『タナーホール』フランチェスカ・グレゴリーニ、タチアナ・フォン・ファステンバーグ常川拓也
[ cinema ]
映画『タナーホール(Tanner Hall)』は、ローマ出身のフランチェスカ・グレゴリーニとNY出身のタチアナ・フォン・ファステンバーグが、アメリカ・ニューイングランドの全寮制学校の女子寮(寄宿学校)を舞台に4人の十代の女の子を描いた2009年の作品である。なんといってもまず見所は、2015年アカデミー賞において『キャロル』(2015)で助演女優賞にノミネートされたルーニー・マーラと、『ルーム ROOM』(2015)で同賞主演女優賞に輝いたブリー・ラーソンがブレイク前に共演をしている点であり、彼女たちの初々しい可憐さにいま触れられることだろう(中でもラーソンはキャリア史上で最も露出度高めな服装で官能的な演技を披露!)。物語は、シャイで生真面目なフェルナンダ(ルーニー・マーラ)、好奇心といたずら心を持った魅惑的なケイト(ブリー・ラーソン)、絵を描くのが好きで面倒見のいいルカスタ(エイミー・ファーガソン)らが悠々自適に暮らす寄宿学校「タナー・ホール」のもとに、フェルナンダの幼なじみでもあるヴィクトリア(ジョージア・キング)が父親と離婚したばかりの母親に連れられて転校してきたところからはじまる。だが、母親といがみ合い、自殺願望すら持った状態で入寮するヴィクトリアは、久々に再会したフェルナンダに対してどうやら悪意を向けてくる。ヴィクトリアによって「タナー・ホール」で暮らす彼女たちの間にあった調和が乱される一方、しかし規則に囚われていた彼女たちに変化が訪れる様が描かれる。
フェルナンダは素敵な音楽を教えてもくれる母親の女友だちの夫ジルに心惹かれるようになり、ケイトは悪ふざけで中年の男性教師に対して性的アピールをし翻弄する──彼女はウラジミール・ナボコフの『ロリータ』に魅せられているようだ──、あるいはルカスタは自身の性的アイデンティティに疑問を抱きはじめる。嘘をついてはトラブルを招くヴィクトリアによって、彼女たちの新たな一面が目覚め、彼女たちは施設の外の世界への逃避願望に似たロマンティシズムを抱くとともに、違う自分でありたいと思うようになるのである。
「恐ろしく美しいことに人は心惹かれる。はじめて悪さをする時みたいにためらいつつ、結局、実行する」──本来の自分自身よりも賢く大胆な人間のように振る舞おうとする、ワルぶろうとする、いわばバッド・ガールに憧れる年代の少女を描いているものとして、『タナーホール』を観ることもできるだろう。彼女たちは、はしゃぎながら愚かな大人を笑う一面もあれば、不安定で傷つきやすくもある、まだあどけなさの残る17歳だ(18歳を迎え「成人」となったケイトは以降、沈黙するようになるだろう)。
17歳という年齢から妄想するならば、物語上キーとなるヴィクトリアは、実際のところ、『17歳のカルテ』(1999)でアンジェリーナ・ジョリーが演じたリサとどこか近い性格を持っているように思える(ちなみに、ヴィクトリア役のジョージア・キングは、イギリスの寄宿学校を舞台にしたエマ・ロバーツ主演の2008年の学園コメディ『ワイルド・ガール』でも本作と似た性格の、クイーン・ビー的な生徒会長役を演じている)。あるいは、カット・デニングス扮する女子高生が中年男性教師を誘惑し親密になっていく様を不穏な気配漂う一風変わった調子で描いた映画『17歳キャロラインの三角関係』(2010)のエンディングでは、本作と同じくスターズの「Your Ex-Lover Is Dead」が使用されていたことも思い出す(さらに言うならば、モノローグの扱いにも近い部分を多少感じる)。
しかし、ヴィクトリアは『17歳のカルテ』のリサほど破壊的で、施設内に強烈な緊張をもたらす存在ではない。それは、グレゴリーニとフォン・ファステンバーグの関心が、少女の不安定な情緒を見つめることに向いているわけではないからであろう。親から愛情を得られなかったヴィクトリアもまた愛されたいが故に、他者に敵意を向けていたことが私たちは次第にわかってくるが、かつてこの映画の少女たちと同じようにイギリスの寄宿学校に通っていたふたりの女性監督が描こうとするものは、若い女性が経験する悪いロマンスであり、それを乗り越えさせる女同士の友情といったものだ。
『タナーホール』の特徴のひとつは、フェルナンダたちが寡黙であることだ。彼女たちは、感情の多くを口に出しては説明できない。たとえば、教師を弄ぶことで招いた結果に落ち込むケイトがローラースケートでまろやかに揺らぎながら読書している姿からは、彼女が内部に抱えたまま処理しきれない罪悪感や戸惑いがあらわれているかもしれない。そして、若い女優たちにあくまでも抑えた演技を要求するグレゴリーニとフォン・ファステンバーグの演出は、リプレイスメンツやスターズといったポップ・ミュージックを物語に即した場面で用いることで、苦しみや葛藤を明確に言葉であらわすことのできないティーンエイジャーの感情をその音楽の中に託している。その最も効果的な実例が、前述した「Your Ex-Lover Is Dead」が流れるエンディング場面である。
ジルと彼の妻との子の命名式で、フェルナンダはヴィクトリアが母親からひどい言葉を吐かれているところに遭遇する。ヴィクトリアはそれまで自分に敵意ばかりを向けていた存在だったにもかかわらず、フェルナンダはそこで迷うことなく彼女を気遣い味方する。実はヴィクトリアは、ジルの妻に彼とフェルナンダの不倫交際を密かに暴露しようとその場に来ていたのだが、彼女の善意に触れたことで、自身の愚かさに気づき、考えを改める。妻帯者である中年男性との恋が間違いだと悟ったフェルナンダ、アル中の母親から心ない罵倒を浴びせられたヴィクトリア──『タナーホール』は、どん底の気分にいる繊細な少女同士が、臆病と憂鬱で押し潰されそうになり自分を見失いかけた時に、お互いを理解する萌芽を捉えようとする。素直な気持ちで恐れと向き合い、異なるお互いを認識して支え合い、新たな決意のもとで寮へと帰っていくラストの場面で、甘美なメロディが耳に残るスターズの「Your Ex-Lover Is Dead」が彼女たちの心を奮い立たせるかのようにして響くのである──「この傷あとはそばかすみたいなもの/奥深いところには届かない」「あなたと出会ったことを後悔なんかしていない/でもすべては終わったのよ」(しかも、その後に続いてエンドクレジットでは、同じくスターズの「One More Night」──この曲の副題は"Your Ex-Lover Reminds Dead"だ──が念押しして使われていることにも留意したい)。そう、過去は死んだのだ。引きずられることはない。すがりたくなるこれまでの想いを葬るかのように彼女たちは、墓地から歩みをはじめる。哀しみに打ちひしがれるのでも悔いるのでもない、前を見据えた美しく頼もしいこのエンディングは、いま、確かに観られるべき価値がある。