《ペーター・ネストラー監督特集in京都》2018年12月4日@同志社大学寒梅館クローバーホール
[ talk ]
今回、掲載させていただくのは、2018年12月4日に同志社大学寒梅館クローバーホールでの『外国人1 船と大砲』、そして『空洞人』の上映後に行われたトークです。テレビシリーズの1本として作られた作品と現時点で監督の最新作となる短編作品をもとに、このトークでは、ネストラー監督の映画作りの方法、そしてドキュメンタリーとフィクション映画とはといった内容が語られます。
渋谷哲也 ペーター・ネストラー監督は、今回の特集のチラシにもあるように、ジャン=マリー・ストローブから「戦後のドイツ映画で最も重要な映画作家」と称されています。しかし、日本ではほとんど知られておらず、今回が日本語字幕を付けて上映する初めての機会となります。今回の特集上映にあわせて、81歳のご高齢ながら、監督を日本にお呼びすることができてとても嬉しく思っています。
今日上映した『外国人1 船と大砲』はもともと16mmフィルムの作品です。こうした過去の作品が現在順次デジタル化されており、今回の上映もデジタル修復されたものです。今日、非常に美しい色彩でみることができるようになりました。
今日のトークでは、まずは私から質問を始めさせていただきます。後半には、マイクを回しましてぜひ皆さんから質問をいただければと思います。
それでは、最初にネストラー監督から今日上映した作品について一言いただければと思います。
ペーター・ネストラー 今日は、私の映画を皆さんにみせることができてとても嬉しいです。最初に上映した『外国人1 船と大砲』は、非常に情報量が多いですし、私の声が絶えず聞こえていて、同時に字幕を読まねばならないということで、みるのにかなり骨が折れたかと思います。とはいえ、私が作るような映画をみるのは観客もまた一緒に考えるということです。劇場の椅子にもたれて寛ぐのではなく、作品に深く関わることを意味します。
『外国人1 船と大砲』は、「外国人」という、ドイツ語でもスウェーデン語でもややネガティブな含意のある言葉をタイトルにしたシリーズの1本です。私がこの作品で言いたかったのは、スウェーデンという国の産業を始めとする各種の発展に、どれほど外国人と呼ばれる人々の貢献があったのかということです。彼らはスウェーデンにやってきて住み着いた人たちであり、後にはスウェーデン人の間に混じることになりました。
私はこのシリーズの中で似たようなことをしているのですが、今日の作品ではスウェーデンで発展し国を豊かにした産業について扱っています。それは繊維産業であったり、製紙業であったり、ガラス製造業であったりします。それらの産業は、豊富な森林やガラスの原料となる砂といった、スウェーデンにもとからあった資源を立脚して発展しました。とはいえ、私はこのシリーズを必ずしも職人の映画にはしませんでした。今日上映した作品でもそうですが、単に仕事を示すだけでなく、社会的な文脈や歴史的な発展、さらには人間の抑圧と搾取をも描いています。
この「外国人」シリーズには、ロマについての映画もあります。スウェーデンでもヨーロッパ諸国の場合と同様に、ロマたちは迫害されてきました。ロマには18世紀末にハンガリーからロシア経由でスウェーデンに入ったグループと、フィンランドからやってきたグループがあります。
また、このシリーズの他の2本はイラン人を主題にしています。彼らは当時、イラン革命後の体制から逃れてスウェーデンに来た難民たちです。彼らが語る事柄はとてもアクチュアルで、今日の移民と難民の問題とも関わっています。彼らは大きな問題とみなされたのですが、実際には多くのものをもたらしもしたのです。スウェーデンの工業的発展にはイタリアやトルコからの移民の貢献がありました。そして今日では戦争や死の危険から逃れて難民たちがやってきているのです。
ロマたちの場合、1950年代までテントやキャンピングカーの中で生活するような状態でした。そのため子供たちが凍死したりしていました。子供たちはもちろん学校に行くこともできませんでした。村の住人たちによって追い払われたからです。彼らはひとつの場所に長く留まることができなかったのです。
