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September 24, 2018

『あみこ』山中瑶子インタヴュー
三浦翔

[ cinema , interview ]

底知れない広がりや誰にも居着かないしなやかさ

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約一年前の第39回ぴあフィルムフェスティバルで、山中瑶子監督は初監督作となる『あみこ』で「PFFアワード2017」観客賞を受賞した。その後ベルリン、香港、韓国、カナダなど世界中の映画祭を周り評価され、遂に9月1日(土)にポレポレ東中野で劇場公開された。通常のレイトショーが即座に満席となったことで、異例のスーパーレイトショーという聞き慣れぬ追加上映までを決めた盛り上がりを見せる『あみこ』は、いま日本の映画界に新たな風を吹き込んでいる。繰り返されてきた物語を生きているように見えながらも、なにものにも似ていない自由さを抱えた「あみこ」からはどこか現代的な新しさを感じる。この自由なパワーはどこから来るのか。長野のこと、東京のこと、手探りで映画を作る経験や破壊力バツグンのセリフなど、山中瑶子監督に急遽メールインタヴューを行った。


──山中監督はもともと映画がとても好きでたくさん見ていた学生だったとお聞きしています。『あみこ』は大学を辞めてから撮られたと聞いているのですが、大学にはそもそも映画の制作を学ぶために進学したのでしょうか?映画を作ろうとする大学生が大学になにを期待しているのか気になっているんですよね。

山中 映画にかかわる人のなかでも、最初からディレクションに興味があったので、日本大学芸術学部映画学科の監督コースへ入学しました。映画制作を学んでやろう、というよりは、わたしよりも映画をたくさん見てる人、詳しい人に出会って圧倒されたい、という思いがありました。実際にはクラスメイトにはおそらくひとりもいなくて(わたし自身大学に入るまでは400本くらいしか見てなかったと思いますが)日芸でこれなら映画を見る映画学生は何処にいるんだろうかと純粋に驚きました。とはいえ良い友人も何人かできたので、その人たちのおかげで『あみこ』も完成しました。大学一年の後期からはほとんど行かなかったので、そこから『あみこ』を撮るまでに500本くらい見たと思います。

──『あみこ』はそもそもはじめて撮られた作品だと聞いているのですが、この映画を撮ることになった経緯を聞きたいです。きっかけなどはあるのでしょうか?

山中 大学へ行かなくなってからまるまる一年も経ってしまって、寝るか映画見るか漫画読むかだけで何もしてないじゃん自分!と思って...。実際にはバイトもちゃんと行ってましたが。

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東京、長野、文化

──『あみこ』という映画が山中監督の自伝的な映画だとは思わないのですが、長野から見た東京の感覚みたいなものは生かされているように感じました。長野県でたくさん映画を見ながら高校生活を送っていた山中監督が、どのような感覚で東京のことを思っていたのかお聞きしたいです。

山中 よく聞かれるのはやはり「これは監督の実体験をもとに?」なので、嬉しいですね。
 文化がそろっていることに対する羨ましさみたいなものは東京に感じていました。それこそ、渋谷ツタヤに高校生の頃から行けてたらどんなに良かったか。みたいな。大都会に対する憧憬はそんなになかったですね。人は少ない方が住み良いですし。でもどうせ自分は東京へ行くだろうなと思ってました。

──別のインタビューで、高校生の頃に映画を見るために夜行バスに乗って東京へ行くというお話を読んで驚きました。もしかして、好きなアーティストのライブで東京へ出掛ける高校生と近い感覚なのだろうかとも思ったのですが。たまに訪れる東京の経験はどういうものだったのでしょうか?

山中 そういう感じです。部活を辞めてからはこっそりバイトしていたので、そのお金で高速バスに乗って。最初で最後のバウスシアターがラストバウスで、そのとき入場前に後ろで並んでた同い年の子と友達になって、その子は『あみこ』のダンスシーンで踊ってます。結構すごいことですよね。地元では新しい人と出会っても、大体が知り合いの知り合いだったので、まったく知らない人と過ごす時間が毎回本当に楽しかったです。

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──この映画はある種の青春映画でもあると思うのですが、同時に地方都市の映画でもある気がします。山登りをして自然と街を見下ろせたりと、映画の中の登場人物たちは長野という街に愛着があるのではないでしょうか?

