第15回ブリィブ国際中編映画祭レポート槻舘南菜子
[ cinema ]
ブリィブ、日本映画を忘れるーーフランス映画のための「国際」映画祭、装飾としての国際性
4月3日から4月8日、第15回ブリィブ国際中編映画祭が開催された(映画祭の創立経緯は過去の記事を参照:http://www.nobodymag.com/journal/archives/2016/0424_0034.php)。映画祭の15周年を記念して製作された思春期をテーマとした予告編は、2013年『アルテミス、移り気な心』で大賞を受賞したユベール・ヴィエルが手がけている。彼の作品を特徴づけるsuper8の荒々しいタッチでインタヴュー風に撮りあげられたこの1分30秒の短いクリップは、来るべき彼の新作を期待せずにはいられない素晴らしい出来だった。
本年はクシシュトフ・キェシロフスキ、スティーヴン・フリアーズ、ジブリル・ジオップ・マンベティ、マリオ・バーヴァ、デニース・ポッター、フランソワ・オゾンなどによる中編作品や、オリヴィエ・アサイヤスとヴァンサン・マケーニュによる対話なども企画されており、開幕作品にはアラン・カヴァリエ監督の手がけたテレビシリーズ『Six portraits XL』の一編である『Léon』が上映された。靴修理屋を引退することになった「レオン氏」の過ごす時間を6畳一間の空間を舞台に、常連客との会話、彼の仕事風景、昼食をとる様子、昼寝している姿等々を、アラン・カヴァリエは小さなカメラで追う。眼前に現れるのは、何かが終わる瞬間と、それまでに積み重なった時間による小さくも親密な世界だ。しかしカヴァリエによるミクロコスモスは、決してそこに留まることなく、私たちの生きている世界へと開かれている。ブリィブ中編映画祭は本年より「ヨーロッパ」映画祭から「国際映画祭」として呼称を改め、新しいスタートを切った。この小さな映画祭ははたして世界に繋がっていただろうか?
コンペティション部門の22本のセレクションの内15本がフランス映画で占められる中、映画祭の国際性を象徴していたのは、インターナショナルプレミアとして上映された3本の日本映画ーー濱口竜介監督『天国はまだ遠い』、山本英監督『Good Afternoon』、鈴木洋平監督『Yeah』ーーだったと言える。オリエンタリズムとはかけ離れた、それぞれに全く異なるスタイルを有したこれら作品は、ブリィヴ「国際」映画祭における新たな発見として扱われる価値が確かにあったはずだ。この映画祭について、セレクションされた作品のうちのフランス映画の割合の以上な高さには、「ヨーロッパ」中編映画祭と銘打っていた昨年までも疑問を抱いていたことをまずは告白しておこう。映画祭のセレクション委員は、これほどまでにフランス映画が多く選ばれた理由を、その作品の質の高さを根拠にしている。が、実のところその「質の高さ」というのは、必ずしもこのブリィブ国際映画祭によって初めて見出されたものではない。というのは、たとえば今年の審査員賞を受賞したHendrick Dusollier監督『Les derniers jours de Shivati』は、2017年に国際ドキュメンタリー映画祭「Cinéma du réel」ですでに大賞を受賞済みの作品であり、審査員特別賞のギョーム・ブラック監督『ハンナと革命記念日』もまたすでにロカルノ国際映画祭に出品されているほか、ラ・ロシュヨン国際映画祭でも特別上映作品に選ばれ、すでにフィルム・デ・ローザンジュ配給によるフランスでの劇場公開も決定している。ほかにセレクションされたフランス映画の多くも、すでにマルセイユ国際映画祭やベルフォール国際映画祭、アンジェ映画祭等々にすでに出品されているか、それ以外の場所で何らかの賞を受賞した作品がほとんどであり、ブリィブにおける作品の質というものはそうした他の映画祭や他の映画賞によって担保されているものだということは誰の目にも明らかだ。
15本のフランス映画作品中、この映画祭がワールドプレミアとなる作品はわずか5本。その中で、奇跡的に大賞を受賞したGuillaume Lillo監督『Remy』は、いわゆる「フランス的」映画とはかけ離れた、実験的な試みに挑戦した秀作だった。もともと映画編集技師であったこの監督の処女短編となる本作は、YouTubeの映像のみとナレーションで構成されたフィクションだ。この大賞作品を除けば、その他の二本の受賞作(『Les derniers jours de Shivati』『ハンナと革命記念日』)は、質こそ申し分ないものの、この規模の映画祭で再び賞を与える意義があるのか否かについては疑問が残る。
そもそもが、映画祭のディレクション全体に微塵の「国際性」もなかったことは付け加えておきたい。たとえば審査員の選択は映画祭の方向性を表す一つの明確な基準のはずだが、そこに選ばれたのはフランスの映画業界と蜜月関係にある女優、監督、プログラマーばかりだ。外国のインディペンデント映画に対する開かれた感受性だとか批評的な視点を、彼らの審査において期待することは難しい。個々人の嗜好と諸作品に対する感情移入のみが評価の基準となるのだから、受賞作品に外国映画が入らないのは当然とも言える。彼らは映画を、自分自身を映し出す鏡としてしか捉えていないのである。フランス流のそんな自己愛しかない世界では、外国映画と外国人たちは居心地の悪さを覚えざるを得まい。ブリィブ「国際」中編映画祭にとっての「国際性」とは、あくまでもフランス映画の価値を高めるための装飾でしかなく、現時点でこの新しい「国際」映画祭に外国人映画監督たちが希望を見出すのは不可能だ。フランス映画のためのフランス映画祭。今年で15歳、思春期の真っ只中にいるこの映画祭は、まだ己のアイデンティティを見つけられてはいない。
*山本英監督『Good Afternoon』と濱口竜介監督『天国はまだ遠い』は、
6月にパリの郊外・パンタンで開催される短編映画祭「Côté Court 」の日本若手監督特集で上映予定