東京フィルメックス2016 『マンダレーへの道』ミディ・ジー三浦 翔
[ cinema ]
ミディ・ジー監督『マンダレーへの道』は繊細に移民労働者の問題を描いている。主人公のリャンチンはミャンマーからタイに来たものの、労働許可証がないゆえに街で労働をすることが出来ない。不法入国のときトラックで知り合ったグオの紹介のもと、管理された工場で奴隷のように働くことを余儀なくされる。リャンチンとグオは恋に落るわけだが、二人の目指す方向は別々で、すれ違い、それゆえに悲劇的な結末を招いてしまう。グオは少しでも多い給料を得られる工場で働きお金を貯めてミャンマーに帰ることを夢見ている一方、リャンチンは工場で働くよりも安くていいから街で働くことを切望し労働許可証をなんとかして手に入れようとする。この映画で描かれているのは、あまりに現代的な貧困と排除の問題である。このことをどう考えたらいいのか。
上映後、ものすごい拍手とともにこの作品と監督を褒め称えようと場内に満ちていた空気に、わたしはあんまり乗り気ではかった。映画祭では世界中の多様な作品が集まって、同時に世界中の社会問題が全開になっていく。それを見てみんな大喜びしながら拍手して、これは素晴らしい映画だと称賛する空気を、どうも気持ち悪く感じてしまう。
『マンダレーへの道』で描かれていた移民の問題は、誰の問題だろうか。奴隷のように身を削って工場で働くか、安い給料でも街で働くか、それは日本でも普通にある労働者の問題だ。おのおのがそれぞれの事情で働きながら生きていく人生をこの映画は描いているようにも思える。しかし、労働許可証など必要のない法の中にいるわたしたちと、法の外で不当に扱われる移民労働者を同じように見るのもおかしい。だからといって、彼らの生活とわたしたちの生活が切れている訳ではない。ふたつの世界は国家と資本の論理の下、切り離せない関係に置かれている。この映画がそこで描かれていることと、わたしたちの世界とのつながりを、そこまでの射程を持って描いているかと言われれば、そこまでは言えないだろう。いずれにせよ、そんなことを考えていれば、のん気にこの映画を褒め称えることがわたしには出来なかった。