山中 わー!そうですね。まさにわたしの長野に対する感覚が出てしまっているかもしれません。長野市って本当に良いところで、「鬱屈した」「どこにもいけない」「田舎の」自分、というものが生まれにくい、素晴らしい土地だと思います。市内にシネコン、ミニシアター合わせて5館ほどありますし、大きい本屋もスタバもセレクトショップも野菜の自動販売機も寺もある。生まれ育つのにちょうど良かった。おすすめです。

──音楽とか小説も高校生の頃から好きだったりしたのですか?逆に映画に特別惹かれたりする理由があれば聞いてみたいです。

山中 音楽はなんとなくいろいろ聞いてましたが、曲名とか、どのアルバムに何が入ってるとか全然覚えられなくて。小説も、家が厳しくて本を読むことしか許されていないおかげで小中と死ぬほど読んでましたが、どうしてもディティールを覚えていられないのがもどかしく。その点映画はすごくて、もちろん忘れてしまうの箇所があるのも必須ですが、いつまででも鮮明に記憶してしまうシーンが大量にある。カタカナで長い監督名だって忘れないし、何を言ってるんだって感じですけど、わたしにとってはかなり重要で。ルー・リードが誰で何を作ったかは一回で覚えられないけどヴィットリオ・デ・シーカはそれができる。まあ映画が好きということです。



映画を手探りで作ること

──映画を手探りで作る経験についてお伺いしたいです。もしかすると誰も教えてくれないなかで映画を作ることになったのかと思うのですが、何かを参考にしながら自分の作り方を見つけていったのでしょうか?

山中 そうですね、本当に現場スタッフで一番映画制作をわかっていないのはわたしだったと思います。一応自主映画制作ハウツー本みたいなものをひとつだけ買って、それをパラパラ眺めてわかった気になっておきました。一番参考になったのは今まで見てきた映画ですね。ただわたしは日記や家計簿を全くつけられない人間なので、見た映画の感想や良いショットなどの記録ができないんです。いまだにやろうとするけどできなくて、だから記憶を頼りにするしかないのですが。

──撮影現場で話し合いながらカット割りが決まっていったのでしょうか?むしろ、あらかじめかなりの画コンテは考え込まれていたのではと思ったのですが。

山中 あらかじめバッチリ決めたコンテもあります。全部のコンテを事前に決めたかったですが、制作含めた準備も全部ひとりでやっていたので結局時間が取れずその場で決めることも多かったです。

──東京編は書き終わらないまま、撮影に入ったと聞きます。それでも撮影が出来るという確信はなんだったのでしょうか。

山中 もうクランクインの日も決めてしまっていて、スタッフや役者のスケジュールもおさえてしまったから仕方なくです。そうでもしないといつまでも書かない気がしたので。早く撮っちゃいたかったんです。映画を撮ったあとの自分はどんなもんかと思って。

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──『あみこ』の物語についてですが、長野から東京へ出ていく設定が先にあって脚本を書いていったのでしょうか?そのような設定の映画を撮ろうと思った理由があればお聞きしたいです。

山中 最初に、男女の逃避行を描いてみたくて、しかも寒いところが良かったんです。青森とか。 なので実は、東京から寒い地方に逃げる、という設定がいちばん最初にありました。でも出だしからうまく書けなかったので、すぐに寒い地方から東京へ行く話に書き換えました。そしたら結局男女ではなく女子高生とか、田舎から東京へ行く、みたいな、よくあるっちゃある題材には落ち着いたんですけど。それでもいいと思ったし、今までにないものが撮れたんじゃないかとは思います。



「あみこ」の軽快さについて

──「あみこ」が次々に放つ言葉がすごく良いのですが、どこからその言葉の感覚は出てくるのか知りたいです。台詞を書いたりするのは好きでしょうか?脚本はどのようなプロセスで出来上がっていくのでしょうか?

山中 昔からの癖で、学校の先生とかが子どものためを思って真面目な話をしてるときに、絶対言っちゃいけない発言をしたい衝動があって、その思い浮かんだフレーズが自分で気に入って書き留めることはよくありましたね。あまり関係ない気もしますが...。最初からト書きがある脚本を書くことができないので、小説みたいなものから書いてます。台詞を書くのも好きですし、情景や心理描写を書くのも好きです。

──台詞で次々に変化していく感情を語らせていったことが、この映画にある種の軽快さを持たせているとも思いました。

山中 小説形式で書いていたときは台詞自体は意識して少なくしていたんです。その分心理描写を細かく書き込んでいて。映画のイメージも最初はこんなに台詞が立つものにするつもりはなくて、むしろ静かな映画にするつもりでした。

──モノローグが増えていく過程で映像が退屈になってしまわないかなど、難しさは感じたりしませんでしたか?

