『パンチドランク・ラブ』ポール・トーマス・アンダーソン
稲垣晴夏
[ cinema ]
郊外に住むなんてことない男の物語がこれほど幸福なのは、他でもなく作家によるこの街とそこで営まれる日常への愛があるからだ。ロサンジェルスの郊外にあたるサンフェルナンド・ヴァレーはハリウッドの北側、サンタモニカ山脈を越えた向こう側の街。ここは西海岸でありながら周囲を山々に囲まれているために、海すらも見えない。平坦なグリッド状の街区に敷かれただだっ広い道沿いには低層の倉庫や商業施設、建売住宅が殺風景にぽつぽつと並ぶ。映画産業はあるもののその多くはポルノの分野で、街に林立するスタジオの中でひっそりと撮影されている。
ポール・トーマス・アンダーソンは自分が生まれ育ったこの街をこれまで三度にわたって映画化してきた。『ブギー・ナイツ』では70年代から80年代にかけてこの街で興隆したポルノ映画産業の輝かしき時代を、『マグノリア』ではこの谷地で交錯する孤独な12人の群像劇を描いている。そして本作はこれら2作から大幅にスケールを縮小した95分間の物話であり、自らの故郷をありのままに、決してビーチやヤシの木やハリウッドの看板などのシンボリックな要素で偽ることなく、そこでのありきたりで特別で個人的な物語を表現することに真っ向から向き合った作品ではないだろうか。
主人公のバリー(アダム・サンドラー)はこの街で息苦しそうだ。彼はがらんとして閉ざされた工業倉庫の中でトイレのつまりを取るための吸引棒の販売で生計をたてているが、意地悪な7人の姉は彼を放っておいてはくれない。仕事の合間には食品会社の懸賞のルールの盲点を見つけては、マイルで儲けようと試み、家では生気のない家具に囲まれて、孤独を募らせている。誰でもいいから話し相手を求めた先のテレフォンセックスでは詐欺に遭い、この抑圧された日々にたまに耐えきれなくなると、突発的にキレてしまう。そんなぱっとしない日々を送るバリーの目の前で、仄明るい早朝に起こったカークラッシュ。後続車から突然路上へ置かれたハーモニウム。そしてピンクのセーターを着たレナ(エミリー・ワトソン)が倉庫街に壊れた車を修理しに現れる。
多感な時期をこの街で過ごした監督自身が抱いていたであろう閉塞感は、この映画のフレームにも実直に反映されているように思える。バリーが路上からハーモニウムを奪取する場面は、固定ショットで四方向すべてから捉えられるのだが、幅広い道路が街を取り囲む山までずっとまっすぐに通っていることで、私たちはバリーの住む街の行き止まりを見てしまう。この街にはこれほど近くに果てがあるのだ。そして山にぶつかる最果てまで続く広い道路には、ずっとこの街にいるといつか見飽きてしまいそうな匿名さと平坦さを持った量産型の倉庫や住宅が立ち並ぶ。同時に天井と壁に挟まれた部屋や廊下の室内のフレーミングの多用も、バリーの世界をあえて限られたものにする。この街はこれ自体がすべてなのだと言わんばかりに。
だから、ここではその狭さが一度は受容されたうえで、今一度この限りある個々の愛おしい表情を見つめることが試まれている。限られた日常に真面目に向き合うことで生じる豊かな瞬間が、ここには確かに描かれている。それはバリーがマイルの懸賞で一番利益が出るプリンを買い占めて小躍りする99セントストアだったり、レナにキスをするために均一な戸口から彼女の部屋を探しながらバリーが疾走する無機質なアパートだったり、バリーが傷を修復し大切に触れることでレナへの感情を育てるハーモニウムが置かれた路上だったりする。それらの空間全体を漂うフレアは私たちのまわりにある幸福な光を可視化させ、この一見ありふれた郊外の街と日常は、私たちにとっても特別なものに思えるのだろう。
『パンチドランク・ラブ』は12月16日(日)11:00より「傑作?珍作?大珍作!! コメディ映画文化祭」にて上映