何世紀にもわたって迫害されてきたロマの人々、戦争を逃れてきたイラン人難民、そして外国からスウェーデンにやって来て、よそ者として扱われ、住民に受け入れられなかった労働者たちがいます。その後、状況はある程度良くなったわけですけれども、他方では外国人排斥を掲げる右翼政党が勢力を伸ばしてもいます。
2本めの映画『空洞人』についてもコメントしたいと思います。
この作品もシリーズものの1本として作られたもので、テルアビブ(イスラエル)のゲーテ・インスティチュートの企画で、イスラエルの映画監督がプロデュースしたものです。素晴らしい短編小説をたくさん書いているイスラエルの作家エドガル・ケレットもこの企画に関わっていました。私はゲーテ・インスティチュートの館長から企画に参加しないかと誘われました。12人の監督が参加していて、そのうち6人がドイツ語圏の監督、6人がイスラエル人の監督でした。そこで候補に挙がっていた短編小説には、ドイツ人作家のものもあれば、イスラエル人作家のものもありました。
私はいくつかの作品から選ぶことができたのですが、即座にケレットの「空洞人」という物語に興味を持ちました。というのも、この作品はとても多層的な物語で、非常に巧みに語られていたからです。
ケレット本人はイスラエルの生まれですが、彼の両親はポーランドからイスラエルに移住していてきた人たちで、ポーランドでは穴に隠れてナチスによるユダヤ人迫害を生き延びました。周囲の人々から食料をもらいながら隠れていたのですが、いつか発見されて絶滅収容所のガス室に送られるのではないかという不安が常にありました。この物語をホロコーストと関係があるのではないかとケレットに尋ねた人がいるのですが、彼は「いや関係ない。これはただの物語だ」と答えています。とはいえ、私自身はどこかホロコーストと関係があると思っていますし、それが物語の背景にあると考えています。
渋谷哲也 今日上映した2本の映画は、タイプはやや違いますが、ある意味でネストラー監督の映画作りの特徴を非常に表している作品だと思います。ここで目を引くのは、『外国人1 船と大砲』の上映時間が通常の劇場映画とかなり異なっていますが、これは『外国人』がスウェーデンのテレビ番組として作られたもので、まさにこの44分という長さなんですね。その枠にはまって、そしてシリーズとして4作品ある。その第1作目ということになります。
先ほど語られたように、外国人がスウェーデンにやって来てスウェーデンを豊かにしたことともに、そこに様々な抑圧や搾取が行われているという歴史を丁寧に追っています。ところが、そうした社会的なメッセージを表面に出すことなく、即物的な歴史を追って提示していくというスタイルです。決して感情を高揚させたりするような語り口にならない。それが監督のあらゆる作品に通底しています。
もう一点、ネストラー監督はカメラマンを使うこともありますが、ご自身で撮影されるということも多いです。まさにカメラを持って、対象にそのまま真っ直ぐ向かっていかれるような方です。今日の『外国人1 船と大砲』という作品も、監督自身が撮影されたと伺っています。そして一緒に映画を作られたのが、奥様のゾーカさん。一緒に撮影に関わっておられるそうです。本当におふたりで作られた映画だろうと思います。
そこで実際どのように撮影されたのかということ、撮影の舞台裏をぜひ伺いたいと思います。
ペーター・ネストラー 私はこの映画のための調査をしながら、妻とたくさんの議論を重ねました。撮影場所の計画を立て、どのような映画にするのかをです。現場での作業では、私がカメラを廻して、彼女が録音を担当しました。そして毎晩、私たちはテクストの草稿に手を入れました。実際に語られるテクストは最後にできあがるのですが、草稿段階で何が重要で何を強調すべきなのかをディスカッションをしたのです。
いま振り返ってみると、私には少し後ろめたい気持ちがあります。今日はとても良い画質で作品を見直すことができましたが、溶鉱炉の場面がありますよね。ものすごく熱くて危険な現場で、時々、灼熱の滴が飛んできたりもしました。そのとき、私の妻も私の後ろや隣にいて、マイクロフォンで録音していました。そういうわけで彼女を危険にさらしてしまったわけです。
