『密使と番人』三宅唱監督インタビュー 「You know we've got to find a way」
[ interview ]
あの三宅唱監督が時代劇を?本作の存在を耳にしたときには、素直にそんな驚きがあった。完成した作品を目にすると、たしかに時代劇の衣装を着てチョンマゲを結った登場人物たちは出て来はするものの、日本刀による立ち合いも、時代劇調の会話のやりとりもない。人里離れた山の中を黙々と歩む男と、その周辺に住む者がわずかばかり出てくるだけだ。そして、人の歩みに合わせてススキが音を立て、夜が訪れ、雪が降る。
ユーロスペース渋谷にて7月22日より2週間限定レイトショー、時代劇専門チャンネル・日本映画専門チャンネルにて7月29日25時より放送される『密使と番人』について、監督に話をうかがった。
©︎時代劇専門チャンネル・日本映画専門チャンネル
----本作は三宅唱監督初の「時代劇」です。とはいえ、ある意味では劇場公開第一作『Playback』もコスチュームプレイであり広義の時代劇だったとも言えると思います。そうした意味で、いわゆる「時代劇」とどのような距離感で本作の制作に至ったのか、その経緯をお聞かせ下さい。
三宅 去年の春に時代劇専門チャンネルの八巻洋平さんから「時代劇を作りませんか」というオファーを頂きました。正直、驚きました。自分は、いわゆる「時代劇」にそこまで親しんできたほうではないですし、いますぐ撮りたい時代劇の企画があるわけでもない。実はその頃、別の企画が予定通りに進まなくなったりしていて、スケジュールが真っ白になっていたので、オファーはとても嬉しかった。でも、いままで積極的に関心を持ってこなかった時代劇にはなかなか頭が切り替わらず、戸惑ったのを覚えています。
八巻さんとの最初の打ち合わせでは「普通の時代劇なら三宅さんにオファーをしていない、新しい時代劇を発想してほしい」と言われました。そこでぱっと思いついて口にしたのは、「『キャスト・アウェイ』(ロバート・ゼメキス、2000)そのままの、農民か漁師が無人島に漂着してふんどし一丁でえんえんと救助を待つというのはどうでしょうか」と(笑)。そしたら「OKです」って言われて(笑)。マジか、ちょっと待て、じゃあもう少し違うことも考えてみようかと、ついついその後3時間くらい話し込んじゃいました。その晩家に帰ってから送ったのが、「山の中を男が逃げている、もうひとりの男が追っている、ふたりは雪深い山のなかで闘う、どちらが勝つかわからない」というたった4行の、企画書ともプロットとも呼べないような代物でした。それと併せて、夕陽が当たる森とか、夜の焚火とか、雪原とか、大自然の写真を四枚くらい並べたものを提出したのが、この作品の出発点です。のちのち脚本に行き詰まったときは、常にこの出発点に戻って「シンプルにしよう」と繰り返し話していました。
そもそも、通常「時代劇」という言葉で誰もが思い浮かべるだろう、サムライのチャンバラとか幕府内の権力闘争とか、町人たちの粋なやりとりとか、そういったものを自分にはうまく撮れる気がしませんでした。映画でしかみたことがない世界だし、ということは、すでに存在する映画のへたくそなモノマネになってしまいそう。
さてどうしようかなと、漠然と江戸時代の生活を想像してみると、電気もないし携帯電話もない、もちろんWi-Fiなんて飛んでない。そう考えると、自然と密接に関わった生活をする人を撮れる、そういう発想を取っ掛かりとするなら、なんとか自分なりに時代劇にアプローチできるかもしれない、と思ったんです。自分たちがいま生活している空間と違うものを撮れると考えたら俄然テンションが上がって来て。山の中の足音や、揺れる木の音、焚火、もしかしてそれは自分がいま映画館で見たいものでもあるんじゃないかと思えてきたんです。
----一般的には現代生活からの時間的な距離を描くのが時代劇ですけど、おっしゃる通りこの映画で中心になるのは江戸という大都市圏から空間的に離れた人々の行動ですよね。余談なんですが、作品の冒頭で背景を説明する文章が示されるわけですが、そこではあえて文化文政年間とか言わずに、「19世紀初め」とある。あまり見慣れない表現です。
三宅 うれしいご指摘です。僕がほとんど唯一といってもいいくらいにこの時代について関心がある事柄って、日本が鎖国をしていたということなんです。ヨーロッパでは産業革命があり、欧米列強が帝国化してアジアに侵略してくるわけですけど、そうした世界史的な時代背景ぬきには、ぼくはあの時代になかなか関心が持てない。だから19世紀初頭、という字幕から始める必要があったんです。
あとは、ごくごく単純に、特に時代劇だからというわけじゃなく、自分が普段から昭和だの平成だのという年号を使わないので。
