故郷である汾陽を舞台とした。『山河ノスタルジア』において、故郷への回帰は、物語における主題として表れているだけでなく、撮影地の選択としても表れている。あるいは、故郷への回帰という主題が、故郷を撮影地とすることを要請したと述べるべきなのかもしれない。いつの時代であっても変わらない普遍的な感情を主題として取り上げた『山河ノスタルジア』は、ジャ・ジャンクーが自らに故郷への回帰を許した貴重な作品だ。