スウェーデンの部分で出てくる様々なモチーフについては、私もよく知っていましたので、入念に計画を立てることができました。一方で、ベルギーとオランダの部分では、私たちはある種の偶然の贈り物として絵画や記録文書を発見しました。水車や運動を伝える機械装置を描いたスケッチなどのことです。そうしたものについて、私は何も知りませんでしたが、博物館の館長が倉庫にある資料を自由に閲覧させてくれたのです。当時の船に関する資料も同様です。そういうものに出くわすということが、撮影のときには現実に起こるのです。何かを調べていると、突然、贈り物を受け取ります。私はこの作品の映像をそのようなものとして見ています。
渋谷哲也 『外国人1 船と大砲』では、絵や写真が様々に映画の中で使われていますが、こういった歴史的事実を語る映画の場合、普通は過去の時点に観客が連れて行かれる感覚になります。ですが、今日みた映画は、すべて現在形の映像で、いわゆる過去の再現映像のようなものはなく、記録映像の使用もありません。過去を示すのは写真であったり、絵であったり、静止した事物やイメージであるわけです。しかも、その絵が、単に歴史の資料としてそこにあるのではなく、同時に美しい色彩や構図で描かれた芸術作品としてそこに実在して、いまの時代に残された絵画や写真という意味で現在を示しています。歴史の様々な位相をすべて現在形で撮っているのですが、そこに同時に多層的な歴史が重なってきています。いまこの現在まで続く歴史があることを感じさせてくれるという意味で、非常に印象深い手法だと思います。
そうした断片に構成を与えるため独自のモンタージュをされると思うのですが、そのときに心がけていることはどういったことでしょうか。
ペーター・ネストラー 壁に描かれた絵であったり天井画であったり、労働者の姿を描いたいろいろな絵が出てきますが、同じような仕事をしている人がこの映画をみるならば、そこに描かれた身ぶりを見て、非常に身近に感じると思います。私自身にとっても同様でした。それらの絵を発見したとき、私も大きな喜びを感じました。それもまた撮影を始めたときには知らなかったことですが、そうしたものが物語の中で大きな意味を帯びることになるのです。
渋谷哲也 壁や天井にある労働者の絵が、まさに労働者の作業をする動きであって、それが直接的で身近に感じられます。しかも、それが単に過去の絵としてあるのではなく、仕事をする姿を提示するという意味で、そこに現在が見つけられるということにもなるかと思います。
ペーター・ネストラー 私にとって、また妻にとっても、仕事というのは絶えざる発見のプロセスです。撮影も同様です。それらの絵が機能すると何かを語ります。自分が発見したものが何か語り始めていることに気がつくのは、楽しいものです。貴族の屋敷にあった100年ほど前に書かれた絵が出てきます。その絵はほとんど知られていなかったのですが、それが突然、私たちの物語にとって大きな意味を獲得するのです。
渋谷哲也 ふたつめの映画についても、お伺いしたいと思います。
「空洞人」という短編小説は先ほども言われたように、おそらく、作者ケレットの両親のホロコースト体験が生々しくベースとしてあると思います。とはいえ、やはり語られているのは架空の話です。『空洞人』では、完全にフィクションである物語を映画の中心に置いて語られているのですが、このような映画はネストラー監督にとっては珍しいことではないでしょうか。
また、あのイラストは監督ご自身が描かれたものだそうですね。初期の短編映画や今日上映した『外国人1 船と大砲』でしたら、実際に働いている労働者や昔に描かれた労働者の絵、写真を、社会や歴史の素材として客観的に映すのですが、今回の『空洞人』ではまさに自分で描かれた絵を使われていて、ここでフィクション的なものに一歩近づかれたというふうにも考えられます。フィクション的なものを語るということに関して、一言いただけますか。
ペーター・ネストラー 私はフィクションとドキュメンタリーの間に両者を分かつ境界線があるとは思いません。そうではなく、ひとが見出すことのできる真実がある。その真実は、俳優と一緒に仕事をするフィクション映画にもあるでしょう。