----外に世界が広がっていることを知らないナイーブな人たちというよりは、広い外の世界があることを知りながら狭い場所にとどまらざるをえない人たちなんですよね。森岡龍さん演じる道庵は、開国を望む蘭学者仲間の元へ日本地図の写しを届けなければならないわけですが、彼の行動の背景には、海の外の世界のとんでもなく大きな動きが関係している。でも作品の中で描かれるのは、海なんてこれっぽっちも見えない山の中で、そこに住む人々です。
三宅 たとえばシーボルトや江戸城の役人などを物語の中心に捉えることもできるのですが、今回はそうではなく、ほとんど無名の人々を通して語ることを、ごく自然と選択しました。長野の諏訪や戸隠など、12月にロケをしています。時代劇のコスチュームで撮影をしなければいけない俳優たちの身体的な負荷はめちゃくちゃ高かったと思います。さらにそこで求められるのは、よく見知った時代劇の動きでは決してない。ああいうコスチュームを着た上で僕が求めていたのは、いわば動物のようになってもらうことでした。映ってる自然や山が本物ですから、俳優たちや美術などが「ごっこ」に見えてしまうのは避けたかった。なるべく動物のようにそこにいてもらう、しかも時代劇のコスチュームでそこに到達するのはとてもハードなことでした。そういう意味で、信頼している俳優たちといっしょに出来たのはよかったです。
----非常に興味深いのは、映画が始まった瞬間、道庵の左手が折れたという描写があり、彼はその不自由な状態で自分の目的を果たさなければならなくなることです。
三宅 そうです。めちゃくちゃ痛いはずですし、着ているものなどもボロボロになっていく。でも森岡くんとは、痛がるよりもむしろ、道庵にとってリアルなのは、その脆くなった左手首を最後まで優しく守ることなんじゃないか、みたいな話をしました。
----冬の雪山という過酷な環境と怪我による不自由とで、否応なく道庵の身体性が浮き彫りにされます。ですが、過酷な環境にさらされているのは旅人である道庵だけではない。そういう意味で、石橋静河さん演じるサチが大根を洗うシーンが非常に美しいと思いました。
三宅 いやほんとにね、もっと撮りたかった(笑)。
『THE COCKPIT』で黙々と手を動かす様をみつめる面白さに味をしめたのもあって、『密使と番人』でも、水を汲んだり、野菜を洗ったり、そんな営みをじっくり見られる映画にしたいなとは思っていました。道庵がただただ黙々と険しい道を歩くのと同様に、追う側も、その追跡とは関係ない者も、また険しい環境の中にいるわけですから。そこで生活してる人たちは、朝起きたら寒くても水汲みに行かなきゃいけないし、水は冷たいけど野菜洗わなきゃいけない。そういう決して劇的ではない時間、でも確実にその人たちの生活の中には欠かせない時間の運動というか労働というか、そこは撮れるだけ撮ろうと思っていました。そして、その姿が魅力的に見えればいいなと。
撮影中、山の中にいてしみじみ思ったのは、コレ「追え」って言われてもマジで面倒くせえなと(笑)。実際あの場所にいると、こんなの見つかるわけねえだろって思うのが追手である番人達の感覚なんじゃないかという気がします。
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----追う側が面倒くさいという感じって、追っ手の登場人物たちの造型にも反映されてる気がします。どこまでやる気があるのかわからない(笑)。
三宅 そして、最後には途方に暮れざるを得ない、というかんじ。平蔵(足立智充)と耕助(柴田貴哉)は最後まで、道庵の姿すら見ていない。ただ高山(渋川清彦)が消えちゃって、おそらくそれに関与しているはずの大二郎(井之脇海)とサチもいなくなっていて、無人の山小屋しかない。彼らからしたら「一体何が起きたんだ」っていう。でもまあそのまま、また新たな仕事というか、次のなにかを淡々と続いていかなきゃいけないっていう。
たとえば戦争映画を見ていて感じるのは、半ば狂気のように戦いにのめり込んでいくキャラクターももちろん面白いんですけど、その一方で、途中でマジでやる気なくなってきちゃったりする新兵たちみたいなキャラクターがほんと好きなんですよ(笑)。でもそんなもんでしょっていう気もするんですよね。それが大半の人たちの立場なんじゃないかと。
『密使と番人』でも、追っ手として駆り出された側にしてみたら、自分がいまやってることが結局なんのためなのかなんて、わからない。
----なるほど。それは主人公である道庵にもある程度当てはまることのようにも思えます。
三宅 そうだと思います。道庵は蘭学者としての使命感が強くあって、仕事を遂行することに逡巡しない人物ですし、自分が運んでいる地図の価値や、自分の行動の重要性はわかっているけれども、その先で実際にどういうことが行われるのかということまではおそらく把握はしていない。そして、届けたところで終わるのではなくて、やってきた道のりをまたそのまま戻らなければならない。まだまだ続く、ということが大きなポイントでした。ただ、これはあたりまえのことなので、その瞬間を大げさに表現することなく、なるべくただそのまま撮ろうとしました。