山中 あんまり覚えてないですが、編集にしてもモノローグ量にしても自分が気持ちいいと思う感覚を信じてやってました。

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──「あみこ」は自分のことを特別だと言っていても、排他的で周りに暴力を撒き散らすわけではない。どこか周りの子達と距離を取っていたりするけれど、同時に閉じてはいない人物だったという気がします。それが良い映画だなと思った部分なのですが、このような若者の心情を、よくある日本映画のように悲劇的に描くのではなく、喜劇的に、あるいはポップに描こうと思った理由はどういうものですか?

山中 実は最初からポップにするつもりはなくて、撮影中に主演の春原さんを見ていくうちにあみこのキャラクターも変化していったというか。例えば床で転がるシーンも、確か脚本では書いてなくて、春原さんが演じるあみこならこうするだろうみたいなものがどんどん出てきて、それが結果としてポップさに繋がったと思います。あとは編集作業が辛くて、自分自身が喜劇的なものを求めて編集したらあんなテンポになってしまった。なってしまった、という言い方がふさわしいです。よくある日本映画、分かります(笑)。そういうものを撮るつもりもなく、静かに爆発してるようなエネルギッシュなものを最初は撮りたかったです。あみこはまさに閉じている人物ではないですね、底知れない広がりや誰にも居着かないしなやかさみたいなものは最初から意識していて、動く春原さんを見てからはもう迷いはなかったです。

──PFFのパンフレットで好きな監督にハル・ハートリーと書かれていたと思うのですが、ハル・ハートリー作品のどういったところが好きなのでしょうか?ハル・ハートリー作品がいまの作り手に刺激を与えているものはなにかと気になっているんです。

山中 ハル・ハートリーの初長編作『アンビリーバブル・トゥルース』(1989)って、もう30年前の作品なんですけど。それが信じられなくて、今見てもスタイリッシュだし、イケてるんです。30年前にニューヨークの人たちがこれを見てどう思ったかはわからないんですけど。登場人物たちはどの作品もイケてない人ばかりなのに、それが映画になるとすごくイケてて、画と音楽と台詞のバランス感が見事ですし、観ていて一番うっとりする監督です。作品からついもれてしまうハル・ハートリー自身の孤独もたまらないですね、かなり孤高の人だと思います。人間としてのいやらしさを感じない、まっすぐな映画を撮る。なんか映画監督とかで、「あの監督、私生活はめちゃくちゃで」って、お金とか性に奔放とかあるじゃないですか、それもドラマチックで面白いですけど。誠実すぎるがあまり生きづらくて映画を撮っててもずっと苦しい、でも映画以外の何かで奔放にもなれない、みたいな人の映画を観たいです。ハルが実際どういう人かは知らないですけど(笑)。

──『あみこ』で山中監督のスタイルが完成したという感じはせず、デビュー作にふさわしい清々しさを持つ可能性の塊なんだと感じました。今後、全く違う映画にもどんどん挑戦していくのではと思うのですが、これからどんな映画を撮ってみたいということはありますか?

山中 『あみこ』ももともとはこういった作風にするつもりはなかったですしね。ダルデンヌ兄弟みたいな映画も撮ってみたいですし、『リトル・ミス・サンシャイン』(2006)みたいなのもいつか撮ります。題材で言えば、子どもを撮りたいです。あとは犯罪に手を染める人もずっと撮ってみたかったですね。



取材・構成 三浦翔



20180311_180311_0002.jpgのサムネイル画像山中瑶子(やまなか・ようこ)

1997年生まれ、長野県出身。初監督作品『あみこ』がPFFアワード2017で観客賞を受賞。20歳でベルリン国際映画祭に招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。同作でポレポレ東中野の一週間レイトショー動員記録を大幅に塗り替える。新作は山戸結希プロデュースのオムニバス映画『21世紀の女の子』。





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『あみこ』

(2017年/日本/66分)

監督 山中瑶子

脚本 山中瑶子

撮影 加藤明日花、山中瑶子ほか

録音 岡崎友理恵

出演 春原愛良、大下ヒロト、峯尾麻衣子、長谷川愛悠、廣渡美鮎

※9/1よりポレポレ東中野にて連日レイトショー上映