ドキュメンタリー映画の場合、撮影現場で生起する出来事をつかむときに見出される真実があります。それはつまり、ドキュメンタリー映画の場合には、素早い決断を下さねばならず、常に何か見る準備していなければいけないということです。それに対してフィクション映画を撮る場合には、もちろん入念に準備できるわけですが、それでも何か予期しないことが起こる。たとえば、俳優がほとんど無意識に何かある身振りして、それがとてもうまくいくということがあります。突然、すべてがしっくりくるのです。それに例えば小津の作品のような素晴らしい映画では、俳優たちは何よりもその人自身、本人そのものとして、そこに在るように思います。もちろん役があるのですが、脚本に書かれた人物になりきろうとするのではなく、彼ら自身のままでそこにいる。そして、きわめて限定された手段で物語を演じます。
したがって、私が作っているようなドキュメンタリー映画では、観客は自分が見ているものについて考えることができますし、また考えねばなりません。そうすることで、見ているものに対する感覚を発達させることができるのです。それは小津やブレッソンやストローブのフィクション映画でも同様です。観客はともに作業するように要求されるのであり、映画に楽しませてもらったり、誘惑されたり、どこかに連れ去れたりするのではありません。そうではなく、ストローブやブレッソンや私が見出した素材と向き合って作業するのです。
渋谷哲也 ありがとうございます。ネストラー監督には簡潔な言葉で、映画の中と同じように単刀直入に語っていただきました。
今度は、ぜひ会場の皆さまから質問をお願いします。
質問1 『空洞人』について質問です。ケレットの原作をどのように解釈されて映画を作られたのかお聞かせください。
ペーター・ネストラー ケレット自身が述べているように、私もこの作品にはいくつも層があるのだと思っています。ですので、「この物語の意味はこれである」と言うことはできないし、言うべきではないのだと思います。この物語で起こるのは、悪夢がいつしか習慣になるということであり、主人公自身が肉体を持たない者たちのひとりになるのです。
この物語を読んだとき、木槌で殴られたような衝撃を受けました。そして、これをぜひ映画にしたいと思ったのです。まさしくこの物語の多層性に惹かれました。何が起こったのかということについて、一義的な分析が存在しえないのです。
質問2 『外国人1 船と大砲』についてお聞きします。赤い外壁の家が非常に印象的だったのですが、そのすぐ前後に出てきた女性が着ていた服の色も赤でした。この色の連続は意図的であったのでしょうか。
ペーター・ネストラー 私としては、あなたがそれらふたつの映像を結びつけてご覧になったことを素晴らしいと思います。あの赤い外壁の家は、もはや存在しない港のそばに残されていました。その港はフィンランド行きのフェリーや運搬船のために作られましたが、いまもまだ残されているのは、橋や埠頭の固定器具だけです。
赤い服を着た女性は実は私の娘です。彼女はたまたま赤い上着を着ていました。撮影中にそうした色彩の相互作用をみつけると嬉しくなります。それも一種の贈り物なのです。もちろん撮影を始めたときには、これらの映像をそのような仕方で並べることができるとは思っていませんでした。そして、それはうまくいきました。あなたがそのように反応したということは、そこに何かがあるからです。
質問3 影響を受けた映画監督、映画作家のお名前を挙げていただければ嬉しいです。
ペーター・ネストラー 基本的に、私はいつも自分自身のやり方で仕事をしていると考えています。もちろん、先ほど名前を挙げたような監督たちを賞賛しています。けれども、映画を実現するために解決しなければならない課題やそのとき自らに課した課題に向き合うときに、私の念頭にあるのは、自分の前にある事物や物語だけであって、誰か他の監督の仕事の仕方を参照することはありません。
