『体操しようよ』菊地健雄(監督)和田清人(脚本)インタビュー
[ interview ]
(c)2018『体操しようよ』製作委員会
60歳のシングルファーザー佐野道太郎(草刈正雄)が定年退職した日、娘の弓子(木村文乃)から、手紙をもらう。しかし、その内容は、今後は自分で家事をするようにというものだった。初めての家事、そしてラジオ体操を通してそれまで関わることのなかった地域と交流を持つことで、道太郎は新しい人生を見つけていく。
定年後の生活という、父親世代の物語を映画化するのにどのようなやり取りをしたのか。そして、老若男女誰もが楽しめる作品にするためにどのように映画化したのか。映画美学校の同期でもある、菊地健雄監督と脚本家の和田清人さんのおふたりにお話を伺った。
──おふたりがこの映画の企画に参加するときには、プロデューサーである春藤忠温さんの書かれた脚本がすでにあったと伺いました。そこからどのように脚本を作っていったのでしょうか。
和田 「定年退職した男がラジオ体操と出会い、まちの人々と交流する」という大枠のプロットは既にありました。ただ、渡された脚本はあまりにも事件がなく、淡々とした話だったので、僕が手を入れることになって。主人公が家の中で邪魔者扱いされたり、ラジオ体操仲間の家族の問題に首を突っ込んだり、コミカルなシーンを繋いでいって、テンポよく見せるような脚本にしました。
菊地 最初に春藤さんが書いた脚本もドタバタコメディみたいな感じで、それはそれで面白かったんです。ただ、春藤さんから声をかけていただいた時に「ドラマをもうひとつ強化したいんだ」と言われたこともあって、僕の方で親子の物語に集約していったらどうかというアイディアを出させてもらいました。そこから半年以上、和田くんと膝を交えて作業しました。
和田 春藤さんが「監督と和田くんが納得いくまでふたりで脚本を作っていいよ」と任せてくれたんですよね。そこは本当に感謝しています。特にオリジナル脚本の場合、大人数で打合せをすると迷走しちゃうことが多いので(笑)
監督と改稿作業に入る時点で、すでに主演は草刈正雄さんに決まっていました。僕は『体操しようよ』はスター映画だと思っているんですけど、早い段階で草刈さんの顔が見えていたので書きやすかったです。
──ラジオ体操がテーマというのはどうだったんでしょうか。たぶん僕らくらいの年代だとラジオ体操は小学校の夏休みに行かされるという、みんな同じ思い出しか持っていないですよね。
和田 最初に「ラジオ体操の映画をやりたい」と聞いたときは、いちおう運動といえば運動だけど地味だし、誰かと競うわけでもないし、面白くなるのか疑問でした。一方で、ラジオ体操の映画というのは見たことないなと。日本人の誰もが知っている体操だし、やりようによっては面白くできるかも、とは思いましたね。
菊地 僕は正直「えっ、ラジオ体操かよ」と(笑)。『ハローグッバイ』(2017)のときも、なんでこんなおっさんに女子高生の話をと思ったんですけど(笑)、今回も40手前の僕に定年退職したお父さんがラジオ体操をする話を監督させることに驚きがありました。
脚本を作っていくにあたっては『Shall we ダンス?』(1996)がひとつ参考作品としてあったんですけど、社交ダンスはもっとダイナミックな運動があるし、他人と競う勝負としての魅力もあるんですよね。ラジオ体操はやればやるほどうまくなるんですけど、技術を競うものではないし。最初はどうすれば映画になるんだろうという不安がありました。実際にいくつかラジオ体操会にお邪魔して、毎朝同じ時間に集まって同じ運動をしているけど、そこに集う人たちはそれぞれ違う人生を生きてきた人たちだということに気がつきました。あと、一緒にラジオ体操をしていても、そんなに深い付き合いにならないのも面白いなと。人間がみせる表の部分と裏の部分、体操をしている時とそれ以外の時をうまく使っていけば、もしかしたら映画になるかもしれないな、と思いました。
和田 ラジオ体操会の人たちが実はそれぞれが何か問題を抱えている、というのはわりと早い段階で決まっていましたね。
──まちの人たちが集まってラジオ体操している、房総半島の野島崎灯台の風景は圧倒的ですね。あの場所を探すのにはすごく時間がかかったと伺いました。
菊地 結構探しましたね。ロケハンで三浦半島を一周したし、房総半島もほぼ一周しています。場所に関してはすごく悩んだんですけど、決め手となった理由は灯台というわかりやすいランドマークがあること、それと高低差があることです。フラットだと位置関係が見えにくいところがあるんです。佐野道太郎(草刈正雄)がはじめてラジオ体操会の人たちと出会う場面でいうと、「階段を上っていく道太郎とその奥でラジオ体操をする人たち」というシーンの対比が見えやすい、それが一番大きな決め手でした。
──海岸線を高いところから映している映像がありました。あれは灯台から撮影したものですね。
