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December 9, 2018

『花札渡世』成澤昌茂
千浦僚

[ cinema ]

 あるとき環状七号を富田克也氏の運転する車で運ばれていくなか、駄弁りで聞いた話。当時こちらは映画館のスタッフで、富田氏相澤虎之助氏ら空族の作品を上映していて日常つきあいがあった頃。私がフィルムの映写をずっとやっている身であることを富田氏が、そういうあまり他の人間がやってない技術で世を渡っていけるのはいいね、と買いかぶったところから、そういえば、と続けて、隠れカジノのルーレットディーラーの話をしてくれた。
 特注ケースに収めたルーレット盤と、設置のための水準器と管理のための湿度計を持って全国のアンダーグラウンドなギャンブル場を渡り歩くルーレットのディーラーが存在するそうだ。そういう身ひとつと多少の道具と技術っつーのがいいですよねえ......。そういう男を映画で描きたいとも思ったそうだがいまだ彼らの映画にルーレット職人は登場していない。......幾分かは出目も狙えるらしいがそれも時と場で抑えて、その界隈の持続可能性にこそ殉じつつ、台の置きと動きの厳正さのため水準器と湿度計、そのほかにも何やかやを用意して全国を流れる男。ギャンブルという浮ついてみえるものを生業とするその男が、慎重に使う物や己の身の回りを整えていることを聞いて私が思い浮かべたのは内田吐夢『人生劇場 飛車角と吉良常』(1968年)の、花札のあつかいのために指の腹や指先をやすりで研ぐ博徒飛車角(鶴田浩二)の、暗く凄みのある姿であった。
 そのような博徒の世界を描きながら、英語で言うならさしづめ hidden gem とでもいうような存在の映画が『花札渡世』(1967年)だ。
 監督脚本は成澤昌茂(born 1925)。『赤線地帯』(1965年)などの脚本家で、溝口健二の最期にも立ち会った白皙の美青年(←新藤兼人によるドキュメンタリー『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年)に登場する氏の佇まいからイメージする当時)が後年監督した数少ない映画のなかの異色作、変格任侠映画がこれ。
 その成り立ち、内容、詳細、裏話についてはキネマ旬報隔号連載の「成澤昌茂、生涯を語る 映画と芝居のはなし」の11月下旬号連載第三回目において成澤氏本人の談があり、12月下旬号の第四回に付された映画史研究者・プロデューサー・脚本家の伊藤彰彦氏の談"「花札渡世」はいま観られるべき、異色の任侠映画である"でも紹介、分析されており、ここで書くようなことはもはやない。
 ただ、トリヴィアルになにかを付け加えるならば、この映画で伴淳三郎がつかう反射するものへの映りこみによって札を盗み見るイカサマのテクニックは"おかる"といわれるものでその名は仮名手本忠臣蔵の七段目、一力茶屋の場でおかる(おかると勘平の)が大星由良之介の読む密書を手鏡で盗み読むことに由来していることぐらいか。これは鈴木清順『関東無宿』(1963年)にも登場するし、これと同一原作の映画化である『地底の歌』(野口博志、1956年)にも登場する。この技をつかう博徒、通り名"おかる八"を野口版では菅井一郎、清順版では伊藤雄之助が演じた。原作となっている平林たい子による小説『地底の歌』(1948年刊)にも描かれていると思われる(筆者不勉強のため未読)。これらの映画から成澤氏が影響を受けたというより、先述のキネ旬の記事において語られていること、東映東京のプロデューサーに、花札が出てきて女が絡む任侠映画の脚本をと請われた成澤氏が、参考にとその足で本屋に行って買った、花札といかさまについての本にあったネタが"おかる"で、それが『花札渡世』に活きたと見るべきだろう。11月17日から12月14日まで開催されているシネマヴェーラ渋谷の仁侠映画特集のプログラムの中でも、たとえば『日本女侠伝 激斗ひめゆり岬』(監督小沢茂弘、脚本笠原和夫、1971年)では沖縄で運送業を営む藤純子が駐留米軍兵とガソリンを賭けておこなうポーカーで、彼女の手下の潮健児がしているGIベルトのバックルの映りこみから米兵の手札を読んで勝負に勝つというくだりがあり、これは映画の画になる定番のイカサマかもしれない。
