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July 2, 2016

2016年 カンヌ国際映画祭報告(3)
槻舘南菜子

[ cinema ]

「監督週間」部門
開幕・閉幕作品にマルコ・ベロッキオとポール・シュレイダーの新作が選ばれ、4本の処女長編がセレクションされた本年の監督週間。2012年にエドワード・ワイントロープがディレクターに就任して以来、その商業的なセレクションはたびたび批判されてきた。本年の「公式コンペティション」部門や「ある視点」部門から抜け落ちてしまったと思しきベルトラン・ボネロやアクセル・ロペールらの作品が救い上げられなかったことを思うに、本年もその傾向は継続したままであると見做すべきだろう。
本年の「公式コンペ」部門において不在だったイタリア映画だが、「監督週間」にはベロッキオを含め3作品がノミネートしている。が、パオロ・ヴィルジの『狂った喜び La Pazza Gioia』と、クラウディオ・ジョヴァンネージの『花 Fiore』は、先述したワイントロープの方針に寄与する最たる商業的作品だろう。そして母親の死後そのオブセッションに取り憑かれたまま成長した男を描くマルコ・ベロッキオ『美しい夢を Fai bei sogni』もまた、前作『私の血に流れる血』のような演出と主題の強度を保持しているとは言い難い。閉幕作品のニコラス・ケイジとウィレム・デフォーを据えたポール・シュレイダーの『食うか食われるか Dog eat dog』もまた、前作『峡谷 The Canyons』の素晴らしさを期待していた観客をがっかりさせたはずだ。
すでに監督週間にノミネート歴のあるパブロ・ラライン『ネルーダ Neruda』やジョアキム・ラフォス『カップルの経済学 L'Economie du couple』、アレハンドロ・ホドロフスキー『終わりなき詩情 Poesia Sin Fin』、ラシデ・ジャイダニ『フランス旅行 Tour de France』、セバスチャン・リフシッツ『テレーズの生活 Les Vies de Thérèse』、ソルヴェイク・アンスパック『水中の効果 L'Effet aquatique』、アヌラーグ・カシャプ『ラマン・ラガフ2.0 Raman Raghav 2.0』らもまた、残念ながら過去作品を超えた出来ではない。処女長編作の中では『狼と羊 Wolf and Sheep』がもっとも優れた作品であったが突き抜けたものはなく、部門全体として低調であることは否めない。
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「批評家週間」部門
開幕作品や招待作品に加え、同部門の出品作はなんと7本中6本がフランス製作。フランスとの関係なしにはこの部門に選出されることは実質的に不可能であることがはっきりと示されているだろう。
開幕作品『ヴィクトリア Victoria』は、日本でも「カイエ週間」などの機会に上映された『ソルフェリーノの戦い』に続く、ジュスティーヌ・トリエ監督の2作目。前作と話の構造はほぼ同じ、職業は違えど2人の子供を抱えバリバリと働く女性(『ソルフェリーノの戦い』ではテレビキャスター、『ヴィクトリア』では弁護士)が主人公。ベビーシッターと元夫と友人との人間関係が主題にも原動力にもなることで映画が運動する。公式部門ではなくL'ACID部門で上映された『ソルフェリーノの戦い』は、映画俳優としてのキャリアがまだ浅いヴァンサン・マケーニュとレティシア・ドッシュを起用し、大統領選で沸くパリと人生の混沌をドキュメンタリーとフィクションを交えて映し出す野心的な作品だったが、『ヴィクトリア』はウディ・アレンやブレイク・エドワーズをレファレンスに、より洗練されたラブ・コメディが目指されている。しかし、その域には残念ながら辿り着けてはいない。処女長編『ジャコモの夏 L'Été de Giacomo』がロカルノ国際映画祭で高く評価されたアレッサンドロ・コモディン『幸福な時間はもうすぐ I tempi felici verranno presto』と同様に、ジュスティーヌ・トリエの新作もパッケージ化された若手監督作という枠に嵌ってしまっているように見える。
批評家週間のグランプリは『ミモザ Mimosas』。監督のオリヴェル・ラセ(Olivier Laxe)は、前年のロカルノ国際映画祭公式コンペにノミネートされたベン・リヴァースの『The Sky Trembles and the Earth Is Afraid and the Two Eyes Are Not Brothers』に俳優としても出演している。モロッコの山岳地帯を彷徨う男たちを捉えた本作は、パゾリーニやアントニオーニという固有名を浮かべることも容易い、潤沢な資金でもって撮られた端正な「作家映画」に属している作品だろう。二番手にあたる賞を受賞したメフメト・カン・メルトグル(Mehmet Can Mertoğlu)の『アルバム Album』もまたその系譜に属している。
批評家週間にはジャン=クリストフ・ムーリスの『無呼吸 Apnée』のように、フランス人のためにつくられたフランス映画と表現するしかない作品もある。フランス人の観客には大ウケだが、あまりにもドメスティックで外国人はシラケてしまっていた。一方で同じフランス資本が関わっていても、ジュリア・デュクルノーによるベジタリアンの家庭で育った少女がある事件をきっかけに食人鬼と化すサイコスリラーの『Raw』や、処女長編ドキュメンタリー『ゴールデンスランパー』を経て初めてのフィクションに挑んだダヴィ・チュウの『ダイアモンド・アイランド Diamond island』といった作品は、そのような傾向から距離を取った瑞々しい作品だった。

L'ACID部門
独立系作品の配給を支援を目的とするL'ACID部門には9本がノミネート。開幕上映はアニメーション作品、セバスティアン・ローデンバック監督の初長編『手のない少女 La Jeune fille sans mains』。声優はアナイス・ドゥームスティエ、ジェレミー・エルカイムに、なんと『ママと娼婦』の主演女優フランソワーズ・ルブラン! 物語に大きなうねりや重層性はなくやや子供向けという感はあったが、絵筆のタッチを残した画や色彩には引き込まれた。
パリの郊外を舞台にしながらもありがちまドキュメンタリーとは一線を画し、アメリカ映画への美しいオマージュを捧げたオリヴィエ・バビネ『スワッガー Swagger』。思春期のカップルの繊細さと瑞々しさを小津安二郎を彷彿とさせるフレームの美学で映しとったダミアン・マニヴェルの秀作『公園 Le Parc』。ここ数年で撮り続けてきた中・短編の集大成となるセバスチャン・ベベデールのコメディタッチのドキュフィクション作品『グリーンランドへの旅 Le Voyage au Groenland』は、他部門の新人監督作品のレベルを遥かに凌駕していた。
しかしそうした作品の多様性の一方で、L'ACID部門もまた批評家週間と同様に今年はほぼフランス製作作品のみがセレクションされていたことは問題だといえる。どちらの部門も基本的には外国作品に門戸を開いてはいるのだが、フランスの配給会社の助成金をめぐるシステム自体の内向きさがその大きな要因のひとつとなっている。昨年のパトリック・ワン『他者の悲しみ THE GRIEF OF OTHERS』のようなアメリカ映画や、一昨年のラモン・ズルシェールの『奇妙な子猫 L'étrange petit chat』のような外国映画にも同部門が目を向けてくれることを願う。
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第69回カンヌ国際映画祭