ただし、私が友人のクルト・ウルリヒと撮影し、ローベルト・ヴォルフガング・シュネルがテクストを書いた最初の作品『水門にて』(1962)では、撮影するショットを事前に計画する必要があったため、エイゼンシュテインを参考にしたと言ったこともあります。私たちがそうしたやり方をしたのは、使用できるフィルムの量が限られていたからです。撮影する映像はすべてうまくいっている必要がありました。ひとまずたくさん撮影しておいて、編集時にどの映像を組み合わせるかを決めるというやり方はできなかったのです。したがって、私たちは撮影時にすでにそれがどの部分で使われることになるのかを厳密に考えておく必要がありました。
質問4 監督は史実についてどのように思っていらっしゃるのでしょうか。特に『空洞人』と関連してですが、いまパレスチナで迫害を受けている現実についてどのようにお考えでしょうか。
ペーター・ネストラー まず知っておいていただきたいのは、エトガル・ケレットはあるパレスチナ人の作家と連名で声明を執筆し、それを公にしていることです。イスラエル右派の人々は、ケレットのことを祖国の裏切り者とみなしています。というのも、彼はイスラエル政府の占領政策に公然と反対の意思を表明したからです。
ケレットは非常に勇気のある作家だと思います。ケレットとそのパレスチナ人の作家は、アメリカに移住すべきだろうかと話し合いました。パレスチナの作家は実際にアメリカに移住したのですが、ふたりは手紙を交換し、それを公表しました。一方、エトガル・ケレット自身は、イスラエルに留まるという決断をしました。ここは自分の国だから、という理由です。
質問5 監督の作品では、作品内の人物の発言にナレーションが重なっているものが多いですが、その意図についてお聞かせください。
ペーター・ネストラー 『外国人1 船と大砲』で、私のカメラの前にいたのは、仕事をしている最中の人たちです。したがって、人々が話をする場面はありませんでした。これまでに作った他の多くの作品で、私は映画に出演する人々とたくさんの話し合いをしています。私は映画の主題について彼らに説明し、彼らはカメラの前で話をすることで、映画に対して彼らなりの貢献をするのです。ただし、私がしているのはインタビューの撮影ではありません。そうではなく、彼らが話すのを撮影する前に、私たちがこの映画で達成しようとするものが何であり、彼らがどんなかたちでそこに関与するのかを決めておくのです。
しかし、生命の危険がある現場で働いている労働者たちがいままさに仕事をしている様子を見せる今日の映画の場合には、インタビューは考えませんでした。もし彼らが話をする場面も含めるとしたら、まったく別の映画になっていたでしょう。この映画でまず目指したのは、彼らがどんなリスクを負って仕事をしているのか、どれほど大変な仕事なのかを示すことでした。私は彼ら自身についてではなく、彼らが置かれた状況、彼らが折り合いをつけねばならない状況について語っているのです。
休憩中の彼らを近くから見ることができるショットがありますが、汗でびっしょりになっています。私自身が映画の中でも語っていますが、彼らの職場は危うい状況にあります。彼らは失業してトルコや南イタリアに返らねばならないかもしれないのです。こうしたことは、一人ひとりについて語られる事柄ではなく、彼らが置かれた状況として提示されるのです。そうした状況は15世紀、16世紀、17世紀の状況と比較されます。つまり、こうした労働者たちは繰り返し食い物にされ、困難な状況に置かれてきたのです。
質問6 監督の映画では、歴史や社会が現在にとても繋がったかたちで語られていると思います。それを映画でしなければならなかった理由、映画を選んだ理由をお聞かせください。
ペーター・ネストラー 映画という形式を選んだのは、映画というものが、とても短いものであっても、信じられないほど多くの要素を集めて組み合わせることができるからです。見出された映像や撮影された出来事といったものを、長大な論文や書物よりもはるかに明快な仕方で組み合わせることができます。
またもちろん、映画を作ることが私に大きな喜びをもたらしてくれるからでもあります。その喜びは、贈り物のような何かを受け取るときに生じます。すなわち、あらかじめ計算することのできないもの、予期せぬ出来事に出会う時にもたらされるのです。
