« previous | メイン | next »

September 7, 2018

PFF総合ディレクター 荒木啓子インタヴュー
三浦翔

[ cinema , interview ]

映画監督のイメージを持つこと

 ぴあフィルムフェスティバル(以下:PFF)は、"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマにした映画祭である。今年40回目を迎えるPFFは、いわゆる自主映画と呼ばれる、商業映画の枠組みではなく自分たちの手で映画を作る監督たちの映画を上映する「PFFアワード」をメインプログラムとしており、合わせて様々な招待作品の上映とトークを企画し、映画祭全体が新たな映画作りを志す人のための場となっている。
 聞き手を務める編集部三浦は2016年に「PFFアワード」の入選監督としてPFFに参加させてもらった。そんな経験もあり、今回のインタビューでは入選監督という立場から、つまりこれから映画監督として活動していこうとする人の視点から、PFFという映画祭はどういう場所なのか、海外の映画祭に参加するとはどういうことなのか、総合ディレクターの荒木啓子さんにお話を聞かせてもらった。
 映画祭は場所ですから、と荒木啓子は語る。お手本の無い時代に、どのような映画監督になるのか。現代の作り手たちはそれを掴まなければいけない。


荒木さんポートレート.png

──改めて聞かせてもらうんですが、総合ディレクターのお仕事ってどういうものになるんですか。

荒木 逆に、どんなものだと思っていたの(笑)? 総合ディレクターというのは、いわゆるプロデューサーで、映画祭の場合は国際的に共通の役職名で「ディレクター」という言い方をしているんです。でもPFFの場合は、人数が少なくてなんでもやるんですよね。映画で言えばプロデューサーもディレクターも美術も音楽も全てやっているような感じです。

──恥ずかしながら、PFFに参加する前までは映画祭のコンペ部門って誰の作品が優れているのかってのを決めるものだと思っていたんです。でも僕がそういうことに興味がなかったこともあってか、「PFFアワード」は単に賞レースで終わるものではないということを思うようになりました。終わってしばらくしてからの実感としては、映画をどう見せていくかということを強く意識させられる場所だったなと思い。自然といろいろ教えてもらっていたように感じます。だから素直に思うんですけど、コンペティションをすることについてはどう思っているんでしょうか?

荒木 実はコンペティションがはじまったのは1988年からで、応募者から自分がどういう位置にいるのか分からないからコンペティションの方が良い、という声があがり変わったと聞いています。そこからずっと続いているんですけど、わたし自身はむしろ、どうしたらコンペティション臭くならないのかということに力を入れているかな。

──ちなみに、コンペティション臭くならないために工夫していることとかあるんでしょうか。

荒木 徹底的に全員を平等に扱うということですよね。賞を付けられていても、賞を付けていなくても同じ一本の作品として扱うことです。
毎回審査員が変わるのも、おんなじ人がやっていると、傾向と対策みたいなものが出来てつまらないから。わたしは出来るだけ新しい作品に出会いたい。毎回審査員が変わっても、審査員はクリエイティブを知っている人たちなわけだし、力のある映画が訴えるものは変わらないし、逆に新たなご縁で拡がっていくことを期待しています。

──なるほど。PFFには、コメディ的なものからドキュメンタリーやアニメまであれば、見たことのない形式の映画もある。本当にいろんな映画が集まる映画祭だという印象があります。そうした多様な入選作品を見ていると、コンペティションで勝つかどうかよりも、入選作品がセレクションメンバーによって議論されながら決まっていく「一次審査」と「二次審査」のシステム自体が魅力なのではないかと感じています。

荒木 ここまで手間暇かけてセレクションをしている映画祭は世界中を探してもないと思っています。「一次審査」で、ひとつの作品を3人がちゃんと通して全編見る、「二次審査」で各人の推薦した作品を全員みる、という方法に参加する、それも4か月近くに渡る時間を費やしてくれるセレクションメンバーたちには本当に頭が上がりません。

──セレクションメンバーは、どういうふうに選ばれているのですか。

荒木 過去にメンバーとして参加いただいた方、今、参加くださっている方がたに相談します。そのしんどさと面白さを知っているかたに、推薦してくださいませんかって常に探しています。あとは応募者とできるだけ年齢が近いということもポイントです。同じ感覚、同じ世界を見ている人がたくさんいないといけないと思っています。それから、ものを作る人に敬意がないと参加して欲しくないですよね。

──選ばれる作品の多様さというのは意識しているのですか。

荒木 面白いものはなんでもいいということでしかないですね。

──今回、女性の入選者が過去最多となってきたことについて何か変化を感じられますか?

荒木 女性の方が日常生活でも思いっきりよくないですか?