----次のやらねばならないことが続いていくという表現は、核心を突いた言葉だと思います。そうしたなんだかわかんないけどやらなきゃいけないことがある人たちの間に、すごい当たり前のようにゴロッと死のようなものが、文字通り転がっていますよね。ショッキングなわけでもなくただ当然のように、道庵は道端で転がってる死体と遭遇します。
三宅 わりと自然な発想で出てきたんですよね。こういう言い方をするとつまらないかもしれませんが、もしかすると主人公である道庵もあのようになってしまうかもしれないわけです。途中で目的が果たされぬまま、普通にただぶざまに死んでしまうことだって、山の中ではあたりまえにありうるよねっていう。
----壮大な使命があろうがなかろうが、誰にも知られずに。
三宅 そういう死を強調するのではなくて、山の中には生きている者も死んでいる者もあたりまえにいるよね、というかんじで撮りたかった。道庵にとっても死体は驚きではなく、普通に草履を盗むのが現実的な感覚だろうね、と。
----先ほど道庵の手が折れてるという話をしましたけど、悲愴な困難さという意味ではなくて、彼の動きの拙さというかある種のぶざまさがとても魅力的だと思うんです。なんかやたら草鞋が脱げるとか、物をボトボト落とすとか。道庵がサチを人質に取って山道を逃げる場面で、彼がサチに「手荒な真似をしてすまない」と謝りますが、道庵はめちゃめちゃ息が切れてるのに、サチは結構平気で山道歩いてる(笑)。
三宅 そう見てくれたのはうれしいな。僕が今回この映画で撮りたかったのは、強いんだか弱いんだかよくわからない、ぶざまな姿をさらけ出してるヒーロー......、まあヒーローというより生身の人間ですね。それに、道庵はこの映画の主人公ではあるけれども、あの村にとってはまったくの外部の人間、ストレンジャーです。そのストレンジャーがものすごくかっこよかったりヒーローだったりという映画もありますけど、これはそうではない、というのが重要だったと思います。
あとこの物語は、ある種のビルドゥングスロマンのようなもの、なにかひとつ仕事をきちんと果たすという単純な物語でもあって。その過程で、草履が脱げたり、腕が折れたり、危うく人質を取ってしまったりという数々の試練の中で、人間の強さと弱さ、すごくタフでたくましい部分も、逆にナイーブな部分もきっとみえてくるはずだと考えていました。そして、そのぶざまな姿こそ魅力的だろう、と。
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----その中でも最大の試練というか、この作品のクライマックスである道庵と高山の肉弾戦についてなのですが......、なんて言うか勝敗がよくわかんないですよね(笑)。
三宅 なんで死んだかもわかんないですよね(笑)。
----なんでなんですか?
三宅 一応、心臓発作です。高齢という設定なので。
----ああ、そうですか(笑)。ま、過酷な環境ですからね。
三宅 あれだけ走り回ってたら、場合によっては心臓が止まることもあるだろうということです。不条理極まりない気もしますが、でもまあ、人の生き死にはそういう側面があるよな、と感じています。
----さっき話に出た行き倒れの薬売りもそうですが、「なぜ」とかじゃなく、なんとなく死は常にそこにあるという印象をそのシーンでも受けました。
三宅 そうですね。ゴロンとなにかがある、たとえば大根があるように、死んだ人の足がゴロンとある。そういう世界なんだと思います。雪が降るのを見つめるような距離感で、そうした出来事を見つめたいと思っていました。
----心臓発作で死ぬのはさすがに不条理だと思うって仰いましたが、登場人物全員が、自分の力ではどうしようもないなにかを科せられている。
三宅 不条理劇という単語を使うと誤解を受けそうですが、自分の中にはその感覚があるみたいです。『Playback』を撮ったときには、カミュが『シーシュポスの神話』で舞台俳優について書いている文章が念頭にありました。岩を上に運んでは、岩が転げ落ちて、また繰り返して、という話に個人的に執着があるんですよね。『密使と番人』のベースにも、どこかそれと共通するものはあるかもしれません。繰り返し岩を運ぶようにというと大げさかもしれないけど、自分の力だけではどうにもならないなにかにどう抗うか、それと共にどう生きるかのかと。
はじめに「時代劇」にもともとはあまり関心が強くなかったと話しましたが、自己分析をしてしまうと、自分が北海道出身であることと関係しているのかもしれないです。自分は、明治期以降の入植者の子孫として北海道で育った。内地のあちこちに行くとやっぱり皮膚感覚で江戸時代以前の歴史を感じることがありますが、思い返すと、やはり北海道にはそういう空気はなかった気がします。だから江戸の物語とか京都の物語とか、あるいは閉鎖的なムラ社会の物語はなかなか撮れる気がしない。自分のひいひいじいちゃんたちの世代は、そうしたものの染み付いた土地を捨てて北海道に来たわけですから。それこそ『密使と番人』の世界の数十年後にはもう北海道に入植が始まるので。