渋谷哲也 まさにカメラを通して世界を見る、真実を知るという発見の旅ですね。しかも監督の映画は、映像を編集し、テクスト=言葉を付けてさらに多層化し、しかも一見コンパクトな形で重層的な構築物を作ります。そのことは、今日、ご覧になった皆さんも実感されたと思います。
質問7 日本に来られたのは初めてだと伺っています。今回、このタイミングで日本に来て特集上映が組まれたことに関して、どのように感じていらっしゃいますか。
ペーター・ネストラー とても素晴らしいことだと感じています。私自身、日本の映画が大好きですし、日本の絵画、とりわけ16世紀、17世紀の絵画に惹かれています。今回、東京でそれら絵画の現物を見ることができて、本当に心を揺さぶられました。嬉しさで涙が出そうになったくらいです。
私の映画に関心を持ってくださる方がいて、今日もこれだけたくさんの方がトークまで残ってくれていることをとても嬉しく思います。多くの場合、映画をみた観客の半分くらいはトークの前に帰ってしまいます。そうした意味でも、今日はとても嬉しいです。
渋谷哲也 今回の特集で上映された作品は、すべてデジタル化された作品です。ネストラー監督はもともと16mmで撮られた作品が多いのですが、そのプリントのうち古くなったものから順々に、ベルリンのキネマテークで修復作業が行われています。こうした状況のおかげで、最近ようやくDVDがドイツで発売されたり、今日の『外国人1 船と大砲』のように、つい最近修復されたものが、こうやって劇場のスクリーンで見られるようになりました。「外国人」シリーズは全部で4本ありますが、2作目から4作目もデジタル化の作業が完了しているそうです。ですから、いつかロマやイラン人についての映画も上映する機会が巡ってくるかもしれません。
ペーター・ネストラー監督は本来ならば、もっと早い段階で日本でも知られるべき巨匠のひとりです。ただこれは日本だけではなくて、例えばドイツの大都市ベルリンでも、監督の映画の上映の機会は近年まであまりありませんでした。まだまだ多くの人には発見されていない作家なのではないかと思います。
そんな状況で、今回初めて日本にいらっしゃったのですが、やはりこの機会にと欲張ってしまい、かなりの本数のプログラムを無理やり実現する形になりました。そんななかで興味を持っていただける方がこんなにいらっしゃったことを非常にうれしく思いますし、次に続けなければと思っております。今回の特集が唯一の機会にならないように、ぜひまた監督に次の来日をお願いしたいと思います。
最後に、監督に一言いただきたいと思います。
ペーター・ネストラー 私が80歳になったこともあるのでしょうが、いま再び私の映画への関心が高まってきていて、アメリカやフランス、ベルギーで作品の上映がなされています。そして、今回、日本でも私の映画を上映できることになったことは、私にとってとても重要なことです。しかも派手に公開されるのではなく、本当に映画に関心のある人々のために上映されたということは、とても嬉しいことです。
『外国人1 船と大砲』: Ausländer. Teil I. Schiffe und Kanonen
1976年/44分
監督・撮影・編集:ペーター・ネストラー
脚本:チョーカ・ネストラー、ペーター・ネストラー
スウェーデンテレビ局製作による4部作の第1部。ハンザ同盟時代にドイツやベルギーの労働者がスウェーデンの鉄鋼産業に雇われ、溶鉱炉や武器を製造していた歴史が語られ、それが現在の兵器産業に多くの外国人が従事している現実へとつながってゆく。シリーズは、「2.ジプシー」、「3.イラン人」「4.イラン人 続」と継続した。
『空洞人』Die Hohlmenschen
2015年/5分
監督:ペーター・ネストラー
製作:キントップ、イスラエル・ドイツ文化センター
体を失い声だけになった者の物語、エトガー・ケレットの短編「空洞人」が朗読され、そこにネストラー自身によるスケッチ画とアルヴァン・ベルクの音楽をコラージュされて詩的な短編映画が生まれた。
通訳:海老根剛
協力:渋谷哲也、海老根剛、出町座、ヴュッター公園、同志社大学今出川校地学生支援課
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