 やくざ映画と言った場合、今日ではそれを、明治大正や昭和初期を舞台にした着流しの侠客や博徒が登場する任侠映画と、それ以降の現代を舞台にした洋装のヤクザたちが出てくるヤクザ映画(実際の出来事や人物に材をとっているか事件ものらしいタッチを狙っていれば実録やくざ映画)に二分できるが、面白いのはこのジャンルがコスチュームプレイ、衣装の劇であるということ、説話の主題ではなく人物の服装でその区分を説明できてしまう実に奇妙な映画群であるということだ。さらに言えば仁侠映画の世界において洋装や突飛な服装をした者はたいてい古きよき共同体の価値観を破壊する悪者とされる。名作『明治侠客伝 三代目襲名』(加藤泰、1965年)における大木実から、それなりの作品である『関東やくざ嵐』の天知茂や『博奕打ち 殴り込み』の待田京介、『博徒対テキ屋』の近衛十四郎など、仁侠映画とは男の衣装に敏感な世界でキャラクターや設定をその装いによって語る。逆に女性の衣装にはそれほどの綾がないことが多いわけだが『花札渡世』ではヒロイン鰐淵晴子の着せ替えかたに細やかさがあった。それも本作の個性のひとつ。私は鰐淵晴子の美しさをタッド若松撮影による『らしゃめん』(牧口雄二、1977年)よりも『花札渡世』の鋭い輪郭のなかにおいて記憶したい。
 映画に関する論でもなんらかの情報でもなく、素朴な印象や受け取りかたとして私は『花札渡世』の狙うところというか、世界認識のアングルが理解でき、それに魅せられた。序盤の伴淳と鰐淵晴子の"通し"のサインを梅宮辰夫演じる北川が見破るとき、また北川が小林千登勢と遠藤辰雄の醜い関係を知ってか知らずか迫る小林を忌避するとき、彼にとって彼女らは一枚の札となっている。それをめくること、自らの手とあわせること、のるかそるか、関係への期待とスリル、焦燥、エロティシズム。惚れたはれたを突き詰めて寝てみなければその女が実際に自分にとって何なのか、それがどう出るかわからない。それは女の側からも同じ。ガラス屋の小僧であったりもした北川は身をすり減らす労働者からあるとき博徒に化けた。そこからは己も他人もまるでひとというより花札のようなものに変わってしまっている。この映画は花札のギャンブルで世を渡る男の映画ではなく、渡る世を花札に変えてしまった男の物語なのではないか。
 日常的によくいわれる、間抜けな人間を指す"ボンクラ"という語。これはもともと博打のことばで"盆暗"、つまり博打場を意味する"盆"において"暗い"、あたりが見えていない奴、カモを意味する。映画中盤に北川が胴師を務める映像に"俺はボンクラどもから巻き上げてやった"というナレーションがかぶるとき、そのリテラリーな表現にびっくりするが、そこには俺の盆は暗くねえという彼の傲然の気が感じられる。だがそれは予感されるようにラストに潰える。賭け続けるものがいずれ迎える必敗のときを女と国家が早めたのであった。
 ところで、まったく関係ない、ある女性がおりました、自分がボンクラでした、という話をする。
 前世紀、九十年代の半ばに大阪に暮らしていた二十歳ごろの私はある晩に馬鹿馬鹿しく浮かれていた。当時映写技師をして働いていた映画館の受付嬢が妙にこちらにイチャついてくるためだ。最近バイトに入った女性で自分より年上の二十代後半、美人というわけではないが不美人ではなくしかし素振りがいちいち女臭い。その晩も、客が場内に入り映画も始まったあとの落ち着いた時間に、多少心得があるから手相を見てあげる、と言われ細く白い指で手のひらをなぞられながら、うわあすごい、あなたには明るい未来がある、などと言われていた。そこに、ちょっといい?との声。それは映画館スタッフのTくん。彼は大学をドロップアウトしたのち京都のジャズバーで何年かのバーテン時代を経てここに居り、単に客席に座っていた映画好きが映写機の光を遡行して映写室に来たような私とは違って人を見る目のある男であった。その彼がロビーの隅に彼女を招いて厳しい調子で何事かを話している、と、顔を紅潮させた彼女は受付に駆け戻り手荷物と上着をひっつかんで走り去った。
 呆然とする私にTくんの説明。あの女、金抜いとってん。客からもろた金と違う券を出す、金だけもろて券を出さんと入れる、打ち直す、いろいろやって抜いとった。前からとっちめたろ思とったけど詰めたら逃げよった。もう戻ってこんやろ。あんた、それを気取られんようにあいつになぶられとったんやで。
 やれやれボンクラとは俺のこと。明るい未来などあるわけない。引き締まった映画に遥か及ばぬ無粋な話でお粗末さま。 
 夜の街に逃げた彼女の行方は杳として知れない。

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