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February 12, 2018

『L for Leisure』レヴ・カルマン、ウィットニー・ホーン
結城秀勇

[ cinema ]

16mmフィルムで撮影された画面の質感や人物の配置、登場人物たちの大学院生という身分、彼らの話す会話のたわいもなさは、たしかに一瞬、バカンス映画だとか休暇映画といった枠組みの中にこの作品を入れてしまいたくもさせるのだが、たぶん違う。それは全体を貫くストーリーらしいストーリーがないからでも、全体を構成するひとつひとつの休暇が短いからでもない。休暇の映画とは、限られた時間が尽きれば否応なく戻らなくてはならない日常があってはじめて成立するものだが、『L for Leisure』の登場人物たちにはもはやそんなものなどないように見えた。
1992年から93年にまたがる、春休みだの感謝祭だのこんなに休みってあったか?と思えるほど多くの休暇を、大学院生たちは「leisure」の字義通り特になにもすることなく過ごす。とはいえ彼らは、水上スキーもすれば突然草の上でレスリングを繰り広げもし、ありあまるジーパンをカットしてファッションショーめいたことをしたり深夜の路上でクルマのヘッドライトを浴びて踊りもする。しかし、そうした無為の時間の中に到来する一瞬の高揚のようなものがこの作品の核をなしているのかというと、どうもそうではない気がする。中盤で、スケボーに乗ってテニスをしに行ったふたりが、2、3回ラリーをしたかと思った矢先にボールを失くしてすごすご帰ってくるというくだりがあった。あのなんでもないことのようで決して取り返しのつかないことが起こってしまった感じ、それにうすうす気づきながらも表面上はなんでもないフリをしている感じが、画面上の登場人物たちが一体となってある熱狂を共有しているかのような場面にもうっすらと張り付いているように見える。
休暇はもはや日常の疲れをとる時間でも、非日常の出会いを求める時間でもなく、そこから戻るべき場所などないままどこまでも果てしなく続く。休暇は、すぐそばにいながらも直接は体験することのなかったロサンゼルス暴動の記憶と共にあり、同時に未来戦争(?)が進行する時間でもある。森のフィールドワークをしている女性は言う。「森の精霊を見つけるのが一番大変かと思ったけど、問題は木がたくさんあり過ぎて、精霊が多過ぎることなのよ」。精霊の数に対して、それを探そうする人の数はあまりに少ない。そうして作品全体を通じて人物の印象が次第に減っていく。まるで広大な森やアイスランドの原野やフランスの田舎道といったもう戻ることのできない場所に登場人物たちが旅立ってしまい帰ってくることがなかったかのように。そして見終わってしばらくして今、冒頭に映し出されていたモダニズム建築や、終盤の打ち寄せる波と両目の色が違う犬だけがいた、なにか人間とは違った尺度の時間だけが流れていたんじゃないか、そんな錯覚すらしている。


第10回 恵比寿映像祭にて 2/18(日) 15:00、2/24(土) 18:30からも上映あり