菊地 あの風景を撮りたかったというのも選んだ理由としてありますね。僕のこれまでの作品では、ほぼひとつの地域で撮影していて、『ディアーディアー』(2015)は地元の足利ですし、『望郷』(2017)は原作者である湊かなえさんの出身地の因島ということで、イメージを作りやすいところもありました。『体操しようよ』の場合、設定は館山市ということになっていますけど、房総半島だったり三浦半島だったり、複数の場所を組み合わせてひとつのまちにしています。何か今までの作品と違うことができないかなということで、撮影の佐々木(靖之)くんとも相談しながらあの風景になったというところはあります。
それまでまちと無縁だった主人公がまちの人々と出会う話なので、日常から非日常にジャンプする感じをどう出すのか、というのがひとつのテーマでした。その入口がラジオ体操会で、きたろうさん演じる神田会長の便利屋で働くようになると、さらにそれまでみたことのない風景に出会うようになる。その感じはうまくいったのかなと思いますね。
ロケハンで場所が決まると、それに合わせて和田くんに脚本を書き直してもらいました。神田会長がボーイスカウトを指導しているというのも脚本先行ではなくて、たまたまロケハンでそういう場所を見つけたので新たに追加した設定です。
──この映画で描かれているコミュニティの大きさというのがちょうどいいように感じました。藤澤のぞみ(和久井映見)が営む喫茶店がまちの人々が集まる場所になっていて、たとえば道太郎と娘の弓子(木村文乃)が偶然会う場面があります。のぞみさんはふたりのことを別々に知っているんだけど、偶然喫茶店でふたりが出会うことではじめて親子であることに気づく。そうした場所や人を介して、ふたりが繋がっているんですね。
菊地 コミュニティの大きさはいつもなかなか悩むところですが、この映画では人物配置としてあちこちで人物の三角関係ができるんです。便利商会のところでも、神田会長とそこで働く馬場薫(渡辺大知)とある種の三角関係ですよね。道太郎と薫は最初反発しているけどだんだん友情が芽生えていく、という意味でふたりの間には会長がいるし。のぞみさんと道太郎と会長もある種の三角関係と言えます。恋愛における三角関係ということではなくて、三人ひと組のような括り方が人物相関図の中でいくつもできるというのがこの映画の特徴だったりするのかなと思います。それは和田くんが意識的に書いてましたよね。
和田 そうですね。人物の三角関係が多い方が脚本を作りやすいんです。Aが知らないBの過去をCが伝えるといったことが、ドラマの契機になるので。
(c)2018『体操しようよ』製作委員会
──まちの人たちがラジオ体操に参加していて、途中ラジオ体操会の分裂騒動が起きたりする、そうしたコミュニティの中の人々が蠢く様が描かれる一方で、片桐はいりさん演じるみどりがすごく印象に残りました。彼女は道太郎が通る道を掃除しているだけで、他の人たちと交わらないし、ラジオ体操もしないんですね。
和田 そうですね。地蔵のようにいつもそこにいる人というか。実は、終盤まちの人たちが一堂に会するシーンで、みどりも参加するパターンを考えていたんです。ただ、その脚本を読んだ片桐さんが「私はずっとあの道にいるだけの距離感の人なんじゃないか」とおっしゃってくれて。それで僕たちも踏ん切りがついて。この人は三叉路ですれ違うだけの人でいいんだと。
菊地 三叉路は和田くんのアイディアで、最初の稿から書かれていました。三叉路って主人公の選択をわかりやすくビジュアルで表現できるので、すごくいいなと思いましたね。
和田 いつもの道ではない、別の道に踏み出す瞬間というのは、単純にドラマになるかなと。ジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』(1986)のラストとか、映画の中の三叉路って好きなんですよね。
菊地 和田くんとふたりで話していて記憶に残っているのは、この映画はコミュニテイの話ではあるけど、ラジオ体操会の人々と家の中しか出てこない。道太郎の働いていた会社も少し出てくるんですけど。みどりはそういう組織や集団に属さずに、フラットな視点でまちを見ている、定点観測している人物という捉え方になったら面白いのかなというのはありましたね。
和田 三叉路を通るシーンで、道太郎のコンディションがわかるようにしているんです。雨の中うずくまってしまうところもそうだし、娘とはじめて並んで歩くところもあの三叉路です。この映画は主人公が他人と向き合って、ちゃんと「おはようございます」を言えるようになるまでの話でもあるので、三叉路での挨拶の変化も意外と重要だったりします。脚本をスリム化していくなかで、このシーンがなくても映画は成立するんじゃないかという話もありましたけど、完成した映画をみてやっぱりあった方がいいなと思いました。
菊地 脚本上決定的な出来事が起こるわけではないんだけど、道太郎のエモーションが動くときに必ずこの場所が出てきます。接着剤のように道太郎の行動や感情を繋げている場所だったりするんです。あの場所に片桐さんがいるということもすごくハマったような気がします。映画をみて書いた本人としてはどうでした?
