マルセイユ国際映画祭(FID)報告槻舘南菜子
[ cinema ]
ユーロ2016のため、今年のマルセイユ国際映画祭(FID)は通常の開催期間(6月下旬~7月上旬)ではなく、7月12~19日の開催となった。フランスには、ドキュメンタリーに特化した映画祭として2つの代表的な国際映画祭がある。ひとつは毎年3月にパリのポンピドゥーセンターで開催される「シネマ・デュ・レエル Cinéma du réel」。こちらがよりクラシックな趣きの作品が多く選出されることに対し、FIDは2007年よりフィクションにも門戸を開き、より先鋭的なプログラムで知られている。
マルセイユ国際映画祭の起源は1989年にリヨンで開催された「ヨーロッパドキュメンタリービエンナーレ」に遡る。その翌年の1990年にマルセイユで開催された「Vue sur les docs」(ドキュメンタリーへの眼差し)という上映イベントと融合するかたちで、1991年にビエンナーレがマルセイユに拠点を移してヨーロッパ・コンペティションを設立し、新たなスタートを切った。二回目からは「Vue sur les docs」として毎年開催される映画祭となり1995年に「国際映画祭」と改称。1999年に現在の原型とも言えるマルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭が誕生した。2000年から2001年にかけて、当時のアーティスティック・ディレクターだったローラン・ロスが「マルセイユ/現実のフィクション」と題し映画祭としての新たな方向性を模索し始める。短編コンペティションを廃止し、作品の尺に関係のないインターナショナルコンペティション、ファーストフィルム・コンペティションとともに、フレンチコンペティションを設立。2002年に現ディレクターのジャン=ピエール・レムが就任し、通算18回目の映画祭となる2007年にフィクションにまでセレクションを解放すると宣言するに至った。
この流れの中で、2000年にアピチャポン・ウィーラセタクンの処女作『真昼の不思議な物体』がファーストフィルム・コンペティションに、2008年にはミゲル・ゴメス監督『私たちの好きな8月』がノミネートを果たした。2011年からその呼称が「マルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭」から「マルセイユ国際映画祭」と変更され、明確に「ドキュメンタリー」という言葉を映画祭の呼称から切り離すに至った。たとえば今年のコンペティション選出作品を見渡すと明瞭なことだが、ドキュメンタリー、フィクション、実験映画やアートビデオといったジャンルを横断し、尺も短編/中篇/長編が混在している。フランスからはベルトラン・ボネロの短編『Sarah winchester, opéra fantôme』やニコラ・クロッツの共同監督短編『Mata Atlantica』などがオフィシャルコンペティションにノミネート。日本からも東京藝術大学大学院映像研究科卒業後の処女長編となる伊藤丈紘監督の『Out There』が日本映画として映画祭史上初のインターナショナル・コンペとファーストフィルム・コンペにダブル・ノミネートを果たした。1999年に青山真治監督が『June 12 1998 −カオスの縁−』で日本人として初めてインターナショナル・コンペに参加して以来、2000年の河瀬直美監督『万華鏡』、2002年同監督『追憶のダンス』に続く選出である。伊藤監督の『Out there』に関しては、ミゲル・ゴメス以後の流れにあるドキュ・フィクション的なスタイルの作品であるとひとまずは述べておきたい。
伊藤丈紘監督 『Out There』 ©EYES FILMS
併行部門のプログラムには、元「カイエ・デュ・シネマ」「インディペンデンシア」の批評家であるアントワーヌ・ティリオンによる「ホン・サンス・レトロスペクティヴ」や、チリの二大巨匠であるパトリシオ・グスマンとイグナシオ・アグエロの過去作の上映、マスタークラスが開催された。またアンドレ・S・ラバルトによる「我々の時代の映画作家シリーズ」では、ジャン=ダニエル・ポレについてのジャン=ポール・ファルギエル監督による『L'Ami Poulos』、そしてポール・ヴェッキアリについてのローラン・アシャール監督による『Un, Parfois deux』が上映されたほか、ギョーム・ブラックの新作ドキュメンタリー作品『Le Repos des Braves』など、シネフィルの触覚をくすぐる作品も多数プログラムされていた。
今年のインターナショナル・コンペティションの受賞結果はどのようなものであったか? 残念ながらそのセレクションにおける「先鋭性」とは裏腹に、審査結果は保守的で凡庸なものだったと言わざる得ない。あらゆるジャンルに開かれた映画祭ではあるものの、それゆえにどこに審査基準を置くのかが審査員の顔ぶれに強烈に依拠しているという印象を受けた。大賞を獲得したイグナシオ・アグエロ監督『Como me de la Gana II/ This is the way I like it 2』は、その30年前に制作されたパート1である『Como me de la Gena』(特別上映枠上映作品)と比較すると明らかに力はなく、作品そのものではなく彼のキャリアに対して大賞は授与されたと見るべきだろう。特別賞を受賞したポルトガル André Gil Mataによる『Kako Sam se Zalhubio u evu ras/ How I feel in love with eva ras』は、サラエヴォの映画館の映写室で生活をしている女性を主人公に、彼女の日常とその場所を訪れる友人たちを捉えた作品で、映像としては美しい瞬間が多々あるものの、ほぼフィックスで捉えられていたこともあって作品の終わりが最初から可視化されているような作品だった。
ジョルジュ・ド・ボールガール賞は映画祭の特徴となる「先鋭性」に相応しいSelma Doborac『Those shoking shaking days』と Philip Scheffner『Havarie』に授与された。これまでの映画祭の傾向を俯瞰しても、門戸を開いているにも関わらずフィクション作品の受賞はほとんど皆無といっていい。ビエンナーレが映画祭の起源であることも作用しているのだろうが、「映画」よりむしろ「芸術作品」を評価する場であると言えばよいか。歴史を背負わない「先鋭性」ほど俗物的で無味乾燥なものはないだろう。そのような作品を「映画」と呼ぶことができるのか。そこには大きな疑問が残る。
最後にコンペ外作品として上映されたふたりの若手監督作品について記しておきたい。スーパー8で撮影され、ケネス・アンガーや70年代のフィリップ・ガレルを彷彿とさせる弱冠24歳のテオ・デリヤニス監督による短編『Extinction des Lumières inutiles』とレオ・リシャール監督『The Thief from Lisbon』は、傾向としてきわめてコンセプチュアルな作品が大半を締めるなかで、荒々しくも「映画的」な瞬間を捉え、今もなお「映画」を信じる力を感じさせてくれる2本だった。後者については20代前半の11人の若者によって設立された独立プロダクション「Collectif Comet」による製作作品であることも言及するべきだろう。国の助成金に頼った端正な作風の若手作品が増える状況下で、制作への純粋な渇望を原動力に持ちうる手段のみで生み出された彼らのような作品の持つエネルギーとその多様性は、今後も注目に値するはずだ。
テオ・デリヤニス監督 『Extinction des Lumières inutiles』
レオ・リシャール監督 『Le voleur de Lisbonne』
マルセイユ国際映画祭 FID 公式サイト http://www.fidmarseille.org/index.php/fr/