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August 16, 2018

『ヒッチコック博士の恐ろしい秘密』リカルド・フレーダ
千浦僚

[ cinema ]

 一般的にはあまり品がないとされながらも、そのオペラ的とも言える過剰さで娯楽映画の歴史を豊かにしたのは、お尋ね者のようにふたつ名を持つイタリア人監督たちではなかったか。ボブ・ロバートソンであったセルジオ・レオーネ、偏在するアンソニー・M・ドーソンとしてのアントニオ・マルゲリティ、そしてロバート・ハンプトンことリカルド・フレーダ......。彼らはアメリカ人監督のふりをすることで自作を"立派な"?アメリカ映画に見せかけ、世界のマーケットに売ったが、それがパチモンであることにすぐ気づいたひとも少なくなかったろうし、もはやその作品群は単なる模倣や踏襲を超えた新ジャンルとなっており、結局全然問題はなかった。
 職人の凄みというものは学生じみた批評性なぞを微塵も持っていないことに由来する場合が多い。俺は豆腐屋と嘯いた小津が成し遂げたこと、パスタやピザを延々作り続ける街のリストランテのおやじのように剣とサンダル映画をつくっていたリカルド・フレーダが本作でやったこと。『ヒッチコック博士の恐ろしい秘密』がシレッとぶちかましているのは、意識的な批評性抜きのヒッチコックの転用だろう。そしてそれがイタリアンホラーの源流のひとつとなった。(ちなみに意識的で、批評的なヒッチコックの転用とは、そのフェティシズムに共感し継承したトリュフォーと、ブルジョワ性へのアイロニーを継いだシャブロルではなかったか)
 ......いやしかし『ヒッチコック博士の恐ろしい秘密』もまた、はからずも批評性を獲得している。死姦プレイ好きの医師バーナード・ヒッチコックが睡眠薬を盛りすぎて妻のマーガレットを殺してしまう、そいつに後妻に来た女性が遭遇する恐怖と危機、という筋立て、道具立てに、『レベッカ』的シチュエーション(先妻が憑依したがごときメイドの怖さ)、『断崖』『汚名』の妻毒殺ネタ、『山羊座のもとで』のベッドに置かれた干し首の応用が見られる。こういうところが本作の楽しいところだが、もうこれは脚本ジュリアン・ペリー(ことエルネスト・ガスタルディ)も、"イタダキがあからさますぎるから、主人公の名前はヒッチコックで!"と思ったんではないだろうか。ところがそのことが、アルフレッドのほうのヒッチコックが終生、青髭的な妻殺しや女殺し、『めまい』に見られるような死者をこそ愛する妄執に憑かれていたんじゃないかということの指摘にも感じられるというおもしろさ。
 もっとも本作の着想のもう一本の柱は言わずと知れたエドガー・アラン・ポーで、「リイジア」「アッシャー家の崩壊」「黒猫」「早すぎた埋葬」からきたネタや場面が多数ある。ヒロインのバーバラ・スティールは本作がつくられる前にロジャー・コーマンによる『恐怖の振り子』(61年)に出演している。64年にはやはりバーバラ・スティールが出演しているアントニオ・マルゲリティ監督によるエドガー・ポー
インスパイア映画『幽霊屋敷の蛇淫』もあり、流行も感じる。
 おお、バーバラの素晴らしさ!彼女の眼を見開いて慄く演技だけで画面は充実する。『血塗られた墓標』のようなモンスターから、マゾヒスティックなヒロインまで、まさにホラー映画のゴッデス。彼女こそスクリーミングクイーンの始祖。本作の"生き埋葬"場面での叫びなき叫びは忘れがたい。ラストシーンで一応のハッピー脱出を迎えるが彼女の顔にべっとり血がついているのが、この先のバーバラのフィルモグラフィー&拡散し継続してゆくイタリアン・ホラーの美しく不吉で愉しい予告のように感じられる。
 そんなようなことの一切はより詳しく、より熱を孕んで08年に刊行された『イタリアン・ホラーの密かな愉しみ』(山崎圭司・著・編)にある。このジャンルについての最良のガイドだろう。


アテネ・フランセ文化センター「中原昌也への白紙委任状」にて8/16に上映

イタリアン・ホラーの密かな愉しみ―血ぬられたハッタリの美学
西村 安弘, 矢澤 利弘, 殿井 君人, 伊東 美和, 中原 昌也, 馬場 敏裕, 山崎 圭司