和田 すごく好きですね。カメラがみどりに寄らないんだなとは思いましたけど(笑)。その割り切りも良かったですね。
菊地 脚本通り寄りのカットも撮ったんですけど、使ってないんです。これを片桐さんがみたら怒るんじゃないかってちょっとドキドキしてたんですけど、この前ようやく試写会でみてもらって「すごい良かった」と言われたのでホッとしました(笑)。
──僕は最初に見たとき、最近のアメリカ映画よりもアメリカ映画をやっている、という印象がありました。それは何かというと、物語をちゃんと追っていなくても画面を見ていたらいま何が起きているかわかるんですね。そういう安心感がありました。
菊地 それは佐々木くんの力も大きいです。和田くんが書いてくれた脚本をどう撮るかとなったときに、今度は佐々木くんと4、5日缶詰になって、コンテを作る作業をするんですね。脚本に書いてある物語だったりエモーションだったりをそのまま撮ると表情やセリフが全部説明になってしまって、僕らからするとそれが気持ち悪い。なので、カット構成だったり、芝居のあり方でどう物語を伝えていくか、そういうことを洗い出して行く作業をしました。そして、ロケ場所が決まってから芝居とカメラの関係性を決めていきます。もちろんそれは現場に行くとまた変わるんですけどね。そんなふうに動けないということもあるし、意外と思ったようにカメラが入れないみたいなこともあるし。現場で対応していく中で新たな発見していくこともあります。実際の撮影は、ある程度の仮説を立てておいた上でそれを実証して再構築していく作業になっていくというか。
──佐々木さんは菊地監督の現場だとレンズを変える頻度が多いと伺いました。
菊地 レンズを変える頻度というよりは、どのレンズの選択するかの違いかなと思います。例えば、佐々木くんがやはりよく組んでいる瀬田なつき監督の映画と比べると顕著なんですけど、彼女は現場で役者を自由に動かすし、そこに演出の肝があるので、撮影もある程度フレキシブルに対応しないといけない。だから佐々木くんもズームレンズを付けることが多いんらしいんです。一方で、僕の場合は完全に構築してから撮影するので、単焦点レンズがメインになります。だいたい50ミリでみるんですけど。50ミリってやっぱり小津の距離だし、ブレッソンもだいたい50ミリで撮っていて、ベーシックな映画の距離感ってこうだよねというところで、芝居を切り取りやすく落ち着きます。ただ今回の場合は、ラジオ体操をしている場面の距離感というかグループショットの収め方のところで、少し悩みながらでしたが40ミリというレンズを採用しています。どういうサイズ感で切り取るかを前提にして僕は芝居を考えないといけないし、逆に僕がこういう演出をしたいからこういうレンズで構えないといけないということもあります。あとは反復させたり、撮影したショットをカットしてシーンを構築する中で効いていることもある。そのシーン単体で画がいいからそうしているというわけではなくて、全体の構成の中で局面、局面でどういう選択にするかとかいうことを考えるんですね。佐々木くんとはこれまで4本組んできて、徐々に撮り方を変えてきています。『ディアーディアー』は手持ちが多かったけど、『ハローグッバイ』はほぼ据え置きでやっていて、『望郷』くらいからトラックショットを使ってとか工夫を重ねてきていて。とはいえ発展途上で、やりようはまだまだあるんですけどね。
(c)2018『体操しようよ』製作委員会
──『体操しようよ』でいうと、感動的なのはそれまでバラバラのように見えた父と娘が終盤になるとまったく同じ動きをするようになることです。ふたりが食卓でカレーを一緒に食べているときに、スプーンを口に持っていくふたりの手の動きがシンクロしていく。あのシーンは脚本から書かれていたんでしょうか。
和田 あれは完全に監督のアイディアですね。ただ、ラジオ体操の参考文献の中に「共振」という言葉があって、それは意識的に脚本に取り入れていました。