----もしこの作品がいわゆる「時代劇」ぽくない部分を持つとしたらその根幹にあるのは、侍が出てこないとかチャンバラしないとか、時代劇風の言葉遣いをしないとかOMSBやHi'Specの曲がかかるからではなくて、その感覚なのかもしれないですね。そのときここに当たり前にあるものをやがて捨ててどこか他所へ行く人たちが出てくるという感覚。だから登場人物たちがみんなどこかアウトサイダーに見えるのかもしれない。
三宅 言われてみてわかりましたが、そのとおりというか、そういうもんじゃないの、という感覚がありますね。自分には、土地とか国土に執着するということ自体、どうしてもピンとこない。鎖国とかナショナリズムとか、謎です。そもそも北海道なんてだれか人間の土地というかんじがしないし、故郷だけどそれは偶々だし。今住んでいる東京もそうかも。人間関係には愛着がありますけど、場所はけっこうどうでもいい。僕の見立てでは、短絡的ですけど、江戸末期の開国の前後は、ひとが土地を離れて自由になる契機だったんだろう、と。開拓民の子孫の視点かもしれないけど、たかだか150年くらい前だし、それはいまと地続きの世界だと思える。
----そういう意味でいま生きている我々と変わらない人たちが映っているとも言えます。
三宅 そうですね。最初は、いまの世の中とはなるべく無関係な映画を撮りたいと思っていたところもあって、それで山にむかったという気持ちもあったんですが、でも途中からは、時代劇をやる意義って、いまの自分たちの生活を全然違う時間軸というか、違う角度、距離で見直すことなんじゃないか、というように捉えたりしていました。
----この映画の音楽に言えるのも、目新しさとかそういうことではなく、そうした登場人物たちとの距離感のありようなのかもしれません。
三宅 「時代劇にあえてヒップホップ、いいでしょ」みたいな発想ではなくて、ごくふつうに、映画音楽の作曲家としてOMSBとHi'Specに依頼しました。できあがってみて、とにかくよかった。本当にプロだなと思いました。
こんなこと言っても「はあ?」って感じだと思うんですけど......ふたりと一緒に音入れ前の編集をみているときに、マーヴィン・ゲイの「What's going on」をかけたりしました (笑)。これは音楽だけの話じゃなく、撮影の四宮秀俊さんらとも同じ話をしました。どういう視点、どういうテンションでこのドラマを見つめるかというときに、「What's going on」を歌っているときのマーヴィン・ゲイの気分、「いったいどういうことだよ?なにが起きてんだいったい?」みたいな哀しさと優しさの入り混じったものにしたいと。
それと、杜甫の漢詩をシナリオの冒頭に印刷してもらっていて、みんなと共有していました。「国破れて山河あり 城春にして草木深し」という誰でも知っているあれです。かつて教科書で習ったときは憂国的で深刻な詩だと勝手に思っていたんですけど、これって実は「山はきれいだなあ!」みたいな、なかなかさわやかなテンションの詩だと思うようになって、とてもいいなあ、と。それに、けっこうアナーキーな詩だとも読める。
そういう「軽さ」みたいなことだったり、あたりまえの感覚だったり、ある距離感みたいなものを忘れないことが、いろんな側面でこの映画の核だったと思います。
三宅唱(みやけ・しょう)
1984年北海道生まれ。映画監督。初長編『やくたたず』(10)ののち、2012 年劇場公開第1作『Playback』を監督(ロカルノ国際映画祭インターナショナルコンペティション部門正式出品)。同作で高崎映画祭新進監督グランプリ、日本映画プロフェッショナル大賞新人監督賞を受賞。2015年にはOMSB、Bimらの楽曲制作を捉えたドキュメンタリー『THE COCKPIT』を監督した。その他の作品に『《無言日記/201466》-どこの誰のものでもない映画』(14)などがある。最新作 『きみの鳥はうたえる』(原作:佐藤泰志/主演:柄本佑、染谷将太、石橋静河)は2018年秋全国公開予定。
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『密使と番人』
2017年/60分/カラー/1:1.85/DCP
監督:三宅唱
音楽:OMSB Hi'Spec
出演:森岡龍 渋川清彦 石橋静河 井之脇海 足立智充 柴田貴哉 嶋田久作
製作:時代劇専門チャンネル 日本映画専門チャンネル
ユーロスペース渋谷にて7月22日(土)より2週間限定レイトショー
時代劇専門チャンネル・日本映画専門チャンネルにて7月29日(土)25時同時放送
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