──そうですね(笑)。

荒木 男の人がどんどん理屈っぽくて不安感を募らせてるのに比べたら女性の方がフットワーク軽くないですか。そういうのが関係してるのかもしれないですね。周りの目は、男性ほど気にしていないんじゃない?

──いま、どういった層が応募者の中で多いのですか。

荒木 応募してくる人は学生の方が減ってきてて、長く続けている方が増える感触があります。


映画監督のイメージを持つこと

──荒木さんから見て、自主映画の強みってなんですか。

荒木 強みね。それははっきりと体温が感じられたり、匂いを感じられたりするような映画になる可能性があるということなんじゃないかな。個人の資質というのがどうしても剥き出しになってしまうから面白い。商業映画にも自主映画っぽいという監督がおられますね。瀬々敬久監督って自主映画っぽいですよね。塚本晋也監督は露骨に分かりやすいけど、橋口亮輔監督も自主映画的ですよね。わたしはでも、すごい笑えるような矢口史靖監督も自主映画っぽいと思っているんです。だってわざわざあんな映画作らないでしょ。消そうにも消せない刻印が出るってことですかね。ちょっと目を伏せちゃうような匂いがあるような人たちってイメージはあるんじゃないかな、自主映画。そこが、強み。
一方で作家性とも言うじゃない。その言葉を使いたい人は使えばいいと思うんだけど、わたしは自主映画を規定しようとか、そういう努力はしてないんですよね。やっぱり数を見ていると自主映画的な魅力があるということは分かるけど、それを整理しようとする評論を自分はやろうとしていないんです。逆に言うと自主映画を評論する人がまったく生まれていない現在、これだけの土壌があるのに貧しいと思っていますね。一部のライターさんが、いろんなスタンスから書こうとしてらっしゃるけど、すごく少ないじゃないですか。わたしは自主映画的なもの、自主映画というものはある種の王道だと思っているから、21世紀にそこを評論して盛り上げてくれる人が現れないといけないと思っているんですよね。日本の映画の世界はどんどん平均年齢が上がって行ってて、多数決じゃあ負けちゃっているけど、若い人たちが逆転しないとまずいと思っていますね。

──かつてPFFが商業映画の登竜門と呼ばれていたということを聞いたことがあります。そこから自主映画自体のあり方も大きく変わったとは思うんですが、いまPFFってどのような位置付けにあると思いますか

荒木 それは千差万別だと思います。どんなチャンスが待ってるのかは、その作品が生まれてみないと分からないから、お手本はどこにもない。とにかく自分たちの道を創り続けるばかり。ただ、始まった1970年頃の映画監督の道ってのは商業映画の道として、もっとはっきり見えていたわけですよね。そのときとは社会が違うわけで、77年のときのPFFと2018年のPFFって全然違うと思います。例えばあの頃映画学校って、日大の芸術学部と今村昌平監督の設立した日本映画学校しかなかったけどいまは星の数ほどありますしね。

──自主映画を扱う映画祭の数も増えて、また劇場公開もたくさんされるようになっていて、自主映画を見てもらえる機会は増ているように感じています。そのなかでPFFという映画祭にはどういう役割があると思いますか?

荒木 丁寧に上映することですよね。画角とかフォーマットのこととかクオリティ、音のことを全然気にしていない人は多いですし、大きなスクリーンで大勢の観客を前に上映するということを一生経験しない人もいる現実のなかで、その体験をしてもらう。そもそも映画って、大勢の人を驚かせたいってところからはじまったわけだから、大勢の人を驚かせる機会を大事にしたいんです。入選作品のクオリティチェックを映画祭がやったり、上映前にオリエンテーションをやったりとか、プロモーションの準備をやったりとか、そこまでやる映画祭は他にないと思います。作られた作品も、作った作品も、出来るだけ普通の映画と同じように、みなさんが商業映画と呼ぶようなものと同じように扱うという、最初の体験をしてもらうというのは大事にしていますね。
かつてのように職業としてはもう成り立っていないけど映画監督って呼称はある。そんな中でいま映画監督ってどうあるべきかってことを掴むことから、今の人は必要とされている。大変です。いろんな逃げ道があるけど、その覚悟を決める最初の場所として仕立てている感じですね。

──そのときに映画祭として無名の監督を紹介するのはとても難しいことだと思うんですけど、どういった工夫をしていらっしゃるんですか。

荒木 それは難しいですよね。今年の場合は18作品あって、それぞれ個性が違うことを伝えるのは至難の業。ひとつの映画の説明ですら難しいのに、すべてを正確に伝えるのなんて難しいに決まっている。そうなると作った人が自分たちで宣伝をしていくのはとっても大事だと思っています。はじめてパブリックが注目する経験と理解してもらって、見えないけど、今までの規模とはまったく違う人数が注目するし、セレクションメンバーにも憧れの人が入っているだろうし、各賞を決める審査員には全く接点のないような人まで入ってくる。そういう人たちに見せる、そして全く見知らぬ客が見るということをどう自分で使うか、そこから各監督の勝負が始まっていると思うんです。場所ですからね、映画祭は。自意識の問題だと思います。ここで何かを変えていかなきゃいけないチャンスなんですよね。この2週間の間に。入選発表のときから言うと2ヶ月で徐々に自分が変わっていくことがすごい大事だと思うんですよ。それをどう受け取るかは様々ありますけど、自分でやらないと誰もやってくれない世界を体感して欲しいですね。

