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September 8, 2017

『善き門外漢』中里仁美
長島明夫

[ book ]

 『善き門外漢』という風変わりなタイトルの雑誌を初めて手にしたのは今年の4月、知り合いに連れられて行った目黒区鷹番のSUNNY BOY BOOKSでのことだった。自分自身そういう雑誌を作っているにもかかわらず(2009年創刊の個人雑誌『建築と日常』)、ふだんリトルプレスの類の冊子を開いてみることはあまりないのだが、この『善き門外漢』(刊行まもなかったvol.3)のたたずまいには妙に気になるものがあり、透明の袋から取り出してぱらぱらとめくってみた後、店の奥のレジへ持っていった。後日買い揃えることになったバックナンバーによれば、『善き門外漢』の制作者は筆者と同様に「『流行通信』以来の服部(一成)ファン」(vol.0)であり、そうしたデザインに対する共通の趣味をこの雑誌の外観に感じ取ったのかもしれなかった。あるいはこれも後で気づいたことだが、筆者は10年以上前からインターネット関係の各種のアカウント名に「richeamateur」という文字列を使用しており(ブログ、ツイッター、Gmail等)、それを「善き門外漢」と翻訳することもできなくはない、そんな共通性も見いだせるのかもしれなかった(riche amateurは直接的にはヴァレリー・ラルボーの用語に由来する)。
 『善き門外漢』は、原稿の制作(文・写真・絵)から編集、デザイン、そして営業や流通に至るまで、現在は書店員として働いている中里仁美氏の手による雑誌である。そうした個人雑誌という在り方はまったく明快だが、具体的な内容を説明しようとするとむずかしい。中里氏自身、目当ての書店に営業の電話をかけても、「ええとですね、文章が柱にありまして、あのう、随筆というかコラムのようなものなんですけど、あとはじぶんで作った作品、えっと服とかなんですけど......」と、自らの雑誌の説明にシドロモドロになってしまうらしい(vol.1)。しかしそれと同時に、「そんなに簡単に説明できてたまるか、というおもいがある」という。「物でも人でも、わかりやすいものは重宝されます。簡略化されたものや、従来のやり方に則したもの。誰々に似ているかんじ。素直で明るい人、等々。その安心感たるや!というわけです。ちょっと安易です」(同前)。
 『善き門外漢』は決してわかりにくい雑誌ではない。むしろどのページを開いても確かにその雑誌の個性に根ざしていることを感じさせるという意味で、プロフェッショナルな分業制に基づく一般の雑誌よりもよほどわかりやすい。そういった存在を言葉によって、客観的に既製の枠組みを用いて説明することがむずかしいというだけだ。雑誌の各部分がさまざまに響きあい、有機的な全体をなしているがゆえに、その全体は安易な要約や抽出や分類をしりぞける。
 こうした雑誌としての全一性は、誰に頼まれたわけでもなく個人が企画し制作するというインディペンデントなリトルプレスとしての成り立ちに、まずは起因していると言ってよいだろう。しかしインディペンデントなリトルプレスであればどんな物でもこうした性質を帯びるかというと、必ずしもそうとは限らない。むしろ「インディペンデントなリトルプレス」という既製の枠組みにすっぽりと収まってしまう場合も多い。「インディペンデントなリトルプレスを作る」という行為自体が目的化されている場合、当然そこで作られる物は社会通念としての「インディペンデントなリトルプレス」という枠組みをはみ出すわけにはいかないのである。
 『善き門外漢』はそもそも門外漢なのだから収まるべき枠組みを持っていない。それは外的な論理よりも内的なエモーションによって作られている。「とりとめのない、冊子をつくりました。何者でもないわたしが、ごく個人てきな、身の回りや心のうちだけでつくりました」(vol.0)。しかし一方で、社内の編集会議や読者の要望や出版界の売れ筋に基づかずにアマチュアのエモーションで作られる雑誌というのは、それはそれで暑苦しくうっとうしい物になりがちだ。『善き門外漢』がそこに陥らないのは、一介の門外漢に甘んじることなく、まさに〈善き〉門外漢たろうとする意識があるからに違いない。その自らの善し悪しを判断するのは自分であって自分ではない。すなわちあくまで自己を貫きつつも、その自己をより大きな場に突き放して眺める姿勢を併せもつ思想に、この雑誌の魅力は支えられていると思われる。
「パーソナルな興味、誠実な愛着による放熱。個人だから出来ること、とれる「態度」、描ける交錯。それが「アマチュアリズム」をもって、すべてを一枚の布のように織りなすこと。動機とプロセスを純粋に慈しむこと。/そのような『善き門外漢』にわたしはなりたい。」(vol.0)


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『善き門外漢』vol.3(テーマ:アウトサイダーの向上心、2017年3月刊)表紙。複数の書体や色面を用いながら、雑多な文字要素を空豆のグリッドに基づく幾何学的構成によってまとめ上げている。登場する固有名は千利休とエリック・ホッファー。

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『善き門外漢』vol.2(テーマ:ちょっとむかし、2016年3月刊)見開きの誌面とその部分拡大。各ページの下部に短い言葉を付加し、ユーモアを介しながらメインの部分を軽やかに相対化する。執筆とデザインを一手に進める個人雑誌ならではの手法。「クソ真面目とチャランポランのあいだでいつもバランス損なう」。

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『善き門外漢』vol.1(テーマ:イッツ MY すたいりっしゅ、2015年3月刊)誌面より。両端揃えではなく、行末がばらばらのテキスト。一見すると几帳面さに欠けるようだが、全体的な秩序(各行の長さを揃える)に従うのではなく、部分的な秩序(間隔を等しく一文字一文字を置いていく)を大事にしていると考えれば、それもまたひとつの几帳面さと言える。

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『善き門外漢』vol.0(テーマ:恋とか愛のようなもの、2014年9月刊)誌面。右ページは自作の縫製品。中里氏は以前は服飾関係の仕事に就いていたという。現在は書店で働きながら雑誌を作る、そのひとところに収まらない生き方は『善き門外漢』の制作態度にも通底する。「兼業者はアウトサイダーだ。どちらへ行ってももう一方の世界を抱えている。盲目てきにならずに、外側から物事を見つめることができる」(vol.3)。

『善き門外漢』 ホームページ
『建築と日常』ホームページ