菊地 ふたりが同じ動きをするというアイディアを思いついたことで、会話がメインだったシーンをセリフなしでみせることができるかなと思いました。僕らは小津映画のように、ふたりが杯を同時に持ち上げるだけで心情が伝わることをたくさん過去の映画の中でみてきているので、セリフで言わずとも人物の動きとか、それこそ雨みたいなことで伝えられないものかというのはわりとあるんですね。でも、そうやって脚本に書かれたものから変えることができるのも、前提としてしっかりとした物語が構築されていないとできないわけで。そこはしっかり和田くんと密に脚本作りをさせてもらっているので、その強度が高ければ高いほど、後でセリフをアクションに変えても伝わるかなというのはありました。
和田 今回そこの誤差はあまりなかったかもしれないですね。下北沢の喫茶店でほぼ毎週会っていたし、頻繁に電話でやりとりもしていたので。脚本がやりすぎていないかは常にふたりでチェックしていました。おもしろいアイディアもこの映画に合っていないと思ったら捨てるし、エモーショナルな長台詞もそれがなくて成立するのであれば切る。やっぱりセリフなしで伝えられた方がいいに決まっているので。
菊地 一生懸命考えてくれたセリフなので、都合良く切られて怒られるんじゃないかとドキドキしながら提案したところ、それはおもしろいですねと言ってくれて、それを許してくれたというのもありがたかったですね。言ってみれば、僕は和田くんの書いた脚本を佐々木くんにどう橋渡しするかみたいな役割でもあるんです。和田くんがイメージを持って書いてくれた脚本も立体的と言えるんだけど、実際に映像として立ち上げる作業は佐々木くんとやらないといけない。ふたりと感覚を共有しながら、言語と映像の間を往復しながら、脚本をブラッシュアップしていく。監督が自分で脚本を書いて演出するとなると違うスタイルになるんですけど、僕は書かない場合が多いので。自分以外の脳みそから出てくるいろんなものを最終的に作品に落とし込む作業は大変ですけど、すごく面白いです。自分では絶対思いつかないアイディアを和田くんが出してきて、それを受けて佐々木くんはこんな球を返したとか。ふたりは面と向かってはやらないけど、僕を介してバチバチやっているところもあるんですね。ちなみに、この映画の中で自分が書いたシーンといい意味でも悪い意味でもこんな風に変わったんだというところはありました?
和田 ポジティブな意味ですけど、木村文乃さんの芝居は僕が想定していたものとは違ったかもしれないですね。弓子はもう少し体温がある人かなと思っていました。ただ「ぶっきらぼうに見えて実はお父さんのことを考えている」というのをどれくらい芝居でみせるべきかを考えると、これが正解かなと思います。
菊地 そこは僕と木村さんでもすごく話し合ったところでした。木村さんの最初のプランとしてはもうちょっと感情をにじませる方向でした。ただ一方で、草刈さんがわりと淡々とした方向になっていったのが大きく影響して、あまりベタベタしている親子ではないのかなというのがありました。きたろうさんあたりはどんどん足し算をしてくれるんですけど、草刈さんと木村さんに関しては引き算を少し。僕も悩みながらでしたが、あえてそっちに舵を切りました。
和田 結果的にとてもみやすくなったと思います。どうしても終盤に強いシーンがあるので、最初から湿っぽい感じになっていると、あんまり品が良くないかなと。
菊地 あとは、ふたりの視線をあまり合わせたくないというのがあったんですね。セリフも大事だけど、芝居になると今度はどこで目があうかとか視線の置きどころってすごく難しいなと思うんです。この父娘に関してはそれまでそれほど向かい合ってないものが最後のところで向かい合う。その後のシーンでは、一瞬草刈さんがちょっとだけ娘の目を見て、木村さんがすぐ外すみたいなことをしているんですけど、そういう関係がすべてを物語ってくれればいいな、というのはやりながら思っていました。父親と娘の話というところでは、それこそ『晩春』(1949)と『秋刀魚の味』(1962)の結婚前夜がどのように描かれているのかを検証しましたよね。