──いまのお話を聞いて思い出したのは、2016年のPFF入選監督のオリエンテーションで矢口史靖監督に来てもらってお話を聞かせてもらったことですね。矢口監督が自分で上映活動をしていたときの手書きのチラシとかを見せてもらって、自分の映画をどうやって見てもらうかというところまで意識しなさい、という荒木さんからのメッセージだったなと。実際に毎年、手書きのチラシを見ていますね。


海外にもお客さんがいる

──PFFは作品を積極的に海外の映画祭へ紹介していますよね。海外の映画祭では、どういう風に日本の自主映画が受け取られるのでしょうか。

荒木 海外のお客さんは感情を露わにするので、反応がすごく分かりやすいですよね。日本のお客さんは年々なにを考えているのか分からなくなってきている気がします。
もしチャンスがあれば日本の映画が海外でかかるところを見に行ったほうがいいと思いますよ。とくにアジアの映画祭はお客が若くて、大人になると見に来なくて学生しか来ないから。スタッフとかものすごい楽しそうですからね。日本とかヨーロッパはもう成熟しちゃってて大人が多いんだけど、そういうことが全然なくて、いま勃興している国と衰退している国とでは全然違うのが実感できる。そういうことも実際見てみるといいと思いますよ。先日、台北映画祭で濱口竜介さんの『寝ても覚めても』を拝見したんですが、台北のお客さんの反応最高でしたね。ちょっと話変わりますが、日本にいるとみんな暗い顔していてヤバいんじゃないかって、海外に旅行して帰ってきただけでもそう思わないですか?

──海外映画祭に紹介していく理由というのはどういうことですか。

荒木 観客は世界中にいるんだと知って欲しいのが最大の理由。映画ってコミュニケーション媒体として最強だから、ある程度、例えば全く字幕がなくても分かるときもありますよね。日本にいて外国の映画ばっかりを見ている人がいっぱいいるでしょ、それと同じことが海外でも起きているのだということをまず実感してもらいたいですね。あと、中国とインドはアップしているけど、こんなに世界中で映画が衰退していく中で、マーケットが日本だけじゃ無理だということを早く認識して欲しい。映画を作って仕事にしていこうとか一生作っていこうと思うと、日本にいるだけじゃ先細りだから、あんまり日本のことだけを真剣に考えない方がよいということがありますね。あとは映画祭からの招待でタダで海外に行けるかもしれないわけですよ、さらに映画の監督というだけで尊敬されるんですよ、普通に旅をしていたら友達ができない人も出来るんですよね。そういったチャンスを出来るだけつかんでほしいとか、そういういろんな気持ちがありますね。つまり映画監督って面白い人でいて欲しいわけ。世界中で通用する人でいて欲しい。だったら、それなりの場数を踏んで欲しいんです。そんな感じかなあ・・・

──そうですね。早く僕も海外に飛び出そうと思います。いつの間にか自分の方が励まされるインタビューになりました。どうもありがとうございました。

取材・構成 三浦翔


「第40回ぴあフィルムフェスティバル」メインビジュアル.jpgのサムネイル画像

第40回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)公式サイト 2018年9月8日(土)~22日(土)[月曜休館・13日間] 国立映画アーカイブにて開催

荒木啓子

1990よりPFFに参加。1992年からPFF初の「総合ディレクター」を務める。コンペティション部門「PFFアワード」の応募促進を進める一方で、招待作品部門の充実を測り、中国インディペンデント映画の特集や、アジア初のミヒャエル・ハネケ特集、日本初のダグラス・サーク特集や、アニメーション監督の北久保弘之、大森克己らスチルカメラマンの"動かない映像表現"を紹介する「新映像スペクトラム」、ロングライフデザイン活動家のナガオカケンメイ、TVドキュメンタリー「NONFIX」シリーズの上映といった、映画以外の映像作家の紹介を行うなど、若い観客に向けて様々な試みを積極的に展開する。
加えて、日本の若い才能を世界に紹介することを目的に、PFFアワード、PFFスカラシップ作品の海外映画祭への出品を積極的に推進。これまでに177作品を49カ国、283の映画祭で上映(2018年8月31日現在)。