和田 ここはもう割り切って小津を参考にしてしまおうと。僕がシナリオ集を持っていたので、音読して検証しましたね。『晩春』は結婚前夜にかなり長い会話をしているんですけど、後期の『秋刀魚の味』になるとほとんどしゃべらなくなる。『体操しようよ』は、『秋刀魚の味』の方向かなと。弓子のキャラクターを考えるときに「現代に原節子は存在しない」という話をよくしていて。当たり前のことですが、家族のあり方が小津の時代とはまったく違うので。木村さんの芝居をどうすべきか悩んだ理由も、そこだったのかなと思います。
監督と初めてふたりで打合せをした時、結局目指すところは松竹大船調なのかなという話もしましたね。小津だけじゃなくて渋谷実とか大庭秀雄とか、かつて松竹大船撮影所で作られていたプログラムピクチャーとしてのホームドラマをやるべきかなと。
──気合い入れて大傑作を作ろうということではなくて、当たり前のようにある映画というか。
和田 そうです。もちろん手を抜いてるわけではなくて、全力で書いてるんですけど(笑)。どこかでプログラムピクチャーとしておもしろいものにするという意識があったというか。シニア世代の人が安心して見られる娯楽作品って意外と少ないんですよね。『体操しようよ』は自分から発信した企画ではないし、撮影所にいたらたまたま回ってきた仕事みたいなところがあって。与えられた題材を、限られた時間の中でどうおもしろくするか、というところにチャレンジできたと思っています。
菊地 ホームドラマというジャンルは映画史の中に綿々とあるわけで、歴史を受け継ぎつつ今しかできないことは何なのかというところは、僕にしろ和田くんにしろ意識しながら作っていました。
──菊地監督の映画はどれも2時間を超えないですよね。
菊地 映画を見慣れていない人でも耐えれる内容だったり、尺だったり。年に何回かしか映画館に行かない人でも何が起っているかはちゃんとわかって、飽きずに最後までみられる、ということは結構毎回意識します。
最近シニアの方に向けて作る映画が増えていると思います。そのときにいまの日本のリアルを追求してしまうと、老後ってハードだなという感じがするんです。自分の父親もそれくらいの歳ですけど。『体操しようよ』は、ハードな現実ばかりを描くよりも、これはやっぱり喜劇だよねというつもりで僕らは脚本を作ったので。せっかく一生懸命働いたんだから、老後はせめて笑いながら楽しく過ごして欲しい。そういったハレの感じを映画の中では広げたかったんだと思います。
取材・構成 渡辺進也
菊地健雄(きくち・たけお)
1978年生まれ。映画監督。明治大学卒業後に映画美学校に入学し、瀬々敬久監督に師事。その後多くの作品で助監督を務め、『ディーアーディアー』(2015)が長編初監督作品となる。同作は第39回モントリオール世界映画祭に出品され、第16回ニッポンコネクションではニッポン・ヴィジョンズ審査員賞を受賞。長編2作目の『ハローグッバイ』(2017)は第29回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門に正式出品。湊かなえ原作の『望郷』(2017)では第9回TAMA映画賞の最優秀新進監督賞を受賞した。
和田清人(わだ・きよと)
1982年生まれ。脚本家。東京藝術大学大学院映像研究科脚本領域第1期生。脚本家・田中陽造に師事。主な脚本作品に『先輩と彼女』(2015、池田千尋監督)、『森山中教習所』(2016、豊島圭介監督)、11月23日公開の『ギャングース』(2018、入江悠監督)がある。
(c)2018『体操しようよ』製作委員会
『体操しようよ』
(2018年/日本/109分/ビスタサイズ)
監督 菊地健雄
プロデューサー 春藤忠温 川端基夫 坂野かおり
脚本 和田清人 春藤忠温
撮影 佐々木靖之
出演 草刈正雄 木村文乃 きたろう 渡辺大知(黒猫チェルシー) 和久井映見
主題歌 「体操しようよ」RCサクセッション(ユニバーサルミュージック)
11/9(金)全国ロードショー